.
子どもたちが楽しみにしていることがあります。

それは、渡す時の先生のコメントです。

「通知表には書いていないんだけど、本当は先生が一番すごいと思ってること」

というコーナーがあり、

「通知表には残念だけど書くところがなくてネ。どこに書いていいのか分からないから、書いてないのだけど」

ともったいをつけて、私は通知表を渡す前に、話をする。
そうじのときのワンシーン
給食のときのワンシーン
運動会のワンシーン
学級会での発言について
国語の批評文の中のアイデアについて
図工の絵の色づかいについて
・・・
で、『通知表が1だとしたら、今の話が99くらい』の価値があるんだ、という話をする。

すると、子どもたちの中で、通知表の価値が下がるかもしれないが、そうは言わない。

「これはこれで、みんなを見ていて分かったことを書いているから、大事だし、おうちの人にもちゃんと見せて、話もしてね」

と伝えている。

だけど、子どもたちは、自分には通知表には書けない(書いていない)価値があるんだ、という解釈をしてくれる。これがいいなあ、と思って、続けている。



2年生の担任をしたとき、大根収穫をした。
みんなで大根の絵を描いた。
すると、一人の子は、大根をオレンジ色に塗った。
みんなで収穫した大根は、たしかに白かったのに。

まわりの子が笑い出したが、その子は平気。
自分で、「よくできた」と言った。
この瞬間、図工は◎である。

オレンジでも、◎である。
白い大根でもいいけど、オレンジ色もいい。
口の悪い子が、

「これじゃにんじんじゃん」

と言ったからみんな笑ったけど、その子は

「にんじんじゃないよ。オレンジ色の大根だよ」

と言っていた。
だから、◎です。

そして、にんじんだ、と言われても、いや、ちがう、と言い切ったあたりが、成長なのだ。
また、オレンジ色でも、最後まで描ききって、やり直したり、訂正したりしないで、そのままエネルギーを持続するあたり、なんとも自立しているでないか。

教室の後ろや廊下にみんなの作品を貼りだしたら、オレンジ色の大根はやけに目立つ。
他のクラスの子にも評判になる。

「あれ、ハハハ、にんじんじゃん。Uくんの絵、巨大にんじんだよ」

みんな、同じような感想を言う。

しかし、その子は一緒に「うへへ」と笑うだけで、「大根だってば」と言い切る。

Uくんは職員室でも話題になる。

「あれ、なんでオレンジ色にしたんですかねえ」



わたしは、あえて、なんでオレンジ色なのか、ということを質問しなかった。
子どもは本心じゃないことを、教師の前で「大人の納得するように」変換して話してしまうことがあるからです。

それで、時間をかけて、たまーにふと、他の子、まわりの子に、それとなく聞く。

「オレンジ色だねえ」
「そうだね」
「なんでかねえ」
「夕日の色じゃない?」
「ははー、なるほど!」

なかには詩的な子もいるのである。
髪の長い、なかなかしっかりときれいなノートを書く女の子が、いかにも、という説明をしてくれる。

「夕方だから、太陽の色をつけたんだよ、きっと」

・・・

わたしはしばらくしてから、はじめてそれを話題にして、

「Uくんの大根の絵は、すごかったね。夕日に照らされた大根だからかな、と先生は思いました」

するとUくんは、首を振って、

「いや、夕日は関係ないよ」

と言ったのです。



そして、ぼくは大根が好きだから、オレンジ色にしたのだ、と胸を張ってわたしに告げた。

「野菜の中でいちばん大根が好き。色の中ではオレンジ色が一番好き。だから、一番好きなものどうしをくっつけてあげた」

わたしはこの時の衝撃がでかすぎるので、通知表には書けませんでしたね。

要するに、子どもの生の姿や実際のその子については、通知表の面積は小さすぎるので、とても書けやしないってことです。だれだって、そんなことには気づいているはず。言われてみたら、そんなことは当たり前で・・・。


だっから、通知表がどうのこうの、というようなことを話題にしている子がいると、

「うちのクラスは、通知表は1000分の1くらいの情報しかないから」

ということを言い続けております。

もちろん、そのUくんにも、通知表を渡す時に、オレンジ色の大根の話をしましたよ。

「Uくんの楽しい話を通知表に書きたかったけど、場所が狭すぎるから書いてないよ。でも、先生はあのときのUくんの話がいちばんすごい、と思ったよ。あれを本当はいちばん書きたかったな」

するとUくんは

「ああ、わかる。通知表が小さすぎるんだよねえ」

と、教師の私に、ちょっぴり同情してくれてましたナ。

yuyake