困らない叱らない。新間草海(あらまそうかい)の教室日記

漂流する人生からつかんだ「困らない」生き方とは。
転職を繰り返し、高卒資格のまま小学校の教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

.
負けることに我慢ならない時がある。

子どもの頃、姉とおやつの取り合いで、じゃんけんに負けると、本当に頭がおかしくなるくらいに口惜(くや)しくなった。

たとえば、「かっぱえびせん」。
ひと袋を半分に分ける。
慎重に、均等に分けたあと、さらにじゃんけんをして決めた。
ほんの数グラムの違いだったろうが、敵の方が多いと見積もると、悔しくてくやしくて、自分のじゃんけんの弱さを嘆いたものだ。


負けた、となると、どうしてああも、悔しくなるのだろうか。
あの、全否定された感覚。
人生そのものから、拒否されたような感覚。

あたかも、
「お前には、勝たせないよ~だ」と、
全能の神から、いじわるされた気分。

そして、絶望と、虚無感・・・。




なぜ、負けると、人間はこうも虚しさに包まれて、不足感に苛まされるのだろう?


相手が、勝った勝った、と喜ぶ姿を見るとなおさら、だ。
向うが得意げな顔になって、「してやったり」とほくそ笑む顔をみると、どうしてこうも胸がかきむしらられるほどに、せつなくて、くるしくて、さみしくなるのだろう?

こういうこと、なぜ?と考える人は、少ないかもネ。
しかし、人間である以上、なぜ?と考えていくのが、通常の神経だと思う。
だって、自分の中身が不思議な状態のまま、それをほっておくのって、勇気が要るでしょう。
自分の心のあり様をちっとも考えないまま、何年もほうっておく?


なんで、負けるとくやしいのか。


これ、子どもたちと考えたいねえ。




写真は、オリンピックのメダル(半分ずつ)。

img02b

このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

 コメント一覧 (4)

    • 4. 福
    • 2015年11月30日 08:45
    • 5 暇で連続投稿して済みません(^^;

      強い感情を伴う方が記憶に残る。→

      同じ失敗を繰り替えさない。
      ・勝ち目が無ければ悔しくても我慢する・違う土俵(分野)で勝負する→

      生存率が上がる。
    • 3. 福
    • 2015年11月29日 16:48
    • 5 ん~難しいですね。

      悔しいからと負け戦を続行すると死に致る。
      有る時点で意気消沈する事で体力を回復させる。
      休養すれば、やる気も復活すると思うのですが。

      ちょっと無理の有る説明ですかね(笑)
    • 2. 新間
    • 2015年11月27日 21:54
    • 福さん、コメントありがとうございます。
      なるほど、「性質」といわれると、負けて悔しい感情というのは、生まれつきだれも持っているもので、性質といっていいのかもしれませんね。わたしはさらに、疑問が湧いてしまいます。
      なぜ負けて、「悔しい」という感情になると、⇒⇒⇒ 自分がみじめになったような、かなしいような、空虚なような、なんともはかりがたい感情が生まれて起きてくるのでしょう? そこがなんだか、わたしは自分の心が見つめたがっているところのようで、わたしはどうやら、常にそこを考えてつづけているのです。ウン十年も・・・。面白いですねえ。我ながら・・・。
    • 1. 福
    • 2015年11月26日 07:39
    • 5 負けると悔しいと言う感情を持ってる方が生存競争に有利に働くから、そのような性質が残ったのでは無いのですか。

      負けてもいーや、どーぞどーぞ皆様召し上がって下さい、と言う人は子孫を残せなかったと思います。
コメントフォーム
評価する
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット

トラックバック