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子どもたちが夏休みになって、学校へ通ってこないので、我々先生たちはちょっとだけ時間ができる。

それで、わたしは最近、よくスーパーへ買い物に行くようになった。
夕方、定時に退勤することができるからで、まだ空の明るい時間にスーパー店内を歩いていると、

「うぉ、こんな時間に買い物できちゃっているよ」

と、テンションが上がる。

振り返ると、毎日どんだけ遅くまで仕事してんだろう、と自虐的になるけどネ・・・。


スーパーで、親子で買い物をしている姿も目に付く。

いいねえ。

私がカレーのルウを買おうとしていると、一人の4年生くらいの男の子が走ってきて、同じ売り場の棚の前で選び出した。

ああ、この子もルウを選びに来たんだな、と思ってみていると、すぐ後ろから、同じように息せき切って、妹らしいのがついてきた。

「お兄ちゃん、どれ選ぶの?」

息をはずませながら、訊いている。


わたしがハウスのジャワカレーか印度カレーか迷っていると、兄の方がS&Bゴールデンカレーの箱を手にして、

「これじゃない?いつものやつ、これだよね?」

と言った。

妹はそれを見て、「あ、そうそう」と言ったかと思うと、

「あ、こっちじゃない?」


手にしたのを見ると、
『プレミアムゴールデンカレー 中辛 』

とある。

たしかに同じようなパッケージで、同じような英語で書いてあって、おまけにどちらも金色であります。

わたしはそんな商品が発売されていたことを知らんかったから、

「おお、なんだプレミアムって・・・わけわからんけど凄そう」

と思ってみていると、兄妹はしばらく言い合ってから、その金のプレミアムを手放した。
そして、ふたりでノーマルなゴールデンカレーをしっかと抱えて、売り場を去って行った。

どうです?

二人でちゃーんと、きちんと、考えて動いているでしょう。

わたしゃ、感心しましたよ。

子どもだって、なにがいいのか、我が家の食卓を思い浮かべて、最善を尽くそうとしてふるまうのでありますよ。



私は結局、さんざん迷った印度もジャワも選ばず、黄色く「広告の品」と表示されてたこくまろカレーの箱をカゴに入れながら、

「なんか分からんが、いいなあ。あの兄妹」

と感慨にふけったのであります。


どんな家庭なんだろうか。

きっと、兄妹とも、家庭の温かみを、ぬくもりを、たしかに感じて生きているのでしょうなあ。

わたしは激安商品を手に入れた喜びよりも、その兄妹に会えたことが嬉しかった。





大人にとってもだけど、子どもにはとくに、大きいことだろう、ね。

「愛されたい」

というのは、だれしも、願うこと。

というか、人生、それが一番大事。
シンプルだけど、誰しも心の底で願っているのは、

『愛されたい』

ではなかろうか。




で、この実感があることが、人を元気にし、勇気づける。

応援されると、人はパワーが出るらしい。

テレビの実験では、なにか重いものを引っ張っている人が、一人でやっているときはどんなに頑張っても引っ張ることができない。

ところが、そこに応援隊が現れ、横に立って、

「がんばれー!」

とやると、驚くべし、引っ張って動かすことができたのである。

手を貸すのではなく、声をかけられただけで、人はパワーがふくれあがるのである。




声と言うのは、恐ろしい。
いや、声、というのではなく、「声」によってその存在を感じる、

「愛」

によって、人は動くのでありましょう。



やはり、「愛されている」から、その実感があるから、勇気が倍増する、ということは大いにあるのだと思う。

逆に考えると、

自分自身が常に、

「愛されている」

というところで生きていられると、これはものすごいモチベーションの高さと、たしかな勇気を獲得することになる。

「自分は愛されている、という実感を常に24時間、たしかに感じるだろうか」

これが自分の能力発揮を決めている大切な心の状態なんだろうと思う。




さて、愛すべきクラスの子どもたち。

彼らは私から、「愛されている」と思ってんのだろうか??

いや、そんなことはどうでもいいのである。

家庭で、親から、大事に愛されている実感を得ている子は、先生からもきちんと、「愛されている」と思うものなのである。なぜなら、スイッチが同じだからだ。

「愛されている」スイッチを確実に押している子は、空を見ても星をみても、土を見ても虫を見ても、海を見ても・・・何を見ても、自分とのつながりを思うことができるのだろう。
そして、そのつながりを予感しつつ、「愛されている」と思うことができる。

カレー売り場