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朝のスピーチは、5年生の時からの定番です。
日直さんが、その日の朝に言いたいことをまとめていて、
ニュースのような口調で、話し始めます。
「8時30分になりました。ニュースの時間です。
今日、校庭を歩いていると、赤い実を見つけました。・・・」という感じ。
これが定番となり、現在まで続いています。
実は、このところ、これがマンネリ化しているように感じていました。
ニュースもとびきり楽しみにしているようでもないし、
それほど楽しい質問がでるわけでもない。
5年生になったばかりのころ、もともと自己紹介の延長のような風で、気軽に始めたものがもう1年以上続いているわけです。
そろそろ飽きてきたのかと思い、先日、ふと
「どう?もう6年生だし、朝の時間は委員会や係りの連絡だけでもたくさんあって忙しいよね。もういっそのこと、やめてもいいと思うんだけど」
というふうに提案してみました。
すると驚いたことに、子どもたちは全員即座に、
「え、ぜったい続けよう!」
と言ったのです。
子どもたちの表情をみて、そんなに反応も見えないし、と思っていたのですが、ちがったようです。
実は子どもたちは心の中では十分に友達の話を聞きたくなっていて、それなりに朝の楽しみだと考えていたことが分かりました。
ほんの日常のささいな発見や出来事を、友達の話ながら、興味深く聞いていたのが分かります。
今日は、スピーチをしたのは、クラスでもほんわかとした癒し系で、コアラのような雰囲気のKくん。
自分が昨日、歯医者に行って歯をけずってきた場面を、ちょっと不思議なぼんやり加減で語ってくれました。
「お医者さんが、うがいをしてと言ってどっかに行っちゃって、ぼくは3回うがいをして待っていたら、看護婦さんみたいな人がやってきて、またうがいをして、と言ったので、また3回うがいをしたら、お医者さんがもどってきて、うがいはもういいよ、と言いました」
てな感じ。ちょっと不思議で面白い。
「今の話、面白かったよね、〇〇くん」
と聞くと、〇〇くんが、
「うん」
と言います。
わたしはそういうとき、すかさず、
「どこが面白かった?」
と聞きます。
すると、〇〇くんは、なんだかんだ、こじつけのようですが、どこがどんなふうに面白い、と言ってくれます。
もしそこで詰まってしまったら、
「〇〇くんにもう一回、そこのところを話してもらおうね」
と言って、発表を少し繰り返してもらいます。
不思議なことに、2回目の発表は、1回目の2倍、うまくなっていて、分かりやすくなっていることが多い。
これは大人でもそうでしょうね。考えながらしゃべったことは、なかなかまとまらないときにだって、同じ内容を分かりやすくもう一度話せるというのであれば、少し上手に話せるでしょう。
どこが面白いのか、という点についてこういうやりとりを重ねるうちに、友達の発表には、興味を持つようになってきたように思います。
友達の顔を、じっくり見ていられる、というだけでも、価値があることなのかもしれません。
私はたとえスピーチする内容がなくても、だまってそこに立っているだけもいい、みんなでその子の顔をしばらく見る、という時間であっても、価値があるように思いますな。
花の形がとてもデザイン的 ↓
朝のスピーチは、5年生の時からの定番です。
日直さんが、その日の朝に言いたいことをまとめていて、
ニュースのような口調で、話し始めます。
「8時30分になりました。ニュースの時間です。
今日、校庭を歩いていると、赤い実を見つけました。・・・」という感じ。
これが定番となり、現在まで続いています。
実は、このところ、これがマンネリ化しているように感じていました。
ニュースもとびきり楽しみにしているようでもないし、
それほど楽しい質問がでるわけでもない。
5年生になったばかりのころ、もともと自己紹介の延長のような風で、気軽に始めたものがもう1年以上続いているわけです。
そろそろ飽きてきたのかと思い、先日、ふと
「どう?もう6年生だし、朝の時間は委員会や係りの連絡だけでもたくさんあって忙しいよね。もういっそのこと、やめてもいいと思うんだけど」
というふうに提案してみました。
すると驚いたことに、子どもたちは全員即座に、
「え、ぜったい続けよう!」
と言ったのです。
子どもたちの表情をみて、そんなに反応も見えないし、と思っていたのですが、ちがったようです。
実は子どもたちは心の中では十分に友達の話を聞きたくなっていて、それなりに朝の楽しみだと考えていたことが分かりました。
ほんの日常のささいな発見や出来事を、友達の話ながら、興味深く聞いていたのが分かります。
今日は、スピーチをしたのは、クラスでもほんわかとした癒し系で、コアラのような雰囲気のKくん。
自分が昨日、歯医者に行って歯をけずってきた場面を、ちょっと不思議なぼんやり加減で語ってくれました。
「お医者さんが、うがいをしてと言ってどっかに行っちゃって、ぼくは3回うがいをして待っていたら、看護婦さんみたいな人がやってきて、またうがいをして、と言ったので、また3回うがいをしたら、お医者さんがもどってきて、うがいはもういいよ、と言いました」
てな感じ。ちょっと不思議で面白い。
「今の話、面白かったよね、〇〇くん」
と聞くと、〇〇くんが、
「うん」
と言います。
わたしはそういうとき、すかさず、
「どこが面白かった?」
と聞きます。
すると、〇〇くんは、なんだかんだ、こじつけのようですが、どこがどんなふうに面白い、と言ってくれます。
もしそこで詰まってしまったら、
「〇〇くんにもう一回、そこのところを話してもらおうね」
と言って、発表を少し繰り返してもらいます。
不思議なことに、2回目の発表は、1回目の2倍、うまくなっていて、分かりやすくなっていることが多い。
これは大人でもそうでしょうね。考えながらしゃべったことは、なかなかまとまらないときにだって、同じ内容を分かりやすくもう一度話せるというのであれば、少し上手に話せるでしょう。
どこが面白いのか、という点についてこういうやりとりを重ねるうちに、友達の発表には、興味を持つようになってきたように思います。
友達の顔を、じっくり見ていられる、というだけでも、価値があることなのかもしれません。
私はたとえスピーチする内容がなくても、だまってそこに立っているだけもいい、みんなでその子の顔をしばらく見る、という時間であっても、価値があるように思いますな。
花の形がとてもデザイン的 ↓