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給食で、多い!少ない!というもめごとが起きません。
これはなぜなんだろうか。
読者の方は、給食と言われて、思い浮かべるイメージがそれぞれちがいましょう?
みなさんが小学生だったころ、お味噌汁って、出ましたか?
最近の給食は、一昔前とは異なっていまして、ほとんどが米のごはん食でありますから、汁物が出ることがほとんどであります。
今日は、けんちん汁でした。
ところで、汁ものというのが、いちばん、配りにくいのです。
全体に均質であり、濃度が同じ、というポタージュスープ系ならまだしも。
大きな具がごろんごろん、と入っているの、これがもっとも難しい。
具を適度にふりわけながら、35人分の器に盛り分けていく、というのが、至難のワザであることは、みなさん、想像に難くないでしょう。
深いおたまで、これまた深い缶の底をかき混ぜながら、スープと具を、ちょうどよい感じに、ちょうど均等になるように、と努力をするわけですが、1杯目は具たくさんになってしまうことがあるし、35杯目というのは、頑張ってもやっぱり、薄いスープのようになってしまうわけね。
最初は、具ばっかり見えるから、具が本当にたくさんあるんだ、と思ってしまう。
また同時に、どうすくいとっても、深いお玉にガバッと、これはもう、不可抗力という状態で、具がたくさんのってしまうのです。
これをば、少し減らしつつ、というの、とても難しいです。
だって、給食を盛り付ける時間って、たったの5分から10分程度ですよ。
当番の子たちがフル回転したって、それ以外に牛乳を配る、おかずをくばる、ごはんをくばる、よそっていくだけでも大変なことなのでして・・・。
つまり、結果として、具が大盛りたっぷり、という子と、具、すくなー、という子に分かれてしまう。
見ているとですね。
これはまずい、薄すぎる、具が少ないぞ、ということが、残りの10人くらいになるとだんだんと分かってきます。
残り5杯、という状態になると、いやあ具がほとんどないぞ、という、さしせまった状況。
すると、多そうな子のおかずを、もらいに出る部隊が自発的に生まれましてね。
「ちょっともらえる?」
とか言いながら、ちょっとずつ、みんなから具を分けてもらっている。
その間、
で、この光景を見ていた特別支援の先生が、
「礼儀ただしいですよね」
と言い、
「新間先生は、礼儀をきちんと躾けていらっしゃるから」
のようにおっしゃった。
別にわたしゃ、礼儀を教えた、躾けた、という実感はないため、
えーっ・・・
と思う。
(礼儀を躾けたっていうの、ちっとも分からんな。自分ではそう思ってないな)
こういうことって、子どもたち、「礼儀だから、分けてあげよう」と思ってやってるのかな。
そうじゃないように思う。
これはね、つまり。
仲が良いからなんだと思うね。
要するに、仲が良い、ということが、本当にさまざまな人間関係のストレスを、あっという間に解消する。
仲が良い、ということを、本当に実感したことがないと、このことは頭では絶対に分からない。
友達のことが、大好きになるってこと。
これが、クラスがまとまるための、子どもがやる気になるための、たった一つの方法ね。
給食で、多い!少ない!というもめごとが起きません。
これはなぜなんだろうか。
読者の方は、給食と言われて、思い浮かべるイメージがそれぞれちがいましょう?
みなさんが小学生だったころ、お味噌汁って、出ましたか?
最近の給食は、一昔前とは異なっていまして、ほとんどが米のごはん食でありますから、汁物が出ることがほとんどであります。
今日は、けんちん汁でした。
ところで、汁ものというのが、いちばん、配りにくいのです。
全体に均質であり、濃度が同じ、というポタージュスープ系ならまだしも。
大きな具がごろんごろん、と入っているの、これがもっとも難しい。
具を適度にふりわけながら、35人分の器に盛り分けていく、というのが、至難のワザであることは、みなさん、想像に難くないでしょう。
深いおたまで、これまた深い缶の底をかき混ぜながら、スープと具を、ちょうどよい感じに、ちょうど均等になるように、と努力をするわけですが、1杯目は具たくさんになってしまうことがあるし、35杯目というのは、頑張ってもやっぱり、薄いスープのようになってしまうわけね。
最初は、具ばっかり見えるから、具が本当にたくさんあるんだ、と思ってしまう。
また同時に、どうすくいとっても、深いお玉にガバッと、これはもう、不可抗力という状態で、具がたくさんのってしまうのです。
これをば、少し減らしつつ、というの、とても難しいです。
だって、給食を盛り付ける時間って、たったの5分から10分程度ですよ。
当番の子たちがフル回転したって、それ以外に牛乳を配る、おかずをくばる、ごはんをくばる、よそっていくだけでも大変なことなのでして・・・。
つまり、結果として、具が大盛りたっぷり、という子と、具、すくなー、という子に分かれてしまう。
見ているとですね。
これはまずい、薄すぎる、具が少ないぞ、ということが、残りの10人くらいになるとだんだんと分かってきます。
残り5杯、という状態になると、いやあ具がほとんどないぞ、という、さしせまった状況。
すると、多そうな子のおかずを、もらいに出る部隊が自発的に生まれましてね。
「ちょっともらえる?」
とか言いながら、ちょっとずつ、みんなから具を分けてもらっている。
その間、
「とりすぎだ!」みたいなことが、まったく起こらないわけ。
「おれから取るなよ!」
「こんな薄い汁、飲めるか!」
で、この光景を見ていた特別支援の先生が、
「礼儀ただしいですよね」
と言い、
「新間先生は、礼儀をきちんと躾けていらっしゃるから」
のようにおっしゃった。
別にわたしゃ、礼儀を教えた、躾けた、という実感はないため、
えーっ・・・
と思う。
(礼儀を躾けたっていうの、ちっとも分からんな。自分ではそう思ってないな)
こういうことって、子どもたち、「礼儀だから、分けてあげよう」と思ってやってるのかな。
そうじゃないように思う。
これはね、つまり。
仲が良いからなんだと思うね。
要するに、仲が良い、ということが、本当にさまざまな人間関係のストレスを、あっという間に解消する。
仲が良い、ということを、本当に実感したことがないと、このことは頭では絶対に分からない。
友達のことが、大好きになるってこと。
これが、クラスがまとまるための、子どもがやる気になるための、たった一つの方法ね。