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たまには、うんと個人的なことを。

中年になってきたせいで、ちょっとした変化を味わっている。
それは、年下が増えた、ということ。

ちょっと前(笑)のことを思い出すと、タクシーの運転手さんはほとんど
自分よりも年配であることが決定的であったし、
電車の駅員や、お店の人もほとんどは、自分よりも年上、というのが当然でした。

ところが、ふと気づくと、駅員さんが同年代になっていました。

そのことに気付いたときは、ちょっと衝撃でしたね。

「おお!たぶん、同い年くらいやな・・・。がんばっとるな~」

役所の受付する方が、自分よりも年下だろう、と思えた時も衝撃でした。

「お、年下や・・・。昔は当然、年上が出てきたけどなあ~」



職員室でも、ちょっと前までは(笑)わたしは、若手だったのですが。

今の勤務校では、わたしは中堅、となっています。
さらに細かな分類で言うと、なんとなく、中堅よりも古い部類、という厳しい範囲に入ります。


で、話はここからなんですが、わたしはうんと昔から、タメ口(ためぐち)で話すことが多かったのです。
それはなぜかというと、世間一般のルートとは違って、高校卒業したものの、
まともに就職しなかったからでしょうか・・・。

また、厳しいと言われる学生寮での生活を体験し、むちゃくちゃ先輩にしごかれて、
最大限に丁寧な敬語で寝言が言えるくらいに(!)、きびしい「敬語生活」をおくったものの、その内情は、とても強い仲間意識に支えられていて、形や見かけは敬語でも、心の中ではタメ口だったからだと思います。

それで、最初に就職した場所でも、タメ口が基本で、なにも問題が生じなかったので、
今でもそれが本当の意味のわたしの性分になってしまっているわけです。

とはいえ、ふつうに社会人として暮らしているわけですから、教員になって敬語を使うのは当然なのですが、心の中では、本音はタメ口なのです。

気を付けているのは、気を抜くと、年配の先生にも敬語でなくて、タメ口で話してしまうことがあることで・・・。

礼節は何よりも重んじておきたいと思うとともに、自分がちゃんと世界中の誰とも平等で接することができるか、勝手に相手の虚像をつくってみたり、イメージ操作に振り回されたりしないで、人と人とのまったく健康なお互いの関係を築けていけるか、← ずっと、肝に銘じておきたい、と思う。

本当の本当は、真の礼儀とは、相手を上にも下にもみないことだろうか。

(中身がまず第一で、・・・ため口がどうとか何とかは、その次なんだろうケド・・・)

アルマジロ、大・中・小。 ← お互い、大きさは違えど同格な三者。
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