前回からの、つづきです。


さて、そうやって責め合わない学校ができると、どうなっていくか。

そこから先を、想像していくのが、これからの仕事です。

だって、まだ、人類史上に、そんな学校の姿を、

きちんと想像した人は、

だれもいなさそうだから。




だれも責め合わない、という前提の「想像」が、これからなんです。

で、たぶん、ものすごい、大仕事です。

頭が、ずいぶんやわらかくなくちゃいけないから。


どうでしょうか。

ともかくも、

他を責めることのない人間関係を構築するのが、

目的となっている学校を設立するのって、どう思います?


無理か、むりでないか、でなく。

まず、どんなものか、と想像したい。




決して、他を責めない、ということに最大の価値をおく。

そこにこだわり続けるシステムを構築すると

どんな学校ができるのだろう?



そして、その上で、あとは、個々人の子どもたちの、一人ひとりの、

能力を伸ばしていく。



うまく、想像できない。

多分、世の中から、そうとう、ずれてしまう。

今は、「いろんな能力が高く、態度のでかい、実行力のある子が良い」

となっているからね。

事柄を、やる、進めることに価値を認める社会だから。



ところが、この新しい学校では、

「事柄以前の、人と人との間柄を構築することの価値」

を、優先することになってしまう。



どうなるだろうか。



まったく、未知の、想像もつかない、新しい学校の姿。

だれも、まだ、想像すら、できない。

想像すら。

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