元エンジニア・新間先生の自問自答ブログ

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

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「会話力」が抜群な女性に会いました。

『会話力』←とっさに、頭に思い浮かべたフレーズなんだけど・・・、

今朝会った人が、会話の力(ちから)がある人だったの。

力(ちから)と言うか、癒しというか・・・。


しゃべっているだけで、ふんわりと、しっとりとした時間が流れていくような。






御年、80歳なんだそうだ。

場所は、地域の「ごみ集積所」

私の住んでいる地域は、ごみの集積を工夫していて、

半年に一度くらいの当番で、2人ずつ、交代で見張りに立つのです。

町会がかなり広い範囲なので、たーくさん、朝になるとゴミが集まってくるわけ。

近所の人たちが、車や自転車で勇んで運んでくる。
かなり、手間だろうと思うね。

都会のマンションなんかだと、ごみを集めるシステムが進んでいるから、家の前とかでスポン、と投げ入れたらシューっと集積所に集まるなんていうマンションとかあるそうだ。


そういうのに比べると、わざわざ家から遠く離れた集積所まで、ゴミ袋をもって運ばなきゃいけないんだから、大変だよねえ。

しかし!!
そういう仕組みにしたおかげで、カラスが激減。


ごみが散らかることもなく、観光客が歩いていても、そもそもごみを集める場所が一つしかないから、ゴミそのものを、ふだん目にすることがない。

町全体が、きれいなイメージで、保たれているわけ。


集積所にね、朝行ってみました。当番だったから。

見張りと言うとなんだかアレだけど、要するに、その場をきれいに保つだとか、分別がうまくいっていない場合にちょっと手伝うとか、当番の仕事とは、そういうこと。


当番は二人制。

もう一人は、私より先に来ていらした。

おばあさんが、よっこらしょ、という感じで座っていらしたから、

「おはようございます」


とあいさつしたら、お婆さんもこちらを初めて見るのに、深々と挨拶された。

ちょっと恐縮しましたね。



さて、時間になると、地域の人がごみを捨てに来るので、いろいろとゴミ袋が倒れないようにしたり、記名を確認したりするんだけど・・・。


それでも、間に5分ずつくらい、だれも来ない間があきますわね。

自然とその方と会話が始まるわけ。



「まだまだ、寒いのが続きますねえ」


なんていう季節の話から、数年前の大雪の話、山がきれいに見える話、いろいろとしゃべっていた。



山本さんとおっしゃっる、お婆さま。
とても、ボキャブラリーが豊富な方だった。

会話の中で、なにか、常にこちらを慮るような、配慮を感じる。

とりわけ、相槌が、上手だ。

「そう、そう、ね」

というのが、山本さんの口癖だった。


山がきれいだ、というと、

「そう、そう、ね」

と言いつつ、

「冬の朝なんかはね、山の方が太陽で照らされるでしょう。とても素敵よね」

ほんの少し、こちらの話を、盛り上げようとしてくれる。

でも、饒舌ではないから、

自然とこちらが話をリードする展開になる。


私の息子が小学校に行っているというと、

こちらの話の呼吸を見ながら、

「今は、なんだか、図書袋だとか、上履きを入れる袋だとか、色々と要るのですねえ。

私等の頃には、教科書と筆筒だけあればネ、それでよかったんだと思うんだけどねえ」


もう70年も前の話で、と笑いながら、おっしゃる。


なんだろうか。

会話のテンポが、すこぶる心地よい。


山本さんは、中学校の頃、雨の中をずいぶんと歩いて岡崎の山を遠足で歩いた、ということをお話された。

「いやあ、途中で雨が降ってねえ・・・、あの当時、先生たちも気の毒だったろうねえ。

駅までみんな、黙ーって歩いてねえ、ほほほ・・・。

散々な思い出なんだけど、それでも遠足にみんなで行ったんだ、というのを思い出すだけで、なんだかいい思い出だわ」



家もビルも工場もない、当時の岡崎の村の様子が白黒の写真のようにわたしには見えるような気がした。

「健脚(けんきゃく)という言葉がありますでしょう、ねえ?当時は何にも歩くよか、ほかにしょうがなかったから・・・。

だからみんな、何も言わないけど、足はずいぶん鍛えられたんだと思うんですよ。」


決して早口にはならない、明るいが、ていねいなテンポで話をされる。

「苦労もしましたけど、足が強かったから、平気でしたねえ。

買い物もなんでも、平気で歩いてしましたよ。若いうちですよねえ、あなたも、登山など、どんどんされたら・・・」



話題は、たくさんあった。
私が都会から越してきたんだ、というと、

「都会は都会で、いいところがたくさんあるのでしょうねぇ・・・憧れるところもありますよ」

なんていう。

80歳のおばあさんが、都会に憧れるって・・・。


他にも、山本さんは、時折、話の中に、ドキッとするような言葉をちりばめた。

「健脚」(けんきゃく)
「滋養」(じよう)
「斟酌」(しんしゃく)

わたしは、なんだかこういう言葉を使われるおばあさんに、ふと吸い寄せられるような感じを受ける。

昔なつかしい、というのとはちがう、

なんだか、とても健全な、健康な、力のある言葉を感じ取る。

言葉に、力がある、ということ。




80歳のお婆さんと話をして、いいことは、もっとたくさんある。

当番の仕事が終わり、別れ際、山本さんは安堵の笑顔になって、

「あらまあ、楽しい話をしていたら、あっと言う間に終わったわ。あなたみたいな若い人から、元気がもらえて本当によかった」

と言ったのである。


若い人、ですよ?!


ひさしぶりに言われた!!!!!(うれしい)


つまり、ふだん子ども相手に過ごしていて、なんだか自分がずいぶん年上のような気がしていた私のような職業の者は、

おそらく、三か月に一度くらいは、

80以上の年齢の方と、リハビリをかねて、会話を楽しんだ方がいいのであろう。


そうして、人間の平衡を取り戻すというか、バランスをとった方が、なにかと精神衛生的にも、良いのではあるまいか。

自分が、年下になって、若い気分を存分に味わえる機会は、めったにないもんな。
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