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正月、ゆるゆるとNHKばかり見ていたら、
「100分 de 名著」という番組の正月特番をやっていた。

MCがタレントの伊集院光さん
なかなか分かりやすく、論点を整理してくれるので、頭が疲れた夜でも見られる。

話題は、「日本人とは何か」
どんな名著が紹介されたかというと、
松岡正剛(編集工学研究所所長):
「いき」とは「生き方」九鬼周造『「いき」の構造』
赤坂真理(作家):
モノを恋う感受性とは?折口信夫『死者の書』
斎藤環(精神科医):
日本の中心は「空っぽ」河合隼雄『中空構造日本の深層』
中沢新一(人類学者):
「無分別智」こそ日本の強み」鈴木大拙『日本的霊性』

ざっと、以上のような感じ。

番組の趣旨は、さまざまな視点から名著を読み解くことで、「日本人」について多角的に考察する、というもの。

①九鬼周造「『いき』の構造」からは、日本人の美学を。
②折口信夫「死者の書」からは、日本人の感受性を。
③河合隼雄「中空構造日本の深層」からは、日本人の心のかたちを。
④鈴木大拙「日本的霊性」からは、日本人の根源にあるものを。

名著を手掛かりに、各分野の一線で活躍する論者の視点から読み解いていった。



どれも興味深かったが、とりわけ、③河合隼雄「中空構造日本の深層」が面白かった。

河合曰く、

日本人は、思考の中心に頑固な柱を持たないことで、「柔軟対応ができる」良さを持つ。
ところが、悪い点としては、柔軟に対応しようとする姿勢ゆえに、「どんな内容でも、まずは受け入れていこうとするので、強い断定口調の場合は、とことん染まり切ってしまう時がある」のだそうだ。
先の太平洋戦争で軍部プロパガンダに世間の空気が靡いていったのは、この「悪い点」が出てしまったのだ、という。

断言口調に要注意だね。
つまり、単細胞の思考はダメだ、と。
A、だからBだ、というキメツケ思考で一度になびいてしまうところがある、ということか。

次に面白かったのは、④鈴木大拙「日本的霊性」
ここに出てくる、「霊性」という言葉は、とある解説によると、

二元的思考様式を超越するための戦略的な概念

だそうだ。
となると、これは③河合隼雄「中空構造日本の深層」にも関連する。
河合は、日本人の心の深層は、よく例に出されるところの、正←→反 および 合(昇華) という二元論発展系ではなく、最初から最後まで、ずっと常に、3つの連携(関係性)が保たれたまま、変化し続けるのだ、という。
そして同様に、鈴木の「霊性」という言葉もまた、このAかBか、という二元的思考を超越するための手掛かりとしての言葉だそうだ。

いずれも、AかBかという単細胞発想ではダメ、というところから出てきたものだ。
鈴木は、「宗教」、というのでなく、「霊性」という言葉を使ったところが面白い。
鈴木は宗教家だから、これもまた宗教を扱った宗教の本かと思ったら、案外と逆で、「霊性」は「盲信」を排除したもののことで、哲学の世界にまで意味を押し広げている。
宗教家なのに、なぜなんだろう、と思ったら、大拙によると「禅」は生き方であり、どうやらいわゆるところの「宗教」ではないようなのだ。今の現代人が使う「宗教」という言葉は、もはや、大拙の「禅」には大部分、当てはまらない。

大拙はこのような「霊性」が日常生活においていかに生きられるかという問題について、浄土宗の在家信者である妙好人(みょうこうにん)を例にひきながら論じている。
ここに登場する、妙好人・浅原才市(1850-1932)の詩が興味深い。(「口あい(くちあい)」と称せられる、信仰を詠んだ自作詩のこと)

才市の言葉の世界は、たいへんに豊かで広く、量も多い。
面白いのは、なむあみだぶつの世界が、わかる、わからない、という二元論で論じられることがないことだ。
仏の世界は、見えたらただそれだけ、というものであり、見えても見えなくても、真理に包まれているのが正体で、まるでなんということもない、というのである。
まるで特別なことはなにも無く、分かった、特別だ、と思っているのであればそれは思い上がりだとした。

ある人が才市さんの肖像画を描いたところ、才市は一つお願いしたい、と言って、

「決してきれいごとに見えてはいけないから、おれの頭に角を生やしておくれ」

自分は何かができるようになったわけでもなく、わかるようになったわけでもないのであり、ただひたすらそのままの人間なのだから、見た目をきれいにしてくれるな、というのであった。

出来上がった肖像画は、才市の人柄を映し出したように、柔和で日々を喜び生きるそのままを現したようであったが、やさしい顔に、小さくユーモラスな角(つの)が生えている。

石見の才市さん


中沢新一は、こうした鈴木大拙が見出した「禅」の世界観、日本的霊性の世界観を手掛かりに、おそらく次に我々日本人がバージョンアップすべき心性、世界観が見えるはずだ、という。

番組では、これらの話の流れから、総じて日本人が見出した世界はどんなものか、これからの時代に見出していける世界はどんなものか、と発展していくのだが、

精神科医の斎藤環さんが、鈴木大拙の言う<無分別知>について語ったのが、

「今の現代人が、たとえば、自分のやりたいこと、というものを見つけられないのは、分別知で考えることが多いからかもしれない。やりたい、というときに、分別知だと往々にして、義務感から発想していることが多いから」

ということを言っていた。

たしかに、実は人と人とのつながりにおいて、なにかすべきことを見つけたとしても、せいぜい義務観念か、自分よがりの衝動感覚的なとらえだけでしか見られない。何をやるにしても、〇〇のためにやるんだ、というものが必要になっているし、声高に、「おれはぶっちゃけ、ずっと前からこれがやりたかったのだ」と叫ぶ行為で意味づけしようとすることがある。

番組の後半は、中沢さんががんばってしゃべっていて、大拙の<無分別知>がとても大きなキーワードになっていた。

曰く、
日本人は、古来からの精神の<中空構造>の良さを生かしつつ、種々諸々の素材を受け入れながら、この<無分別知>を活用することによって少しずつ進んでいくのがいいのではないか。
このやり様は日本人が用いてきたものであったが、これまで長い間、ずっとあまりにも無意識だったので、世界中の国に対しても、自分たちのスタイルとしてそれを説明することができてこなかった。

これからはそれを意識してやっていくことで、これが日本の「国づくりのスタイル」なんだ、と堂々と伝えていくべきなんじゃないか。それが、今の日本人がやるべき、

日本人の心性の「バージョンアップ」

なのではないか

ということであった。




おまけ。
単一頑固狭量思考と複層的思考のちがい。
例題)「手を挙げたから先生に当てられた」は単一頑固狭量的か複層的か。

↑ 中学生くらいになれば、こういう授業ができそうだなあ~。