元エンジニア・新間先生の自問自答ブログ

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

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「叱らない」というと、ほとんどの人が、無理、と答える。

無理だから、やらない。

あるいは、極端な人は、

「叱らないなんて、間違った方法だ」 と言う。




『叱らない』

をやってみれば、教育問題がタダで解決する。




まず重要なのは、叱らないと、子どもが言うことを聞かなくなり、勉強をしなくなるのでは、という間違った思い込みだ。

逆だ。

叱らないと、子どもが自ら自発的に行動するようになり、今、周囲から求められることに自然に反応して動くようになる。そして、勉強をするようになる。


このことは、やってみればごく自然に当たり前のこと。ちょっと考えればいいだけ。

叱られて、しぶしぶ言うことを聞いて、勉強をしている状態を想像してみればいい。
叱られて仕方なくやる勉強で、効率よく進むはずがない。



錦織圭選手が、額にしわを寄せて、眉をひそめながら、悲しい顔で、コーチの罵声を浴びながら練習した、という話、聞いたことが無い。

考えてみれば、当り前のこと。
それで、テニスが好きになるわけがないものネ。


桑田真澄さんは、

「体罰はまったく意味がない」

と言う。

理由はいくつかあるが、最大の理由は、それで強くなるわけではないから。

落合博満さんも、明確に、体罰を否定する。

理由はやはり、それでは選手が強くならないからだ。


ところがネ。

体罰で強くなる

ということを信じる人が、実際には、いる。

同じように、

叱ることで、子どもが伸びる、という、旧態依然とした考えが、まだまだ教育界に色濃く残っている。



叱らないことの副産物は、いくつもある。

○子どもは大人に恐怖を感じないから、何でも素直に話すようになる。
○子どもが「外面的・見た目的・一時的な評価」を気にしなくなる。
○子どもが、学校を好きになる。
○子どもは、人と人とは、恐怖でコントロールしあう関係がふつうなんだ、とは思わなくなる。
○子どもが大人の目を盗んで、表は「良い子」のポーズをとり、裏で反社会的、非社会的行為に耽る、ということがなくなる。




大人がキレるから、子どもも、

「ひとは、キレるのがふつう」

と思い込み始めている。

そして、子どもどうしで、お互いに傷つけあうようになる。



「叱らない」をやるには、かなりの準備が要る。

準備もなしに、いきなりは、難しい。

かしこく、準備をしていくこと。


まず、準備!
何よりもとにかく、準備が要る。


コスモスブルー
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