元エンジニア・新間先生の自問自答ブログ

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

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「コミュニティ・スクール」は、なんだかとても大きなお世話、というような運動であります。

学校が地域のために、という言い方があるけれど、そんな思い上がった態度、地域住民からしたらまったく

「要りません!」

といいたいネ。

また資料によっては、正反対の表現で、

地域が学校のために

という言い方をしているけれど、地域は地域ですでに自治組織が機能しているから、いまさら学校のために、なんてこと・・・べつにやらなくてもよくって?(あるいは自治組織が崩壊している場合は、なおのこと、学校のために!なんてことできない)

自治会として地域のことは地域で、条例化することは条例化し、住民はみんな、お互い様、神社の夏祭りでも力を合わせるし、消防団も組織しているし、お互いが自由にやっているんだから、なんで今さら、『学校』を中心に・・・なんて、しなきゃならんの。

そもそも、コミュニティスクールのイベントって、子どもが利用されて、大人の都合で働かされるイメージ強いから、はやく廃れるべき、と思う。

どれもこれも、子どもの姿はなくて、大人のアイデア「やりたいこと」ばかり。

子どものため、という名目でやっていることは、ちっとも子どものためになんてなっていないのだから、子どものために何かする、というのは、一切、ヤメ!!!にしてもらいたい。


イベントが好きで、何かやることがいいことだと思っている人が、

みんなが笑顔で喜んでるからいい、という理由で、

活躍の場ができるのがいい、という理由で、

子どもも「お役に立てている」からいい、という理由で、

子どもがやりたい!と言っているから、という理由で、

なにをやっても、

すべて、ムダ仕事!



「子どものため」のコミュニティ・スクールを、10年やっても、20年やっても、30年やっても、

ぜったいに子どものためには、ならない。






どう?この毒舌。

(たまには、毒も吐かないとネ!)

さみしさは とおりすぎたる 夏の朝
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