.
子どもを叱るときに、

フッ!! と 勢い良く、

湧き出てくる強い感情、
怒りに似た、
なんでだ!と強い要求をするような、
言うことを聞け!と願う気持ちがMAXになったような、
天に代わって成敗するような、
あの、

つよい気持ちってあるでしょう?

これって、他の子どもに対してよりも、自分自身の家族、わが子に対しての方が、よりつよく、はっきりと出てくる。

他の家のご主人が日曜日いくらゴルフに行こうが、まったく気持ちはびくともしないが、うちのダンナがゴルフに行くと聞けば事情がちがって、「なんでだ!」というムカムカした気持ちになり、すぐに大きな声が出てきて、怒髪天を衝く、となる。

身内⇒つよく出てくる
他人⇒あまり出ない


ということから、
おそらく他人にはある程度のセーブがきき、
身内には遠慮なく、怒ることができるのだろう。

これ、どっちが楽かというと、
セーブせなあかん、という遠慮世界は本当に苦しく、
セーブしなくてもよい、という正直世界が楽ですよね。
つまり、

身内⇒正直⇒楽
他人⇒誤魔化しセーブ⇒苦

なのだろう。

どっちが幸せか、と言ったら、

誤魔化さないで生きた方が楽で、人間本来が幸福に生きられる道。

これについては、ほとんどの方が納得されるのではないか。



さて、身内に対してなら、遠慮なくそのままの気持ちが出せるので、

「叱る(ムカムカしながら)」

ということがある。

ムカムカ腹を立てる、ということを、

よくないこと

だとすると、その先はもう、一切考えることができない。
小学生のころ、

「バッチイから、砂場に落としたキャンデーは、食べちゃダメだよ」

という「言いつけ」を守るのと、そう変わらない世界の話である。

よくないことはしちゃいけない

と、教えられて育ったから、「そうなんだ~」と思って育った人、多い。
特に、教師には、とても多い。

同業の若い方から、

「腹を立てて子どもを叱るのは良くないですよね。でもつい叱っちゃうのですよ。本当にすみません、新間先生!」

というメールをたまにいただくことがあるけれど、

しかし、それはもうすでに、思考停止の状態とさほど変わらない世界の話で、

「しちゃいけないからしません」

ということでは、話は終わらないのです。

戦争が、

「戦争はしちゃいけないから、しませんよ」

ということでは、無くならないのと同じレベルで、

「しちゃいけないから、しません」

というのでは、何も解決しないのであります。




ちなみにこれは、私が、とある山奥の、とある場所で、そこの管理をなさっているご年配の方に特別にお願いし、撮影させていただいた、特別な「掛け軸と書」です。
子ども叱るなの掛け軸

子供叱るな吾来たみち
老人笑うな吾行く道

これを見ると、

「子ども叱るな」

と書いてあるから、禁止、ということなんだろう、と考える人がいるかもしれませんが、
ここには、「禁止」というニュアンスは、あまり感じないのではないでしょうか?


ただ、叱るな、という言い方、書き方がしてあるので、誤解を生みやすいですね。

叱るな、ということではないのです。

「叱らないでもOK」

ということなのです。

叱らないでも、ムカムカ腹を立てないでも、

まったく差支(つか)えが無い


のです。



・・・でありますから、本当は、このブログのタイトルは、

「叱らないでもいいですか」

ではなくて、

「差支(つか)えが無いのですが、いいですか」

が本当です。

まあ、

差支(つか)えがあって当然で、差し支えがあってよくて、

なんで差し支(つか)えるか、と考えていって、思い込みが外れると、

アッ

なんだ

差し支(つか)えていたと思ったけど、差し支(つか)えていなかったな

差し支(つか)えなくてもいいのだな・・・

あら?

なんで差し支(つか)えていた、それも相手に対してつかえていたと思ってたんだか・・・

お?

自由!

どこまでも、いつまでも。
人に寄り添い、添い遂げる道があるわ。

むっちゃ安心!

これは楽だわ。

人間、別に、差し支えることなんて、ないんだな!!


世の中みんな、さしつかえる、としてるけど、さしつかえないな!!
これまでずっと、腹が立つのは相手のせいだと思ってたけど・・・






許せ、ということではないよ。

同格!