困らない叱らない。新間草海(あらまそうかい)の教室日記

漂流する人生からつかんだ「困らない」生き方とは。
転職を繰り返し、高卒資格のまま小学校の教員になった筆者の自虐スナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

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ひとりぼっちにでも、虫さがしはできる。

怪我をして、動けなくなった時。
あなたがもし、散歩くらいならできる、というんだったら、虫さがしはできる。

友達がみんな、「忙しい、忙しい」と言って、会えないときでも、
あなたは一人で、虫さがしができる。

予備知識がなくても、虫探しはできる。

時間がないときも、5分間だけ、虫探しはできる。

どこかに出かけなくても、家のすぐ前でも、虫さがしはできる。

お金がなくても、虫さがしはできる。

雨がふっても、雪が降っても、虫さがしはできる。

二人いても、虫さがしはできる。

それが、五人になっても、十人に増えても、仲間みんなで、虫探しはできる。



夜明け前、しずかな池の縁に腰を掛けて、

あなたは、

ひっそりと、恋人同士で、虫さがしができる。


早朝でも、真昼間でも、夕方でも、夜遅くでも、いつでも虫探しはできる。

補虫網があっても、なくても、どちらでも、虫探しはできる。

カメラも図鑑も無くてもいい。

虫の名前なんて、知らなくていい。

自分で勝手に名前をつけてもいい。





3歳でも、虫は探せる。

おばちゃんでも、虫探しができるし、

老人になっても、虫は見つかる。



世界中のどこにいても、

人はだれでも、

虫探しができる。



虫は、

ロシアの湖にもいるし、モンゴルの砂漠にもいるし、

ピラミッドの見えるカイロの露店にもいる。

もちろん、オーストラリアやドイツの森の中にも、ブラジルのオレンジ園にもいる。


パプアニューギニアの、村人の暮らす家にも、昆虫はいる。




虫探しが究極にユニバーサルな、万人に開かれた趣味行為であることは、前にも述べた。




虫の名前は、だれもが、自分で、好き勝手につけるのがいい。

うちの息子は、ビロウドツリアブに、「ピノコのアブ」という名前をつけている。

昨日も、昆虫合宿で、黒と白の縞模様でできた、シャクトリムシを、

「ゼブラ・エダシャク」

と呼んでいた。

なぜなら、背中の色が、黒と白の交互、縞々の、シマウマ模様だったから。



こんなふうに、虫を、心のままに追いかけている人たちがいて、

なんだか、心にあった重いものが、すっかりとれて、ストレスまでどこかに行っちまう。

心が、透きとおって、風が吹きぬけていく。

心がからっぽになるって、なんて身軽なんだろう。

肩の荷をおろせば、心は自然に還ろうとする。




昆虫合宿、おすすめ、です。



風がふくと・・・
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