「ぼくが不登校になったとき、自分の口から出るのは「水色の声」だった。親は「赤い声」でガンガン攻めてきたので、ぼくはチックになった。ある時親が「緑色の声」に変わった。それから気分が良くなった。色々な夢を考えられるようになって、やりたいことが見つかった。学校に行くようになって友達とも遊べるようになった。 」


声の質や内容のことを、「色」で表現していますね。

これは、「叱らない子育て」で有名な、尾木ママさんの本の感想として、書かれたものの一部です。


声に、色を感じる人がいる、ということ。
これを知ると、なるほど、と思う。

<色>というのは、すごいツールだと思う。
世界に、いろいろと色がある、ということは、本当にとてもすごいことだ。

このことを子どもにしゃべっていたら、こんなことを言う子がいた。

「わたし、国語はピンク色で、算数は青って感じがする」


わたしは、びっくりした。
おお!この子も、なにか事柄やイメージを、色合いで理解する脳の持ち主なのか?

爆笑問題の田中さんは、文字を色で把握している、と告白していたことがある。
田中さんは、

「昭和と言う文字は朱色に見える」

と話していた。

物を食べると手に形を感じたり、痛みに色を感じるなど、いろんな感覚の混線を「共感覚」というらしい。

たとえば、音楽や文字に色を感じる。
こうした感覚を持つ人は、200人に1人と言われている。

音楽の、<調>に色が見える、という人もいる。
ハ長調は白、ニ長調はオレンジ、ホ長調は緑、などという。

脳科学の進歩により、次第に共感覚の正体が分かってきた。音楽を聴いている時、共感覚を持たない人の脳は、聴覚野しか働いていないが、共感覚を持つ人の脳は、聴覚野と同時に、色を知覚する領域も活動している。

ムンク、リスト、宮沢賢治も共感覚があったとされる。



さて、

「わたし、国語はピンク色で、算数は青って感じがする」

という子。



よく見てみると、その子の国語のノートは、表紙がピンク色で、算数ノートの表紙は、青でした。





・・・色って、そのことかよっ!!

・・・チャンチャン!!


結論:子どもは大人ほど知識に頼らずに世の中を把握しようとしているので、国語、という瞬間にさっとピンクをイメージし、算数、と聞いた瞬間にブルーをイメージする、というようなこともあるのだろう。そして、それは、本人にとっては、大変に重要なことで、そのものの本質を把握しようとした結果得られた、素晴らしい能力なのだろう。
子どもと大人が話をする時に、なにかズレが生じたとする。実は子どもの「本質のとらえ方」を大人が理解していないせいだ、ということはないだろうか?



わたしには、この山が赤く見える。共感覚か?
(いいえ、ただの、ふつうの感覚です)

モルゲンレーテ