本当に思っていること、感じていること、それを本音というのかな。
本音がそのまま、あたたかく(?)、受け入れてもらえたら、安心だよね。

「本音を拒否される」という状態がつづくと、安心は、きゅうに冷えて、小さくなっていく気がするな。

楽しくなくなり、

笑顔がなくなり、

<笑い>が変化して、<嗤い>になっちゃう?

どうしても、笑えなくなる顔になっちまうね。

閻魔様が不思議そうに見て、

「地獄へ行け、と命令されたのに、なんでお前は嗤ってるんだ?」

と言うかも。

劣等感や勝ち負け意識で生きてこなかった人は、閻魔様の前でも、<裁き>の意味が分からないから、閻魔様に堂々と言いたいことを言えるし、鬼の前で、妙な「つくり嗤い」もしないだろうな。



「本音」を大事にするってことが、教室では至極当然になっている。

何にしても、「本音」を聞き合う。



それができるためには、決して、非難しないことが条件だと思う。

非難しないってことが、安心して理解できるから、だから、本音を言う。



本音、ホンネ。

「本音が言えるクラスにすること」

という、教育委員会からの命令が出ないかな~。

どの先生も、みんな悩んで、むっちゃ、面白くなると思う!!

本音って何だ?

安心って何だ?


ってところから、みんなで議論しないといけないからねえ。

いいこと思いついたなあ・・・!!