NAT(Non-anger teacher ⇒ノン:アンガー:ティーチャー)とは、
子どもを脅迫しない先生のことです。
たとえば、怒りをぶちまけ、大声で叱責する、などということがない。

すでに、全国にたくさんいらっしゃると思います。

こうした先生を育てる教育プログラムに、
「NATプログラム」がある。
目的は、「怒声や罵声はもちろんのこと、怒りから派生するすべての教育的行為の見直しをすすめ、大人と子どもがともに安心できる日常を取り戻す」こと。



Q&A



【質問】子どもは叱ってこそ言うことを聞くのであって、叱らない、ってのはまずいのでは・・・?

【回答】叱る、という言葉には解釈がいくつもあり、親や大人の願いを静かに諭すように言って聞かせる、ということを「叱る」と解釈する方もいらっしゃるようです。NATプログラムでは、「叱るのは間違い」だとか、「叱らないことが正しい」などというように、決めることはしません。



【質問】脅迫したくらいの方が、いうことを聞きませんか?

【回答】脅迫は副作用があります。よく効く薬は副作用があるかもしれない、ということに似ています。一見、一時的に効いたように見えても、しこりがのこるものです。その<しこり>が、思わぬ形で、また、予想もできないくらいに長期にわたって残っていたという残念な事例もあることから、副作用のない教育をめざし、「脅迫」という手段をとらないのです。(そもそも言うことを聞かせるために子どもを育てているわけでもないですしね)



【質問】しかし、思わずカッとなるような言動を、子どもが目の前でした場合は・・・?

【回答】それこそ、NATプログラムで考えたい事例です。ぐっと押さえつけて、怒りを出さずに我慢する、という方が多いかもしれません。しかし、本来の大人と子どもとの人間関係に立ち戻ることができれば、双方に「我慢」が不要になります。



【質問】あまりにも浮き世めいた話で、眉唾な気がします。カッとなり腹を立てることは人間の自然本来の心の動きですから、それを抑えるなんてのは、逆に不健康ではないでしょうか。

【回答】NATプログラムは、カッとなるからダメ人間だとか、カッとなることは人間の自然のことではない、という考えに基づいたものではありません。そもそもダメ人間はいないし、怒りは人間の感情に、ありますから。自分の胸に手をあてて、振り返ってみれば、「怒り」が自分にあることを知ることができます。少なくとも、わたしはそうです。ただし、それを抑えようと努力するのではなく、「怒り」のメカニズムを解明したり、自分の「ねがい」を感じとることを通じて、結果として、「腹の立たない」人間になることは可能です。



【質問】それでも、クラスに手に負えないやんちゃ坊主がいて、うちの子に暴力をふるうなどの場合は、先生が怒って厳しく指導していただかないと困るんですけど・・・?

【回答】怒って厳しく指導すると、その時間中は一応おとなしくしますが、一時的な様子見、という場合が多いです。長期的にみると、かえって逆効果、という場合もあります。なかには、「オレにケチをつけた」という印象だけを強く受け、恨みの感情を長く持ち続ける子もいます(副作用)。教師の怒声罵声がきっかけとなってクラスが学級崩壊に進むケースもあり、ここは「ばかやろう!」と怒鳴ったらいいじゃないか、というのは一番まずい手だと認識してください。もちろん陰湿ないじめであっても、暴力であっても、多くの先生が即刻、止めに入るでしょうが、必ずしも「怒り」が解決の手段になるとは考えない方がよさそうです。
先生が怒りの感情を丸出しにし、怒声罵声で子どもを傷つけることで、無理やりにも「反省」させよう、というのは、おそらくもくろみ通りにはなりません。目的は、本当に子どもの中に、「しまった、もうやるまい」という決意を生むことです。それには「怒声」が必要、という旧態依然とした意見も一部にまだ残っているようですが、声がらは静かでも毅然とした、誇りある指導、というものもあり、そうした指導がもっとも効果的なのです。
強い印象を残せばよい、というのが目的になってしまいがちですが、印象を残せばよい、ということでないのです。脅せばよい、ということを言う人もいますが、脅したから、かえって、その子に本当に伝えたかったことが伝えられていない、ということが多いです。肝心なのは、伝わる、ということです。怒声と勢いと迫力、というのは、余計な情報、過多な情報となるだけで、かえって真に伝えたいことの邪魔をし、「わけの分からなさ」を感じ取る子どもたちも多いのです。(とくに刺激に弱いタイプの子たちには・・・)




【質問】なぜ、NATプログラムははじまったのでしょうか。

【回答】「脅迫」は人間の文化から、なくなってもかまわない、と思うからです。



【質問】怒りをぶちまける、大声での叱責が、「脅迫」に当たるのでしょうか。

【回答】病的な気がします。健康な子を育む小学校教育にはふさわしくないと思います。体の大きな大人から、小さな子どもに向けてぶちまける怒りと叱責は、「脅迫」に当たると考えます。



【質問】NATプログラムでは、「怒り」にどのようにアプローチするのでしょうか。

【回答】「怒り」を見つめていくことで、「心」をみつめます。「心」にあるものを静かに見つめていくことで、自分の中にあったたしかな「願い」に気付くことができます。カンタンなことですが、一人で徹底することが難しいと思われますから、サポートさせていただきます。



【質問】子どもを大声で叱責すると、罪悪感におそわれます。

【回答】大人が子どもを叱責すると、その行為を正当化する理屈付けをし、身の潔白を周囲にアピールする方もいれば、おっしゃるように罪悪感に襲われる、という方もいます。多くの方が、叱責⇒反省⇒また叱責⇒また反省⇒それでも叱責⇒ひたすら反省、という回路を進まれていらっしゃいます。NATプログラムでは、怒って叱責する行為への「反省」を求めません。「怒り」を見極めることで、本当に子どもに伝えたかったことが感じ取れるようになり、自分の心の理解が進んでいくので、「反省」の必要がなくなります。



【質問】NATプログラム・インストラクターになるにはどうしたらよいでしょうか。

【回答】この夏に開催される、第一回目の会合にご参加ください。