この2年間、いろいろと考えながらやってきたことを、まとめたいと思うようになった。

これまでもズバリと書いてみたかったが、遠慮してきた。
その理由は、わたしの「考え」は、まるで常識と異なっているし、多くのベテランの先生たちにも理解してもらえないだろう、ということ。
それから、100冊以上の教育書を購入して読んでみても、ズバリと書いてある本がなかったこと。ところどころ、共感できるところはあっても、回りくどいものや、テクニック・トレーニング法に偏ったもの、不親切なものばかりで、こうなったら自分で書くしかない、と思うようになったことが大きい。(誤解のないように追記しますが、世の中の教育書はすべて私の実践なんかよりもすごい高いレベルのすばらしい実践をたくさん紹介されていますし、すべて非の打ちどころのないものばかりです。ただ、私と「同じ考え」のものは無いというだけで)

本ブログでは書いてこなかったのかというと、そんなこともないのですが、かなりオブラートに包んだようにして書いてきたので、誤解をたくさんうんでいると思うのです。
書いてきたのは、日々のうちに実験しながら、これは何だと迷いながら、試行錯誤しつつ、取り組んできたこと。だから、ブログにも毎日のようにつづってきているものの、今となってはこれまでの表現やニュアンスに、未熟なものがあると思うようになった。もっとふさわしい表現や言葉があると思う。
今は、過去のブログにもとらわれず、書けるだけのことを書いておきたい、と思うようになった。

今後のスケジュール。

1)こうして本ブログで公開した後、賛同者を募る。
2)その中で、共同研究者、というような人が出てくることを期待する。
3)定期的に、自主的な勉強会を開く。
4)勉強会を通しての成果を出版する。



以下、しらべたいこと。
うちのクラスがなぜ、こうなったのか。

○「逆説」的教育
○「通じ合う」教育⇒さらにいいネーミングを考えたい
○叱る要なし
○きちんと聞ける、きちんと伝えられる
○「通じ合う」教育の新しい評価基準とは
○ユニバーサルデザインの心
○頑張らない子育て
○「仲良く」しない学級の仲良し
○「人権!」を叫ばない学級の心地よさ
○子どもとの信頼関係が決して崩れない理由
○もめごとがあればあるほど心地よい
○「人が好き」と言える子が育つ
○大人との「心理的な取り引き」を必要としない子が育つ
○子ども同士でガンガン交渉する子
○大人の意見をよろこんできく子が育つ
○日記になんでも書きたくなる
○日記が長文になり、コメントを心待ちにする
○儀礼やルールがなくても気働きのできる子
○「○○やって」というと「はい」とやる子
○嫉妬しない子
○よくしゃべるがピタリとやむ学級
○叱声を2年間必要としないクラス
○あまりほめないでも済むクラス
○「ほめられる」があまり必要のないクラス
○よく質問するクラス
○できない、わからない、が大事なクラス
○同じ学校のよく怒る先生には、心憎い気配りさえできるクラス
○反発のないクラス
○「反発」がみんなの願いへと昇華し叶うクラス
○一見、わがままなクラス
○言いたい放題のクラス
○担任の声が静かでも聞ける
○いじめの苦しさに向き合い続けるクラス
○よく泣くクラス
○ずっと泣いていてよいクラス
○給食の間も泣くことを尊重されるクラス
○問題行動があればあるほど幸せになるクラス
○通じ合うから「叱られた」と思わない子ばかり
○ないしょばなしのないクラス
○友達への悪口と年間通じて向き合う
○3年生で「嫉妬」を哲学する
○掃除が無言になってしまう(結果として)
○先生の話を聞きたがる
○先生の話を家庭でたくさんする
○家庭の話を先生にたくさんする
・・・


これがうちのクラスの「評価」です。
子どもが自分で書いたもの、私の実感、そして保護者からの声をまとめてみました。
すでに2月になっていますが、保護者から、
「来年も先生に担任していただくにはどうしたらいいのですか。校長先生に言えばよいですよね」
と言われています。
子どもも、年賀状に「来年もぜったいお願いします」と書きます。

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