新間草海の!!自問自答ブログ

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「困らない」生き方とは。
高卒資格のまま小学校の教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)


勤務校の本年の研究授業は、算数であった。
算数の研究を任された研究会のメンバーが構成され、主任を筆頭に、運動会以前から本当に週に何度も遅くまで会議を続けていた。

さて、その研究授業があり、本校は多くのお客さんでにぎわったわけで、その感想を。

まず、授業者はツッコミどころを用意すること。
そうでなければ研究の面白みがない。
というよりも、ツッコミどころのない授業をやっても、それに比する代案や以上のものを提言する力がないので、まあ、あまりおもしろくならない

そこで、研究授業はスコシだけ欲張るのがよい。
そこで、その高い山の途中か8合目までは登れたが、あと少しはちょっとむずかしい課題でした・・・というのが最高の落とし所と思う。

でもまあ、本当なら8合目までが目標としてよいところなので、それで授業者は満足すればよい。
でも、研究会としては、あとののこり、頂上までをどう工夫していくか、というところで盛り上がることができる。

本校の研究メンバーではなかったので、なんとなく外野からの意見になってしまうので引け目もある。
授業者や研究メンバーではもっと深い所まで話し合っているのではないかと思うので、むしろその話し合いの実際のところを、ぜひ聞かせてほしいと思う。

大概の研究会では、研究メンバーは
「みなさまの忌憚のないご意見をお聞かせください」
と頭を下げているだけで、意見を言わない。

これはなんだか惜しいと思う。
むしろ、こんな研究をして、迷って、決断して、いろんな要素を入れて考えて、こうしてきたんだ、ということをぜひ語ってほしかった。
資料からだけでは、なかなか伺えない。

なぜこういうことを思うかと言うと、すべて研究会のことが終了してから、ホッとした表情の研究メンバーと、職員室に遅くまで仕事で残ろうとしているメンバー数人でお茶をのみながら話をしていたら、

「あんな意見が出たけど、すでに検討済みだよなあ」
「ねらっているところがちがうんだから、見当はずれもいい所だ」

というような意見も出たのですヨネ・・・。
ありゃりゃ。

いや~、だったら、それをその場で言ってくださいよネ!!


・・・と思ってもみますが、どうやらそれでいいらしい。
一方的な講座や講習のようになってはいけない・・・からだ。

また、私なんかよりもずいぶん若い授業者の方が、いろんな意見を言ってもらうのは、大きな刺激になって良い、ということになっている。
周囲のベテラン勢にとっても、自分の考えを言いたいだけ言えるのがいい。(若手はそうしてベテラン勢に語ってもらうように仕向けるのも一役だから・・・頭を下げて聞き役になるのもネ)

とまあ、舞台裏までをすべて見ていくと、なんだかいろいろと要素がありました。
1)校長の若手を育てたい意識もあり、
2)さらに教頭の、若手に意見を言うことによって実は奮起してほしい中堅層への期待もあり、
3)すべて授業へのツッコミも半分以上予想されているものであり、
4)またそのツッコミは目標以上で無理に実現しなくてもいい、というのもわかっているものであり・・・

いろいろな要素を感じるのであります。

研究主任が管理職に近い年齢層で、ところが指導に来る指導主事さんは比較的若い方であったりして、その主事さんは目上の研究主任の授業に文句を言うよりも、やはり

「いやあ、すばらしい実践でしたね」

ということをたくさん言うようでした。
自分より年齢の高い人に対して、上から目線でモノを申しては・・・ということなのでしょう。
あまり・・・批判が無い。ちょっとつけたし、という程度。

自分が授業をやるときも、いずれくるのだから、今のうちに勉強。
(来年あたり・・・か?)




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