2学期が始まった。

この学期のはじめに、思うことがある。
それは、児童を知りたい、ということ。

子どもがその子どもらしく生きることで、いろいろな活動が生まれる。
いろいろな活動があるから、学級が生きてくる。
子どもらしい活動がないクラスから、活動のあるクラスへ、変貌させたい。

その子を見ている、と思っている教師は多い。
でも、見ているのは、今のその子に現れている一時的な現象面がほとんど。
本当に、その子の真意を知っているかというと・・・。

その子を知らずして、
活躍している、とか、
満足している、とか、
育っている、だとか。


実在している一人ひとり、その子を知ろうとすることを抜きにしては、何も始まらない。

子どもは、

「わたしを知ってくれている先生」

に、教えてほしい、担任してほしい、と思っているはず。

学級を率いてほしい、その担任に、わたしを知ってほしい、と思うからこそ、毎日話しかけてくるし、事件を起こすし、だだをこねるし、勉強をがんばるのだ、と思う。