元エンジニア・新間先生の自問自答ブログ

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)




「落語家はなぜ噺を忘れないのか」(角川SSコミュニケーションズ)。

柳家 花緑(やなぎや かろく)さんの著書である。
ずいぶん前から本屋で見て、気になっていたが、ついにこの土曜に購入。

一番気になったのは、噺をどう覚えるか、というくだり。
もちろん、全部、すべて、ノートに筆記する、ということであった。
ただ、テープに録音し、それを聞くのではない。
聞くだけでは勉強にならない。

すべて、ノートに、一字一句、書きこむのだそうである。



となると、授業の修業にもそれを生かすことができそうだ。

名人と呼ばれる方の授業を聞き、それを一字一句、ノートに起こすのだ。

ただ、教育界にはなぜか、落語家のように、定番の名人とよばれる人がいない。
自称名人は多い。
なぜか。関東の落語家のように、「前座、二つ目、真打」という位がないからか。


真打で、テレビに出る暇がないくらい忙しく、全国各地から呼ばれて、ホール巡りをする落語家は、まあ人気や実力ともに、名人級なのだろう。
あるいは、寄席や国立演芸場や浅草演芸ホールなどでトリをとる方も、名人なのだろう。

そういった方の、これぞ、という噺を、ノートにとって覚える。
それも、自分の目の前で、自分に稽古をつけてくださる、その噺を覚える。

だから、それを何度も何度もノートにうつしたのを口でくって練習し、血肉にすることが可能なのだ。

同じように、教師修行ができたらなんと幸せなことか。




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