元エンジニア・新間先生の自問自答ブログ

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)




学校の仕事が長くなりそうだったので、夕方勤務終了後、近くのそば屋でかつ丼を食べていた。
食ってから、本腰をいれて仕事をしよう、というやつだ。
いつもは空腹に負けて、お菓子のようなものをポリポリと食べてしまって非常に健康上良くない。
そのため、今日は遅くなるよ、と妻に断って、食事を済ませてからしっかりと仕事に取り掛かる算段であった。

かつ丼を食べながら、なにげなくテレビ画面に目をやると、たちまちにして視力が吸い寄せられるように画面に張り付いた。

一瞬、こうした自分の身体の反応についていけずなにが起きたか分からなかったが、よく見ると、桂歌丸師匠が、TVの画面にうつっていた。

すぐに分からなかったのは、着物、羽織り姿でなかったからだ。
ふつうの洋服の格好で、なにやら興奮してしゃべっていた。

なにをおっしゃっておられたかというと、例の民主党の、「事業仕分け」のことだった。
子ども伝統文化教室などの予算が削られることに対して、お怒りになっていたのだ。

「自国の文化を守っていく活動のために、国の予算を使うのがなぜおかしいのか」

ということだった。

まさに得たり!
大賛成である。
百人一首や書き初めなど、正月ならではの伝統文化が、はっきりいって廃れつつあり、それを懸命に支えている教師や地元住民のボランティアが、伝統文化教室を開いている。子どもたちのために一肌ぬいでいる。それが、実態だ。泣けてくるほどだ。
それを、なぜ、やめさせよう、というのか。

???
である。

おそらく、あの仕分けに関わっていると、すべてが無駄に思えてくるのでしょう。
つきつめていけば、生きているのが無駄だ、ということに究極的にはなっていくようで。

「たとえ無駄、とわかっていても、食わないお頭がついていない鯛には、ありがたみがないねぇ」

鯛のお頭は食べない部分だけど、やはりついていないと、文化の意味が無くなる。
それでは、文化はほろびていくのではないでしょうか。


歌丸師匠がお怒りになられていらっしゃいますよ!!!
民主党の方!政府の方!!文部科学省の方!!
伝統文化教室の予算を復活させましょう!




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