高学年女子の対応は難しい。
現在担任している5年生の女子にも、いろいろな場面で対応に困る、悩むことがある。
つねに緊張しながら、どう対応すべきか悩みつづけている。

その中で、女子のボスについての対応をこの1年間、考え続けてきた。
<叱る>のがいいか、悩んだ。

「本当は叱ってほしいのよ」

と年配の先生にアドバイスを受けて、とことん本気で叱ったこともある。
その一方で、叱って変わるものではない、叱ることがとんでもないマイナスを引き起こすのではないか、という思いもあり、中途半端な気持ちをひきずってきた。

最近は、叱れば叱るほどに相手がヒートアップして、呼吸が乱れ、錯乱していく様子もわかって、
「これはいかん」
と方法を変えることを考えていた。

ちがったのである。
方法ではなかったのだ。
広く言えば方法だが、そのバックにかくれている、考え方に問題があったのではないか。
考え方が同じで、表面上をとりつくろっても、ぼろが出るのだ。怒りの感情も出てくる。

叱る、と思いながらも、怒っている。

それは、学級を暗くし、人心を不安にさせる。
大声でなんとかなる、という世界から、脱皮しなければならない。だからこそ、腕をみがきたい。

考え方を変える。そうすると、表面だけでなく、隠そうとしても隠し切れない部分でも、ちゃんと一貫性が出てくるのだ。
一貫性があると、子どもは安定していく。

「先生はいつもこうだ」

それが、安定につながる。
先生の気分で、先生の態度が変わってしまうのは、子どもにとってはたいへんなストレスなのかもしれない。とくに発達障害を抱えた子にとっては・・・。