ちょっと生活のことを。
圧力なべでカレーをつくってみた。
ひさしぶりの休日、(といっても用事がいろいろとあったのだが)ちょっと夕食でもつくってやるか、という気になった。
妻は、とてもうれしがってくれる。感謝してくれる。
(このあたりが、夫の操縦がうまいなと)
圧力なべがあり、それでつくるらしい。
レシピを見ると、非常にかんたん。
1)やさいを大きめに切り、鍋に入れる。肉は一口大に切って入れる。
2)200CCの水を入れる。(実際には、不安だったのでもう少し大目に入れた。250ccくらい。)
3)強火。
これだけである。ここまでで、5分もかからない。しかも台所回りをいろいろと片づけながら、である。
終わったので、本でも見ているか、といろいろと料理のレシピを見てみた。久しぶりにこんな類の本を読んだので、なかなか面白い。料理って、基本、ゆたかなもの。人間のために?でもないのに、こんなにおいしいものが、世の中に充満してるってことが、不思議でもあり、すごくもある。なんでこんなに恵まれているのか。
しばらくすると圧力なべが、シュッシュと言い始めた。
鍋の上の、なにやら蒸気の抜けていく部分の金具が、シュッシュ!と極端に派手な蒸気音を出しながら、回転を始めたので驚いた。
あわてて妻を呼ぶ。
異常ではないらしい。ホッと胸をなでおろした。
あとは、強火だったのを弱火にして、1分間待つ。
金具は少し、おとなしくなる。
しばらく注視するように努力せねばならない。
1分間経過し、火を切る。(とレシピに書いてあったので、そのとおりにする。なんとも簡単である。もう火を切っちゃうのか、という感じ。ここまでで10分もかからぬ)
その後、赤いボタンのような突起物を見るように、妻に命令された。
鍋にくっついているのだが、これが内部の蒸気圧を計っているらしい。
ボタンがおさまって、コトンと落ちた時(つまり突起状でなくなった時点)に、ふたをとるらしい。
これに10分程度かかった。
合計、20分ほど。
そして、いよいよ赤突起が平らにもどったので、ふたをとると、仰天した。
水が増えてる!
「火をかけたのに、水が増えているよ」
と妻に言うと、当然だ、と言う感じで鼻で笑い、野菜の水分が出たのだ、と解説した。さすがだ。
納得したので、そのままルーを割って入れる。
4人分なので、ちょうど半分、つまり形式的には5人分を入れた。
やすいやつ。こくまろ、とかというものだ。スーパーで激安だったので買ってきたらしい。
「安すぎるだろ!もっといいものがあるはずだ!ジャワカレーだとか」
というと、妻は激昂して、
「素直にハイ、といって食べてください」
と強く言った。
ケンカしても仕方が無いので、そのままルーを見ていると、するするとすぐに溶けてしまった。
おいおい、これでいいのか?あっけなくできてしまったようだし、なにしろあまりなにもしなかったけど。
作業らしいことをしなかったので、拍子抜けだ。
しかし、こんなものらしい。
さて、食べてみると、これが美味い!
自分が作ったからかな、と思うと、妻も美味いと言ってくれる。
特に、あんなに大きかった人参。
大きさがそのままだったので、
「あれ、大きすぎたか」
と思ってちょっとしかめ面をして口に入れたのだが、
あれれ?
口の中で、スーッと溶けてしまった。
ニンジン、今、ちゃんと口に入れたよな;
つまり、ほとんど消えてしまうように、くずれてなくなってしまった。
形はあれど、内実は、ほとんど圧力と共にもろくなってしまっていたのだ。
自分が作ったのだ、という観念をできるだけ捨てて、無心になって食べてみたが、やはり美味い。そんじょそこらのレストランカレーよりも、はるかにうまい。新宿中村屋、という感じである。海軍さんのカレー、というような味がする。
なんでこんなにうまいの?と妻に聞くと、
圧力なべを使うと、水を使わないので、うまみ成分が薄まらないからだ、と解説した。
なんと理科的な回答だろう。
「料理は理から」というけれど、科学的な論で、妙に納得できた。つまり、うまみが、濃かったから、はっきりと舌に、それとわかったのだろう。
うまみといえば、うまみ成分を抽出することに長けたメーカーが、日本にある。
ご存知、味の素である。
こんぶのうまみ、
かつおのうまみ、
しいたけのうまみ、
コンソメのうまみ、
それぞれに、うまみ成分の名前がついている。
グルタミンサン、イノシンサン、という名称は聞いたことがあるでしょう。
これらを合わせることで、さらに人間の舌は、うまみの深さを感じ取ることができる。つまり、
「うまい!」
と感じるのだ。
人間は、ここまで、科学的に「うまみ」を分析してわかっちゃってるのだから、人間って、人類って、すごいナと感心する。
以前の職場で、横浜の中華街で長くレストラン経営されていたシェフが調理をしていたが、
「料理は理から」というコラムを書いてくださっていた。
そこには、プロがいかに理科的か、ということがこれでもか、と書かれていた。
わたしは、料理というのは非常に感覚的なもの、繊細なもの、経験を積まないとうまい料理はつくれないのだ、と思っていたが、そのシェフがおっしゃるには、
「理がわかれば、だれでもできます」
と断言したので、とても興醒めしたのだった。
これからの子どもには、「食育」が必要である。
食事は、料理は、科学なのだ、
ということを、教える必要があるだろうな。だってプロがそう言っているんだもの。
また、日本人は「うまみ成分」とこんなに上手につきあってきた歴史があるんだもの。
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