ほめ方、という方法、スキル。
これまでずっと、スキル、という感覚になじめなかった。
ほめる、というのは心がこもった行為のはず。それと、ほめ「方」という言葉がそぐわない気がしていた。
方法、というとらえ方が、ちがうように思っていた。
だが、最近は、やはり、教師としてはスキルというべきものなのかもしれない、と素直に思うようになった。

子どもの一番いいほめ方というのは、子どもの行動に対して「~してくれて、お母さんうれしいな」と言ってあげることです。

というのは、日本アドラー心理学会公認心理療法士の肩書をもつ、星一郎先生。

お母さんでなく、先生でも同じかな、と思って、このほめ方を何度か試している。

試す、というのもちがうかもしれない。
子どもにとっては、すべてが「試される」ものでなく、本番だから。
しかしまあ、こちらは試す意識もあって、いろいろと声をかけている。

感心する、という言い方がしっくりする、ということを、先日、このBLOGに書いた。
「しっくりくるかどうか」という点でみると、へんな気がする。星先生のいう、「うれしい」という感覚も、わからないでもない。ただ、素直に言うのが、なんとなくヘンな気がする。

どうしてか。
「○○してくれた」 とは、思っていないのだ。
教室をそうじするのも、学級全体のこと、当人たちのためだろうから、先生のためにしてくれているのでもない。また、漢字をよく書けるようになりたいと指書きをする姿をみて、
「やってくれている」とは思わない。「やっている」と、見ている。だれも、先生のためにやってくれているのではないだろう。

しかし、まあ、星先生のおっしゃることは、それとはまた一つ、レベルがちがって、

「そうやって力をつけていこうとする、あるいはやさしい気持ちを発揮してくれているキミのその態度をみていると、先生はずいぶんうれしい気持ちになってくるんだ」

ということを、「言え」 ということなのだろう。
それを、心で思っているだけでなく、子どもに対して、しっかり言葉で投げかけていけ、ということだろう。