元エンジニア・新間先生の自問自答ブログ

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)




一緒に2次試験を受けた人がいる。
たまたま試験会場で偶然に近くに座った人だ。
番号や名前などくわしいことはお互いに知らない。
ただ、同じ境遇で、同じ試験に挑んでいるという親近感から、なんとなくうちとけて話をした。

「6年目なんです。ずっと講師を続けていて・・・」

彼はずっと市内に住んで、採用試験を受け続けているという。
校長や教頭をはじめ、仲間の教員にもずいぶん応援してもらっている。
ただ、なかなか受からない。
「今回、やっと1次が通ったので、本当にチャンスです」

そう言っていた。

彼と話をしながら、自分がどんな気持ちになっていたかを振り返る。

「合格してほしいな」

素直にそう思った。
できれば、いっしょに合格して、共に辞令交付にのぞみたい。
いっしょに研修もうけてみたい。

素直な気持ちだった。

今考えると、こんな気持ちでのぞんだからこそ、合格できたのかもしれない。


実は、まったくちがう心持ちでのぞんだ試験もあるのだ。
採用試験ではなかったが、自分の力をはかるために、ある検定を受けた。
結果は、期待以下。勉強不足という言い訳はあとからつけたもの。合格はしなかった。

このときの心境を、あとから思い出すと、今回とは大いにちがったのだ。
このちがいに、なにか秘密がありそうで、記憶にとどめたいからここに備忘録として書いておく。

このとき、私は自分より一つ前の受験生をみて、ある気持ちになったのだ。

「自分より上手でありませんように」

この心の余裕のなさ。
今から考えると、なんでだろうと思うくらい。
はずかしいが、事実だ。
自分に自信がなかった。正直な、まっさらとした心境ではなかった。あわよくば、よく見られたい、という欲に浸かっていた。自分の実力以上に、自分をみてほしい、という思いがあった。
(・・・そんな思いはなかった、と思いたいが、実はあったのだと思う)

結果は無残。上手でなかったのは、自分だった。
彼女も、不合格。

人をのろわば、穴二つ、というが、本当だ。

しかし、なんでこういうことが起きるのだろう・・・?
と不思議に思っていたら、これはどうやら脳科学や心理学的な裏付けがあるらしく、有名(というか当たり前)な話らしい。
あまりにも作為的なことが人の心をうたないのと同じように、「脳」というのは本音の、シンプルな部分に共鳴するらしい。
「合格」をイメージしたか、「失敗(上手でない)」をイメージしたか、のちがいがあったのだ。そのイメージが、もっとも強く働くのが、自分自身というわけ。
(自己より発し、自己に還る)

とっさに、瞬時に、すこしも迷わず、隣の受験生の「合格」をイメージできるようになるには、ある程度の積み重ね、日々の鍛錬が必要だ。
「自分」は「合格」にふさわしい、という信念。
信念の強化が必要なのだ。

わたしも、あなたも、「合格」していく、というイメージ。
それが、ふさわしい、というイメージ。
私も、あなたも、共に繁栄するんだ、という信念。

では、そのためにどうするか。




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