8年前、結婚して、教師になる決心をした。
○○県の教師になりたいと思った。
しかし、免許はないし、難易度の高い試験に合格できるとは到底、思われなかった。
先日、とうとう夢が実現するにいたった。
なんでだろう、とふりかえってみている。
困難な障害は、たくさんあった。
しかし、すべて、のりこえられた。
ふしぎなことに、「障害」を、「障害」と思わなかった。
運が良かった、と思うこともたくさんある。
小学校教員資格認定試験についても、知ることができたから、挑戦できた。
知らないままだったら、今頃、教師をやっていたかどうか、定かでない。
最初の難関は、「一ヶ月間の教育実習」であった。
勤務先の上司に、「君の代わりがいない。一カ月休むことはできない(休むなら辞めるしかない)」と言われた。
なんとかならないかと思って情報を集めていた矢先に、小学校教員資格認定試験を教えてもらったのだ。
これに合格するために、運よくいい本に出会うこともできた。
「国語教育指導用語辞典」である。
試験に合格し、免許状をいただいてからも、○○県の採用試験は難関に思えた。
一般教養の試験がかなり難しい。
赤ん坊が生まれ、教員として勤務を始めてからの受験勉強、どうしたらよいか分からなかった。
そこで、○○県とは別の、△△県を受験した。
△△県には、合格できた。一般教養の試験のレベルが、格段にちがった。基本的な問題を確実に解くことが必要な試験であった。これなら、基本がわかっていれば受かる。
○○県のように、大学入試レベルのひねった問題でないから、大丈夫だったのだ。
△△県で、丸3年間、学級担任として勤務した。
講師で2年。正規採用で1年。
さて、条件がそろった。
○○県の「社会人枠」で受験した。
一般教養は免除してもらえた。おかげで、合格できた。
8年間。あしかけ9年。
夢が実現できた。
この9年間で、自分は何を学んできたのだろう、とふりかえってみる。
一番は、「夢を実現するための方法」を学んだことだ。
教師になる夢、云々、というよりも、このことが一番の、「人生の宝」に思える。
コツは、すこぶるシンプルだ。
自分は、この夢を実現させることができる(それにふさわしい)、という信念を持つこと。
あるいは、できっこない、というまちがったセルフイメージを「持たない」ということである。
生まれつきなのか、両親によく育ててもらったからなのか、人生はうまくいくはず、という思い込みをもっている。
一番大きな原因は、20代の過ごし方、だろう。
20代に、とことん、考える機会があった。
それも、たくさんあった。
考えるのが仕事、という日常があった。
自分の視点を、常に高く高く、と意識せざるを得ない毎日を過ごしていた。
これが、「気がつくと夢を実現してしまう」自分を作り出してきたのだと思う。
夢と言ったって、見る人から見れば、ただの・・・という小さなものかもしれない。
しかし、9年前の自分から見たら、本当に夢だったのだ。○○県の正規採用教員になる、というのは・・・。
だから、こういう言い方を許してほしい。
私は、「気がつくと、夢を実現してしまっていた」のです。
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