各自治体の教員採用試験。
1次試験が終わり、そろそろ結果が出されてきているようだ。

わたしの周囲の受験生も、合否こもごも。

同じ学校の臨時任用の先生。小論文が自信がなかった、というが、それでも合格していた。
今、2次試験の模擬授業に向けて、さかんに練習されている。
この努力は、結果はどうあれ、かならず本人の実力になっていく。
すばらしい姿勢だと思う。


こうしてブログを公開していると、試験についての質問も届く。
とくに、あと一歩のところで合格に届かず、複雑な思いを抱いている先生。
本当にいろいろと考えてしまうと思う。

試験である。
本当に、その日の、その時の、その場での受け答えが、勝負になる。
各自治体、ほとんどが、「面接重視」としているようだ。

なにをどう受け、答えるのか。
その場の視線、言葉の受け止め方、立ち居振る舞い。すべて、試験官のチェックの対象になる。
面接にこそ、120パーセントの実力を発揮したい。
(そう思っていても、60、70パーセントなのが現実なのだが)


どうして受からなかったのか、と思い悩むこともあるだろう。
大きく言えば、その日の体調もある。
また、面接の現場での、言葉の行き違い、不足、表現の微妙なちがい・・・、考えてみれば、こうしたことは非常に微妙な要素だ。それが合否を分けてしまう。
こちらの発した言葉、それを受け取る側の試験官にも、好きな言葉やきらいな言葉がある。
他の試験官ならひっかからない言葉も、この目の前の試験官は、ひっかかるかもしれない。
一部なのだ。
評価されるのは、その人の人柄そのものではない。
ほんの、一部なのだ。
人間としての価値をすべて評価されたわけではない。ほんの一部の、限定された、局面の一場面なのだ。それでも、そこをうまく表現し、うまく見せて、うまく立ち振る舞える人がいて、合格していく。



どうして受からなかったのか、と考える方法もある。
しかし、それは、正直、分からない。
考えてもわからないことは、考えない。それが、うまく生きていくコツだ。

考えていけることは、ある。
理想の教師像に、自分がさらに、一歩でも二歩でも、近づくことだ。
そうした努力の末に、合格はある。

「どの自治体も、こんな私のような教師を採用しないのなら、よほど見る目がないのだ」

というくらいに、自分が「理想像」に近づく努力をするのだ。

そのために、まず、自分が「理想像」をもつことだ。
どんな教師になりたいか。
いつも、いつも、ここに立ち還ること。
どんな教師になりたいか。具体的には、どの先生か。
その先生が身近にいればラッキー。真似をしていく。コピーする。
最初はいくら真似をしても分からないけれど、そのうちに、「あ、そういうことか」と思うことが出てくる。

小論文は、書き方がある。
ほとんど、きまりきった型がある。
この型どおりに書けているか、どうか。

この型を知らなくては、合格は本当に遠い。
序論、本論、結論、の3部構成がわかりやすい。
起承転結がよい、とする解説書もあるが、苦手な人は三部構成で練習するとよい。
起承転結の4つだとむずかしいが、序論本論結論の3つなら、なんとかできそう、という人も多い。

序論で必ず書くことがある。
もう少し細かく見れば、序論の最初に書くこと、二番目に書くこと、三番目に書くことがある。
本論で書くことがある。
本論がうまく2つにわかれるようであれば(うまく事例が2つ見つかるとラッキー)、段落を変えて4部構成に見せることもできる。
本論の中に、入れておくとよいエピソードの種類がある。
自分のこれまでの経験から、うまくいったエピソードを盛り込むのだ。そして、そのうまくいった事例から、手ごたえをつかみ、練習の大事さ、基本の大切さ、事前準備の必要性などがわかった、とつづけていく。
結論では、自分の理想像を語る。そして、必ずやそれを成し遂げていく、そのために○○をする、とつなげていく。
強く言い切ることも大事だ。

授業と同じで、余計な言葉をできるだけ削り、シンプルな言い回しで、心地よいテンポで、必要な内容を順番に重ねていくようなイメージだ。
小論文は、ほとんど、こうしたコツを知っているかどうかで、ちがってくる。


わたしのところに届くメールのほとんどが、すでにメールを書きながら気持ちを整理し、次のステップをめざそうとする姿勢で書かれている。立派だと思う。さすがは、教師をめざす人だな、と感心する。
合格した人からのメールには、教育の現場で、本当に力ある人を待っているよ、とエールを送りたい。
無念にも不合格だった人には、この言葉をおくろうと思う。
これは、わたしが1年目に不合格だったとき、お世話になっていた先輩の先生がくださったことばだ。

「回り道をした先生の方が、いい先生になる。30歳をすぎてからの先生の方が、いい先生になる」

明治図書から著作も出されている先生だ。
その著作の裏表紙に、サインとともに書いてくださった。
今でも、大切にしている本のうちの一冊である。