現代アートを鑑賞できる子に育てる。

なぜか。

クラシックな伝統芸術はもちろん、現代アート、鑑賞できる子にする。

そう考えるのは、なぜか。

学習指導要領の方向は、おそらくそうだと思う。
「表したいことを見付けて表す」ことが重要視されている。

考えてみると、伝統的なクラシックアートはいわゆる「名作」である。
それに比べて、子どもたちが、自分でつくりだす作品は、発想や着想の楽しさがあふれている。そこが魅力だ。なんとかして、その着想を生かしていこうと試行錯誤して作品をつくる。そこを、教師は着実にみとって、作品制作をはげましていくのだ。「モナリザ」のような絵を描け、というのではないし、「ダビデ像」のような粘土作品を作らせるのが目的ではない。
「名作」と、「子どもたちが表したいと着想してつくった作品」を、同じようにしたい、というわけではない。

よいか悪いかは、問わない。
自分は好みとしては、わかりやすいクラシックアートの方が好きだ。
でも、子どもたちをとりまくのは、現代アートにあふれた生活環境だ。
そして、作品の表現・制作と、鑑賞をリンクさせるのであれば、当然、現代アートを鑑賞できるようにしていかなければ、片手落ちだと思うのだ。
「モナリザ」や「葛飾北斎の浮世絵作品」や「ゲルニカ」を鑑賞することは大事だ。
それは、「名作」の鑑賞である。

それはそれでやるが、もし、表現と鑑賞をリンクさせて指導する、のであれば、現代アートが大事になってくる。


えがきたい形、えがきたい構図、を考えさせる。

自分の着想を大切にする。

それをうながす、鑑賞教育だ。
それが、現代アートの、鑑賞教育。

しかし、少し不安なのは、学習指導要領を読めば読むほど、「じゃあ現代アートの鑑賞が大事だね」と思うのだが、「現代アート」という言葉は一言も出てこない。
親しみのある作品、という言い方がしかない。


(5) 各学年の「B鑑賞」の指導に当たっては,児童や学校の実態に応じて,地域の美術館などを利用したり,連携を図ったりすること。

とあるが、地域の美術館に名作ばかりなのだったらいいのだけど、現代アートが多かったら、どうするのか。


やはり、現代アートを鑑賞する授業が必要なのだと思います!