大学中退、ということに、なんら引け目を感じなくなった。
それは、やはり正規採用となれたことが大きい。
民間企業では、大学中退、すなわち高卒、という肩書はどううつるのだろう。
私はあまり学歴は重視されない零細?企業で勤めたので、そこのところがよくわからない。
ひとつ言えるのは、学校という公的機関では、大学中退というのはそれほど重要視されず、きちんと就職させてもらえた、ということだ。(もちろん給与などの面で違いはある)
公的機関にとっては、なにより大事なのは、資格の有無である。
基準さえ満たせていれば、きちんと教師として雇ってもらえる。
逆にいえば、「相手の提示する基準」さえ満たせば、就職できるのだ。
なぜこんなことを書くかというと、職員室で相談されたからだ。
職場の先輩、年配の先生に、
「うちの息子のことなんだけどサ・・・」
と相談があった。
つまり、大学に出席せず、まあアルバイトに精を出すかと思えば、不登校(?)のような状態が続き、とうとう中退するかどうか、というところにまでいってしまった、というのだ。
学生の本分を忘れて・・・と、先輩は言っていたが、ようするに、もともとあまり行く目的もなかった、ということらしい。
親としての心配は、
「この子はきちんと自立できるだろうか」
ということである。
この場合の自立は、ようするに
1)自分で生活できる
ということである。
それは言いかえれば、自分で社会に出て人の役にたつ仕事をし、タックスペイヤーになれるか(社会的に認められるか)、とういうことだ。
そこで、どうやらあやしい経歴をもつ、この私に相談をもちかけた、ということらしい。
まあ、比較的私の方がまだ若いので、聞いてみた、ということなのだろう。
(あまり、他に若い人がいないから)
それで、こう答えた。
・学歴はいつでも変更可能→ あとから思い直して通信制大学(通常と同じ学士の資格ももらえる)もいける。もしくは、大学等で科目等履修生として所定の単位を修得したのち、審査(申請書類、学修成果、試験)を通じて学位を取得できるシステムもある。(「大学評価・学位授与機構」での学位取得。)履歴に引け目を感じるのであれば、学歴を変えていくこともできる。
・学位は資格のうちのひとつとわりきる→ 学位がなくても二種の教員免許が取得でき、学級担任もできる。人生いろいろ。要る場合と要らない場合がある。こう考えると、教員というのは、比較的進みやすい道だと思う。民間企業では、「学位なし」は即ハネられることもあろうだろうから。
民間企業の面接で、通信制大学卒業のことを言ったところ、ユーキャンですか?といわれて絶句した友人がいたが、そんな程度の認識レベルの企業もある。
こういう話をすると、
「いざ中退してしまったら、他の人にどう思われるかが気になって、引っ込み思案の子になるんじゃないかと」
さすがに親ならではの心情。
愛を感じる。
子、というのには、少々トシがいきすぎているのではないか、と思うが、大学生になってヒゲが生えても、わが子は「子」なのだろう。
見たままの自分でしかない、と自分を受容するのは大きなテーマだ。
見た目の評価と決別し、自分は自分だと堂々とふるまえるのには時間がかかるのかもしれない。「見た目の評価」は、実は「親の評価」と似通っていたり、大きな影響を受けたりしているものだから、ようするに親離れをしていくことしかない。
この相談をもちかけた、先生自身の「大学中退」に対するイメージが変われば、もしかしたら子どもも楽になるかもしれないな、と少し思う。
しかし、渦中に居れば、気になるのがふつうの感覚なのだろう。
実際に、わたしも正規の教員になるまで、大学中退はなにかしら、心にひっかかるものがあった。一度採用試験に落ちたのは、大学中退だからだろうか、とか、いろいろとこじつけて考えたくなるものだからだ。
しかし、これだけは言える。
教員には、なれる!
ネバーギブアップ!
大学中退でも、教員になれる!
小学校教員資格認定試験もある!
なせば、成る!!!
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