一般的には、「困る」ことがある。

「みんなが困るから、備品は使ったら元に戻してください。」
と社内広報がまわってくるようなことだ。

備品係が困った顔で、報告するのだ。
「職場のみなさん、お願いしますね。みんな困っているので・・・」

みんなが困る、とある。
ほれ、困る、じゃないか。

実際の日常に「困る」ことは、よくあること。
「みんなが困るから、備品は使ったら元に戻してください。」

たしかに、そのとおりである。気をつけよう、と何人もの社員がそう思う。
でもなかなか、そうなっていかない。
備品が元の場所にそろわない。
備品の棚が、乱雑になったままである。
備品係は、何度言えばわかるのか、と愚痴る。

どういうことか。


「人間って皆が困らないようにと公の立場に固執していたら簡単に悪い人を作ってしまう存在なんだなぁ」
と、いうこと。

もし、備品係が管理する公の立場に固執することがなければ、同僚を悪人よばわりすることもなかった?その結果、職場に「困った事態を引き起こす社員」は存在しなかった?

いやいや、「公(おおやけ)」は存在するのだ。「公」を考える必要はあるのだ。
しかし、「公」を考えようとすると、すぐに悪人をつくってしまうのだ。そのような思考パターンが染み付いているのだ。
世の中の法律は、そのような思考パターンでどんどん増えてきた。


しかし・・・。

そもそも、悪い人が存在したのだろうか?
そもそも、困っていたのは誰だったのだろう?
備品係が困る前に、同じフロアの社員みんなが困っていた、ということなのでは・・・。
社員のみんなが、備品のことで困っていたのでは・・・。


あれ???
いつの間にか・・・・???



備品係が、愚痴を言っています。
愚痴を言っている備品係が一番迷惑をかけています。
どうでしょう。この逆説。
パラドックス。
多いでしょう。世の中に、こういうことって・・・。



ということか。