ずっと、谷内六郎さんの絵は、油彩なのだ、と思っていた。
それは、私が子どものころに親が買っていた「週刊新潮」の表紙を見ても、そう思っていたし、その後もどこかで見かけるたびに、油彩だ、と思いながら見ていた。

しかし、それが、水彩だと知って、あらためて衝撃だった。
厚紙に、水彩
たまにろうけつ染めや、レース布を使ったり、和紙を使う作品もあったようだが、ほとんどは水彩だったそうだ。

谷内さんの作品集があったので、じっくり見せてもらう機会に恵まれた。

雪。
空。
それも、夜の空。
夕方、夕暮れの空、雨の空。

どれも、油彩のように、厚ぼったく、丁寧に、ていねいに、塗り当てられている。
色が、重ねて、重ねて、置かれている、ように見える。


谷内六郎さんは、病気がちで体が弱かった。
呼吸器のことで、何年も、治療に専念したという。

「いつ死ぬかわかりませんでしたから、一枚一枚が遺作になるわけです。ですから、いつ死んでもいいように、遺言みたいなつもりで描いていました」
という意味のことを、あるところでおっしゃったそうである。

一つ一つ、筆をおく。生涯本気で描き続けた渾身の色づくり、である。そのときの、集中度はいかばかりであったことか。

谷内六郎さんの色づかいは、しんしんと、ふりつもる雪をかくときや、夜の空を描くとき、古い塗り壁の色の変化を描くときなど、とても水彩とは思えない、奥深さや背景を感じさせる。
油彩だろう、と思いこんできたわけだ。


私が、水彩のことを、きちんと知らなかったのだ。
自分の小学生のころからの体験で、水彩というのは薄く、水で溶いて、サーッとうすくぬっていくもんだと思い込んでいた。
NHKの教育テレビで水彩画教室をやっていたが、そこでもまた、絵の先生が山の景色を、木の枝なんかを、淡く淡くサッサッサーと塗っていた。

そういうものだ、と。
水彩は、淡いものだ、油彩のように、あつぼったく、塗りこめていく、色をかさねていくのではない。チューブからひねり出したものを、そのまま塗っていくものでは、決してない、と決めていた。

こうするものだ、と決めていたこと自体が、思い違いだったわけだ。
決めつけられないものを、決めていた。それが、間違いであった。


要するに、私は、こういう絵を、こどもに描かせたい、と思ったのだ。
筆をおくたびに、集中した心が、あらわれてくるような絵。
色が、ガツンと、表示されるような絵。

淡い水彩、ペンキのように、サーッと塗る水彩画は、大人になって趣味でやればよい世界。
この子たちの、心のエネルギーを育てる水彩画は、谷内さんのような、渾身の気持ちが込められるような、絵だ。

まるで油彩のような、絵。
「見つめて描く」絵。
それが、4年1組のめざす水彩画だ。