困らない叱らない。新間草海(あらまそうかい)の教室日記

漂流する人生からつかんだ「困らない」生き方とは。
転職を繰り返し、高卒資格のまま小学校の教員になった筆者の自虐スナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)




前項からのつづき。

子どもが、自らをふりかえる。

さて、そんなことができるのだろうか。
学級の子どもたちを想像して、考えてみる。

彼らは、自分のことを、自分の思いやイメージでとらえている。
だから、底が浅い。
将来、漫画家になるんだといって、せっせと漫画を書いている子が、

ぼくって漫画大好き。

と言う。

そうじゃあない。

自らをふりかえる、というとき、
「ああ、ぼくって漫画大好き」
というレベルのことを言うのではないのだ。
決してそれが悪い、というのではない。
むしろ、このあたりが入り口なのだろう。
みんな、この入り口から、スタートだ。

漫画が好き、と思ってみるから、そう見えるだけのこと。

むしろ、筆が進まないなあ、と感じるときも、自分のことをみてほしいし、描くのがおもしろい、と思えるときと、そうでないときと、ずいぶん波があるんだなあ、ということも見てほしい、感じて欲しい。

キメツケで、固定的にみるだけでは、いけない。
なにか、大事なことを落とすような気がしてならない。
いつも、つねに、自分をふりかえられる力。

例えば、ぼくは○○は苦手だ、○○が得意だ、○○がやりたい、と思っている。
そう思って、そう言ったとしても、そう思っているから、そう言ってたから、「実際にそうだ」とは限らない。
思う、言う、とかでなく、その人の「実際」はどうだろうか、ということ。

「いや、本当です。本当に、心底、そう思っているんデス」
と言うかもしれない。

それが、「ウソ」だとか、「本心」だとかという問題でもないのだ。
心底そう思っているとしても、「その人の実際はどうだろうか」というもの。

夢は漫画家だと思っていたら、案外そうでないかもしれない。
・・・と考え続けていて、いや、やっぱり漫画家だぁ、と再発見するかもしれない。
そのうちに、もっとちがう力量を見つけるかもしれない。
驚くほど、好みが変わるかもしれない。

変わるものを発見し続けていると、今度は、変わらないものを発見するかもしれない。
好みはどんどん変わるが、これだけは変わらないなあ、と思うものがあるかもしれない。

実際をしらべるためには、つねに、ふりかえり続けることしかない。
つぎの瞬間には、自分の内面が変わっていることだってある。

「男子三日会わざれば刮目して見よ」

大事なのは、つねに、ということだろう。
つねに、常時。
ふりかえっていく。
自分を観察していく。そうして、自分に迫り続ける。自分を、知ろう、とする。
それをさぼると、またたくまに、自分についての情報が古くなってしまうのだろう。

自分で自分の古いイメージを持ったまま、新しい日々をすごしているのだとしたら、もったいない。自分の方向性とか、内在する可能性などというものは、こうした日々の「ふりかえり」の営みの連続でしか、見えてこないように思う。

では、ふりかえるには、どうするか。

感情や印象を入れないで、草花の観察のように、自分を観察するのだと思う。そうして、過去から現在に至る、現状ありのままの自分を、素直に見て、知る。

「先生、ぼくって、こんな(・・・中略・・・)・・・人なのかなあ。ずっと自分を見てきて、今こう思うんよ。」

卒業前、こんなふうに切り出す子ばかりだったら、進路相談も簡単だろうなあ。
だって、自分をちゃんと、知っている子ばかりだもの。
勘違いしている子や、なにも自分のことを知ろうとしてこなかった子ばかりだから、進路相談がむずかしいのだ。

自分のことを知らないから、失敗がこわい。
料理の道に進む、と言っておきながら、
「飽きたらどうしよう」
と言う。

自分を知らないから、決められないのだ。

「うまくいかなかったら、どうしよう」
事柄の達成しか眼中にないから、苦労する。

進路相談にかぎらずとも、自分自身をふりかえる癖のある子は、強い。
いろんな場面で、強さを発揮できる。
自分が、いろんな状態になることを知っているから。むしろ、大事なのは、いろんな状態や気分になる、その表面的なことよりも、自分の本当のねがいの方だ、そちらが大事だ、とわかっている。気付いている。

自分の本心、本当のねがいが大事だ、と考えることができるようになっていること。ここまでいけた子は、自立して、自分で自分の人生を、つくっていくことができるだろう。自分の内面、自分の本音は?自分の本当のねがいは?と、つねに内面・中身に立ち戻って、考えていける。

さて、では、どんな力を、子どもにつけていくのか。

ふりかえってみる力。

それはそうだ。
それを、どうやって?

先に、「感情や印象を入れないで、草花の観察のように、自分を観察する」、と書いた。

草花の観察。




そうか。

それを、やれる力が、まず必要だ。

素で、みる。
みる、ということが、できるか。

今の子どもたちが、学級の子どもたちが、そもそも、「見る」 の力を、持っているかどうか。


やっぱり、理科教育。
草花の観察。この力。
みる、力。


みる力。必ず、理科の力にとどまらない。自分を知る、自分の人生を知る力に、通じていく。
また、そこを描いての、理科教育であり、草花観察。そのレベルにしていく。教師がしていく。




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