困らない叱らない。新間草海(あらまそうかい)の教室日記

漂流する人生からつかんだ「困らない」生き方とは。
転職を繰り返し、高卒資格のまま小学校の教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)




ほめたら育つ、と思って、ほめている。
すると、育たない。

なぜか。

「ほめねばなりません」
「たくさんほめてください」

こういうことを、初任研でも、授業研でも、研修会議でも、いろいろと耳にしている。
なるほどな、と思う。
子どもの自信を育むのが仕事なんだから、当たり前のことだ。
しかし、子どもを本気でほめているか、しっかりほめているか。

「もっと、思い切りほめないと!」

これは、実際に、初任研の授業を見ていただいたときに、担当の方に講評していただいたときのセリフだ。

一応、ほめる、というレベルから、抜き出て、

思いっきり、ほめる、ということをしてみたい、と思った。



しかし、ほめるのだが、なにか、うわすべり。
表面だけ。
あまり、子どもに響いていない気がする。


いや、そんなことはない。
必ず、うれしいはずだ。
心に、響くものがあるはずだ!


そう思って、ほめている。


しかし、ほめても、期待した変化は訪れない。

なぜか。


行為の元、
ほめる、という行動の、原点にあるものが、何かちがうのだ。


なにかを、子どもは、かぎとる、のだ。


作為。
操作。


「なにか、オレを操作しようとしているな」

これでは、どんなほめ言葉も、通らない。

教師が、本当にそう、心の底から、そう、思わなければ・・・。




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