ほめたら育つ、と思って、ほめている。
すると、育たない。

なぜか。

「ほめねばなりません」
「たくさんほめてください」

こういうことを、初任研でも、授業研でも、研修会議でも、いろいろと耳にしている。
なるほどな、と思う。
子どもの自信を育むのが仕事なんだから、当たり前のことだ。
しかし、子どもを本気でほめているか、しっかりほめているか。

「もっと、思い切りほめないと!」

これは、実際に、初任研の授業を見ていただいたときに、担当の方に講評していただいたときのセリフだ。

一応、ほめる、というレベルから、抜き出て、

思いっきり、ほめる、ということをしてみたい、と思った。



しかし、ほめるのだが、なにか、うわすべり。
表面だけ。
あまり、子どもに響いていない気がする。


いや、そんなことはない。
必ず、うれしいはずだ。
心に、響くものがあるはずだ!


そう思って、ほめている。


しかし、ほめても、期待した変化は訪れない。

なぜか。


行為の元、
ほめる、という行動の、原点にあるものが、何かちがうのだ。


なにかを、子どもは、かぎとる、のだ。


作為。
操作。


「なにか、オレを操作しようとしているな」

これでは、どんなほめ言葉も、通らない。

教師が、本当にそう、心の底から、そう、思わなければ・・・。