困らない叱らない。新間草海(あらまそうかい)の教室日記

漂流する人生からつかんだ「困らない」生き方とは。
転職を繰り返し、高卒資格のまま小学校の教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)




これでよかったか、と思っていることがある。

たとえば、席順。
あるいは、給食のやり方、そうじの当番表。

1学期が終わろうとする今、学級の様々な体制について、ふりかえることがある。

そのときに、自分なりの、考え方の癖があるように思う。

それは、

「どうしたらよいか」

と考える、ということだ。

「こうした方がいいかな。もっと○○のところを変えたら・・・」

現実には、例えば席を決めるにしても、やり方はごまんと有り、組み合わせを考えたらすごい数になろう。
だから、

「こうした方がいいかな」
と考え始めると、次々に組み合わせが思い浮かんでやまない。

結局、考え疲れてしまって、何もしないのだ。


こうしたことが、本当に多いと思う。
教師生活の中で、疲れたなあと思うことがあるが、こうした堂々巡りの思考をすることで疲れている。

この場合、

「どうしたらいいかなあ」

と考え始めたところにおかしさがある。

ふと考えてみると、そもそも、自分の描きの中に、

教室がこうなっているといいな、こうある姿がいいな、実現したいのは、こんな学級だな。

という理想像が描けているかどうか。
これがないのに、だしぬけに、「どうしたらいいか」と事象の操作ばかりやろうとする。
だから、右往左往するのだ。エネルギーを、浪費するのだろう。

「どうしたらいいか」
ではなく、
「どうあるのがよいか、どうある姿が本当か」
を考えなければならない。

これは、何回でも考えなくてはならない。
自分の中に確たるものが浮かんでくるまで。
一度、こうだと思ったとしても、次の理想がすぐに浮かんでくるのであれば、前のはホンモノではなかったことになる。

そうして、やはりこうだ、こうあるのがいい、となったら、やり直す。
やり直しは、最低限、となるのが、理想だ。




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