4年生の学習では、動物を学ぶという。
5年生では植物を学び、6年生では鉱物を学ぶとのこと。

例外なく、6年生くらいの子になると、鉱物が大好きになる、という。

本当だろうか。

しかし、この学園の先生たちが経験上、口をそろえてこうしたことを言い、確信の元に、カリキュラムをつくっているのだ。
なにか、あるだろう、と思う。

授業に四苦八苦していると、いろんな情報を知りたくなる。
いろんな見方や考え方があり、どれが最高ということはない。
しかし、なんらか、情報として自分に入れておこうという気になる。
それらはすべて、単なる情報でしかない。
だから、通過してしまう。
ほとんど、残ることはない。

しかし、そうした情報を、あたかも食べて消化するかのように、自分の中に通過させていく過程で、自分の中の、センサーが動いていることが分かる。

「本当はどうか」

本当。
本物。
人間として、普遍的なこと。
人間の成長、ひととしての成長の上で、すべて、欠くことのできない、理(ことわり)。

すべての人間が、あてはまる、真理。

たとえば、ほめる、ということ。

ほめる、ということが、まだ、わからない。

口だけでほめる、ということ。
形だけほめる、ということ。
態度でほめる、ということ。
それぞれ、自分が、何をしているのか、本当に分かっているのか、という自問。

自分はほめている、つもりでも・・・・。