異なるものを排除しようとするのか、それとも認めていくのか。

人間社会にもいろいろありますが、異なるものだからこそ、認めようとして近づいていく、相手の言うことをよく聴こうとする姿勢が大事だと思うのです。

男性と女性が惹かれあうのも、自分にはない特性を相手が豊富にもっているからでないでしょうか。わんぱく小僧が近所の少女に妙に優しくなってしまうのは、粗野でがさつな自分にはない、少女の繊細な心づかいに気づいていて、その圧倒的な世界の違いに驚き、惹かれていくのでしょう。

男性と女性はえらく違います。

まったく異質の生物で、男性からみたら女性はまったく宇宙人のように見えますし、女性から見た所、男性は幼稚なのか賢いのか、判断に困ってしまうそうです。
結局、理解するには大変な努力を要するのだ、と半分諦めの境地です。


河合隼雄さんは、著書の中で、夫婦は子育てなど協力関係にあるときはうまくいく。
定年を過ぎて今度はもう一歩進んで、理解し合う関係になる。
そこが難しい。
相手を理解するというのは、自分の信じてきたものをすべて放して新しい価値観を築かなくてはならない。大変なことである、というようなことを言われていました。

分からない、ということがはっきりしていたら、少なくとも謙虚にはなれそうで、私には印象深い言葉です。