元エンジニア・新間先生の自問自答ブログ

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)




東京落語会。
イイノホール。
柳家小三治さんの「初天神」。

涙が出る。

最高の舞台だった。
この目で見れて、幸福だった。
小三治さんがいて、本当によかった。落語が、ますます好きになった。

まくらの時の所作から、湯飲みに手をのばすしぐさから、そこから、しびれた。

この動き。
背筋がのびて、かといって、力が入りすぎていない、自然体。
ちょっとしたくすぐりで、肩と背の形が変わり、そこが客の笑いを自然に誘う。とても落ち着く。
春風亭柳橋さんの物まねだった。

どうしたら、あんなふうに、座布団にすわれるのだろう。

客におもねず、ゆずらず、それでいて、何も意図せず、といった風。
楽でありながら、すべて計算尽くし、といった感がある。
何が起きても、どんな料理でも、してみせる、という自信だろう。
鍛え上げた、あるいは、筋金入り。
と、言っていい。

力量なのだろう。


教壇に、あんなふうに立ってみたい、と思う。
それができれば、教師としての、名人だろう。

初天神。
むだのないセリフ。
出だしから、いきなり、魅せてくれる。

おっかあ、羽織をとってくれ、といったときの、鼻に手をやるしぐさ、そこからすでに、100%の出来だ。小三治としてはふと、自然に出たのかと思うが、すでに登場人物になっている。見事すぎる。

金坊が、わずかに上を向いて、にこにこ現れるときの、かわいらしさ。
あ、そういえばさ、天神様が初天神だもの、父ちゃん天神様好きだからさ、天神様行くんだろう、・・・

このくだりも、とぼけたような、真剣になったような、子どもの表情が、どうしてこの70歳近い老人の表に、くっきりと浮かび上がってくるのだろう、とため息がでてしようがない。

団子に、蜜と、あんこ、両方を選ばせるところの、セリフのこまかさ。
しびれる。

そして、きわめつけは、蜜のすすり方。
「なんだこれ、この水あめみてぇな・・・これは蜜じゃねえ、水だよ」
最後の方のセリフが聞き取れない、そうだ、そのはず、すでに口元に串をやって、蜜をすすりはじめている。なんともリアルだ。ぐいぐい、ひきこまれていく。無駄の無さ。完璧だ。

これで見せ場が終わり、なのではない。だからすごい。
凧揚げの、セリフ。

「引きがいいねえ・・どうでぇこりゃ、そうらそら・・・・、おっと、こりゃあ、糸、足んねえかな。もっと買ってくりゃよかったな」

このとき、もっと買ってくりゃよかったな、のところは、本当に男のつぶやき、なのである。セリフではなく、つぶやきなのだ。すごい臨場感がある。背中がぞくぞくと震えた。

凧を見上げる視線がぶれない。おそらく、ホールの天井付近から二階席を見上げているのだろうが、本当に凧が、揚がっているように見える。

最後。
「こんなことなら、父ちゃんなんて連れてくるんじゃなかった」

泣けた。
微笑の哲学が生きている。
人間の可笑しみ、さびしさ、楽しさ、思わず出てくる微笑、苦笑・・・。

ああ、人間がいる。
人(ひと)が、生きている。
人がいとおしい、いとおしさの湧き上がる舞台だった。落語の奥深さ、そして哲学、人生が塗り込められた舞台だった。つきぬけるような、人の表現・・・。



人を、愛さずにはいられない、と思う。
落語を聴けば聞くほど、人が好きになる。




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