探索のために宇宙へ飛び立ったアポロ13は、電気コイルのショートが原因で故障してしまう。機体からは酸素が漏れ出し、乗組員の生命が危ぶまれたが、地上の人々との一体プレイが効を奏し、無事地球へ帰還する・・・。
息詰まるシーンの連続で大変見ごたえのある、映画『アポロ13』のDVDを観た。
さて、見終わって、これを道徳の教材に使えないか、チラリと思う。
このあたりが、ああ、教師になってきたかな、と思うところだ。
どのあたりが資料になりうるか、を考えているが、まだまとまらない。
しかし、物語の底辺に流れている「理」をさぐることで、子どもが感動できる要素をさがしだすことができるのではないか。
『アポロ13』は、これが事実だということを考えると尚更そう思うのだが、死の危険と隣合わせであるにもかかわらず、乗組員たちが宇宙船の中であれほど冷静沈着に行動出来ることに感動する。
難事の連続で、とうてい帰還することなど出来ないと思われるのだが、誰もパニックに陥る人がいない。
「誰のせいでこうなった」と責任の追及に時間を浪費する人もいない。
「もうだめだ」とあきらめる人もいない。
誰もが、自分の出来ることを正確に見極め、ただそれを全力でやるだけなのだ。
私はこれを観て、ある体験を思い出した。
「なぜ腹が立つのか?」
この問いに真剣に向き合った経験だ。
腹が立つのは当たり前だと、腹の立つ言い訳を言い張っていたのが、だんだんなぜ腹が立つのか、それを直視出来るようになってから、言い訳などどうでもよくなってしまった。
ヒューストンの宇宙基地に、時の大統領ニクソンから電話がかかってくる場面は印象的だ。
ニクソン「乗り組員が生きて帰ってこられるかどうか、その確率は?」
ヒューストン「無事戻れるようにするだけです。」
事態を直視出来るかどうか。
直視出来た人間にとって、確率などは存在しない。
ただ、やることのみが見えている。
NASAの職員は、事実と思いを分離し、人間の知恵を最高に生かしていく技術を知っているように思えた。
さて、道徳、になるか、どうか。
宿題。
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