お父さんは驚くほど勉強していた。

たとえば、○○先生は、どこの大学を出て、いったん刈谷市の病院で修業をした後、この総合病院へ腕を見込まれてやって来た。

その腕を評価しているのは、名外科医と称される当病院の部長先生である。診療時にはよく話もきいてくれるし、なかなかやさしく面白い先生だ、でも、この間は医者のくせに風邪をひいていた、案外ドジなのだ、いう具合である。


「やぶか、名医か」という二極分裂の構図しか話題にならなかったコマーシャリズムの呪文に比べて、お父さんの語るジャーナリズム的説明のなんと豊かなことか。

「あの先生、いいよ、名医だよ。あの先生に予約しやあ」と熱心に勧められることもあるかも知れない。
だが、それよりも、なんとなくその先生の人間臭さがうかがいしれる情報の方が、効果的なコマーシャルになるのではなかろうか。「清く正しく腕が立つ」の一点張りではない、人間臭い視点から気軽に語った、お父さんのジャーナリズム的情報の方に、人間は興味を抱くのではあるまいか。


このように、病院をジャーナリズム視点でみて解説してくれるお父さんのような存在を、待合室のお婆さんたちは心待ちにしている。