ねんどを作り出して、十分。
何人か、大きな人型ができはじめた。
よしよし。

腕の細い子、頭部の異常にでかい子。
特徴が出る。
それらに小さく声かけしながら、ダイナミックに手をうごかす子をほめる。
頭のひねりだしができたことをほめる。
先生の言うことにすなおにやってみようとする姿勢をほめる。

授業終了後、見渡してみると、先ほどのキャラクター人形焼のようなねん土はほとんど見当たらない。つい、うれしくて歓声をあげてしまった。

崩さず保管するため、ねん土をテーブルに置かせた。
クラスのほとんどが、なかなか立派にやりとげることができていた。

べたぼめして、この時間は終わってしまった。


翌日、時間をやりくりして、図工の時間をつくる。
ねん土をもってこさせ、色のついた画用紙を選ばせて、下絵に挑戦させた。

目も鼻も口もなし。
服もきせない。
人間の形だけを、うすく、えんぴつで下書きさせた。

おどりをおどっているときは、腕も曲がっているし、脚も曲がるし、腰も曲がる。

ねん土では、うまく表現できた。
それなりに、人間が動いている様子が、つたわってくる作品になっている。
今度は、これを、絵に描く。

どうだろうか。

十分後、机間巡視をしていて、総じて、見えてきたことがあった。
大発見だった。
それは、



頭部が でかすぎる!


ということだ。

キャラクターの絵を描きなれているからだろうか、頭部はでかい、と思い込んでいるようだ。
身体はとてもほそく、腕や脚は、やはり綿棒のようなヒョロリ棒がついている。

「ねん土は、そんなふうに、頭が大きいかな?」

そうやって声かけをすると、

「そっか」

といって、やりなおしをするが、それがクラスのほとんど。

うーむ、といって、考えてしまった。
3年生。
目の前のねん土をみながら、その輪郭線をとる、というのは、かなり高度なことなのだろうか。難しいことを、要求しているのかな。
3年生だったら、キャラクターやお人形さんのような絵で、仕方がないのかもしれん。


「先生!できた」

と言って見せにきた子の作品を見て、

「頭が大きいように思うけど、どう。半分くらいにしたら」

「えー!頭、半分にするのー!!」

これを、あと30人、やらねばならない。
どうしたらいいのか。
やるべきか、やらないべきか。

「好きなように、しな。みんな。みんなの描く絵から、運動会の楽しい様子が伝わってくるよ。どんどん、その調子で、描いていっていいよ。バッチリ!」

といえたら、どんなに楽だろうか。

目が顔面の半分ほどであっても、これもまた個性、ということで、ほっといたらいいのだろうか。目の中に☆が宿っていても、それもまた個性。腕が綿棒でも、脚がまっすぐでも、よし、とするか・・・。

ところが、そうは言えなかった。
やらせよう、とする自分がいて、なんとかなるはず、とか、こうでないはずだ、とか、頭がでかいのだ、と心の内側で叫ぶ自分がいて、それも個性だよね!と言う勇気が出ませんでした。

悩みながら、

「だんだん人間っぽくなっているよ!」

頭を言われたとおりに半分にして描いている児童をみつけて、そう叫ぶのが関の山。




「先生、つかれた・・・」

授業後の、ある児童の感想である。