4月は多忙だ。

新学期、あたらしい先生、あたらしいクラス、様々な行事が重なる。
4月は、他の月の2ヶ月分、忙しい。

この4月を乗り切り、5月のゴールデンウイークをすぎても、なおかつ、忙しい気分が抜けない。
特に、講師1年目はそうであった。受験が近づいてきているというのに、受験要綱を取り寄せる手続きも、危うく忘れそうになるくらいであった。

しかし、受験要綱を取り寄せてから、ハッとした。
多少、目が覚めた感じになった。

今、こんなに忙しいが、受験勉強ができるだろうか。
不安だったが、とにもかくにも、締め切りが近づいているのだから、やるしかない。

それからいろいろと本をそろえたりなどし、勉強を始めると、驚くべし、意外にもはかどるのである。
たしかに、家族の協力や、周囲の方の配慮もあったのだろうと思う。学級の雰囲気がつかめてきたとか、環境に慣れてきた、などの影響もあるだろう。

しかし、学校での仕事は、事務関係、授業関係、そこそこにこなすべき量はあるのである。4月とそんなに変わらないくらいかも、と思ったくらいだ。
それでも、受験勉強ができる。やりだすと、頭が働くのである。


これは不思議だったが、案外とこう考えると道理がいった。
つまり、日常の仕事と、こういった受験勉強とでは、頭の使い方が違うのではないか。
頭の回路がちがったふうに働くから、脳みそにとってはそんなに負担ではないのではないか。
同じことをつづけていれば誰しも飽きるが、目先のかわった刺激を受けていると、しばらく集中して続けられる。おそらく、そんなふうに、頭が好反応してくれたのではないか。

そういえば、最初の転職をしてすぐの頃、コンピュータやセキュリティの仕事をしていたときも忙しかったが、案外と土日にスクーリングに行くのが楽しみであった。脳が逆に休まる気がした。まったく角度の違う内容をインプットしていくのと、論文書き、というアウトプット作業もあるので、平日、研究所で強い緊張を強いられるような頭の使い方とはまったく異質だったことがよかったようだ。

思い出しついでに中学や高校時代を思い返すと、そういえば私は、ながら族であった。
ラジカセにヘッドフォンをつないで、ビリー・ジョエルを聞きながら、数学を解いていた。
(そういう姿を見て、親は文句を言っていた。)
私にとっては、シーンとした空間にひとりでいると、逆にいろんな思いが湧いてきてしまって集中できない。ビリー・ジョエルが流れていれば、うわついた思いはそこに結晶して、すいとられてしまうから、残りの気持ちを勉強に集中させることができたのである。

私は典型的な、「ながら族」 なのだろう。
だから、臨任講師をしながら、受験をする、というのも、苦ではなかったのかもしれない。

ながら族派ではなかった人は、もしかすると、受験に集中した方がいいのかもしれない。私はタイプがちがったから、たまたまうまくこなせたのかもしれない。
一点集中型の人は、いろいろと煩雑な仕事をこなしながら、というのではなく、ある程度の期間はじっと受験勉強を取り組んだほうがよいだろう。

受験だけに集中できる人は、その方がよく、私のように講師をしながらの方がハングリーで集中できる、というのなら、講師をやればよい、と思う。