食育の重要性が叫ばれている。

私の育った家庭は、朝ごはんをしっかりと食べる家であった。
朝の5時には、台所でガスの火をつける音が聞こえた。
母は、味噌も自分でこさえた。梅干しもつけた。
昭和の時代の、典型的な母であった。


ところが、私は20代で、農業に携わってから、朝ごはんを食べなくなった。
理由は明確で、朝ごはんを食べると、胃が重たくて、体が動かないからである。

肉牛や乳牛の世話をしていた。
相手は牛。
とっさに身体が動かないと、致命的だ。
朝ごはんなし。朝、起きた姿そのままで牛舎に直行する。
牛舎の横の水道で顔を洗って、そのまま仕事を始めた。身体が軽いから、まるで踊っているように牛舎の中を動いて回れた。
20代のはじめである。いちばん、身体が動くときだ。

乳缶運び、牛移動、角切り、去勢、かんたんな病気の治療。獣医に言われたことをやるために、毎日牛を捕まえては薬を塗る。つかまえるのがタイヘンだ。輪にしたロープを、角にひっかける。しばったり、すりきれたりと磨耗がはげしいから、新しい投げ縄をいくつも用意する。ほんとうにカウボーイだった。


当初、朝ごはんを食べていたら、身体が動かなかった。
思い切って朝食をやめたら、その方が身体の調子がいい。
だんぜん、ちがうのだ。
そのスタイルが、習い性となった。

もちろん、そうは言っても、だんだんとエネルギーが切れてくる。
そこで、少し早めの昼食をとる。10時30分には職場を引き上げて、昼寝をしに部屋に戻った。そのリズムが身体に合ってとてもよく、毎日が快適に過ごせた。

30代前半。教職をめざすようになった。そのための過程で、いわゆるビジネスマンをした。
コンピューターの仕事。
じっと、身体が動かないままだ。
目と頭と手だけが動くような仕事だった。
当時、身体がなまるから、わざとお客さんの部屋まで行く用事をつくったものである。
長い廊下やビル街をてくてく歩いていき、お客さんの部屋まで直接訪ねて行けば、お客さんに重宝がられて一石二鳥であった。

あまり身体を動かさないからお腹もすかないが、それでも朝ごはんは食べるようにした。少量だけ食べた。あとは珈琲をぐいっと飲んで、そのまま集中してパソコンの画面に向かっていた。


今、教師という任に就き、毎日子どもと接し、授業をする。
朝ごはんは、ビジネスマン時代の流れで、当初は食べていた。

しかし、次第に、食べなくなった。
理由は明確である。
胃が重くて、反応がにぶるからだ。
20代のときと同じだ。
朝の食習慣は、牛飼いの時代に逆戻りした。
教師という仕事は、システムエンジニアの仕事よりも、農業に近いのだ。特に、身体の動きは・・・。


どうも、身体がにぶると、頭までにぶる気がする。
多少ハングリーな状態で授業をしていると、自分でも神経が細かくなるのが分かる。
神経が細かくなるのは、口うるさくなるのとはちがう。
子どもの微妙な表情や、独り言や、授業の反応を、細かく見えるようになる、ということだ。
ノートにマルをつけるスピード、赤鉛筆が走るスピードも、朝ごはんを食べていたら、今よりも遅くなるような気がする。

一日を、ハングリーに過ごすと、夕方まで闘志が持続する。
その闘志を、図書館での勉強に役立てる。

1次試験までの間、そんなふうに、仕事をしていた。

今は、毎日の体調に合わせて、朝食はその都度、とったりとらなかったりしている。
前日の仕事の量や、晩御飯の時間帯などによっても、微妙に体調が異なってくる。
結局、その日の体調に合わせるしかないな、と思うようになった。