採用試験のことで、周囲の方から、いろんな質問をされる。

私が免許無し、妻子もち、の身で、小学校教員資格認定試験や採用試験を受験したことから、一体どんな勉強法でのりきってきたのかを、知りたいというのだ。

知人、教育実習生、いろんな関わりの方が、来年度受験予定だとのことで、私に受験体験をいろいろと尋ねてこられる。
せめてもの恩返しだ。
記憶の薄れないうちに、記録しておこうと思う。
私自身、さまざまなWEBページを見て、諸先輩たちの勉強法を参考にしてきた。
今のうちなら、多少は書くことができる。


模擬授業について、もう少し書こう。

模擬授業に取り組む中で、何がよかったかというと、一番は、身近な先生方にみてもらえたことである。
職員室で、これから模擬授業をします、というと、みんな忙しいにも関わらず、私の教室にまでわざわざ来てくださった。

教室で準備をしながら、ふと窓の外を見ると、外の渡り廊下をぞろぞろと、この教室へ向かって歩いてくる。職員のほとんどが、やってくる。何人かでこっちをみて、笑っている。
それを見て、本当に感動した。
うれしい気持ちと、これは絶対に受かってみせる、との闘志が湧いてきた。

中には、校長と教頭もまじっていた。
教室に入るや、こっちに向かって、「ごくろうさん」、といって座ってくれた。

みんなが入ってから、模擬授業の仕組みについて説明した。
年配の先生で、
「おれたち、模擬授業なんてやったことないな」
とおっしゃる先生がいたからである。
持ち時間のこと、生徒役のこと、試験官のすわる場所のこと。

「たださ、おれたちは、試験官がなにを評価するのかわからんからなあ」
「要するに、授業のわかりやすさ、じゃないかな」
みんなで口々に、いろいろ言っている。

すると、2年目の若い先生が、自身の経験から、
「姿勢とか、声の大きさとかもありますよ」
と基本的なアドバイスを言ってくださる。

ほかにも、いろいろと好き勝手にしゃべっている。
なんとなくみなさん、気楽に楽しんでいる感じ。

そんな中で、
「では、お願いします」
と、授業を始めた。

しかし、始めると途中でいろんなチャチャが入る。

「なにかその字、変じゃない?」
内容教科が国語の漢字を扱ったので、漢字カードの字を、厳しく見てくれたのだ。さすがだ。感心する。
「○の漢字は、二画目、留めだよ。払っているように見える」
「なるほど。ほんとだ。」
他の人もあいづちをうっている。

ほかにも、
「そこは、子どもに先に訊くよりも、~です、と説明してから発問、の順がよくない?」
「その方がいいよ。いきなり言われても、子どもわからないもん」

とにかく目につくことを全部言って貰った感じで、うれしかった。
すぐに、そのすべてを直し、修正した。


後日、同学年の先生など、何人かの前で再度やってみたところ、
「あー、ずいぶん良くなったよー。すっきりして納得。」
と言って貰えた。

こう言ってもらえたことが、本当によかった。
試験会場でそのセリフを思い出しながら、これだけ準備したんだもの、と心を奮い立たせることができた。



教員採用試験にいどむ際に、一番悩んだのは、
講師と受験は両立できるか、という問題だった。

クラス担任を持つこと。
授業の責任を負うこと。
子どもたちの学校生活そのものを最優先しながら、自身の受験対策を進めていく。
その両方が、可能かどうか。
おまけに、自分は三十代。妻と子どもがいる。土日には家族サービスもする。どこかに連れて行ってよ、と言われたら、それもしてやらねば、と思う。どこぞの模擬試験など、受けている暇はなさそうだ。

ああ、こんなことで、1次のペーパー試験に、受かるのだろうか。
集団面接で、教育時事について訊かれたら、まともに答えられるのだろうか・・・。


両立が、可能か。
自分でも自信はなかった。

でも、振り返ってみると、講師をしていてよかった、と断言できる。
なぜなら、生きた勉強ができたから。
そして、実際の教員が、仲間になってくれたからだ。
年配の先生方、新卒の先生、みんなが私の合格を願って協力してくれる。
こんなにすばらしい環境は、ないだろうと思う。
講師生活との両立は、一長一短ある。
どちらがよい、とは決め付けることができない。

ただ、私はすでに家族がいて、家族のために稼ぐ必要があった。
それで講師をした。不安はあったが、杞憂だった。
むしろ、かけがえのない財産を得た。人、という財産であり、経験、という財産である。