30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2019年12月

6年・理科 水溶液の学習・前半

「酸」と黒板に書く。

これ知っている?

すぐに出るのが、炭酸。

炭酸ってなあに、と尋ねると、

「ジュース」
「コーラ」
「メントス」
「しゅわしゅわする」
「あわみたいなやつ」

身の回りの「酸」について調べよう

と黒板に書く。

炭酸が出たから、すぐに炭酸のペットボトル(500ml)を出す。
この泡の正体ってなんだろうか。
どうやってしらべる?

火をつける。
吸ってみる。
飲んでみる。

理科の実験なので、飲んでみた感想を言い合うのでなく、物質そのものを調べたいんだ、と確認する。人間が感じた感想や思いに焦点はあてず、あくまでも物質としての事実、物質としての特徴を。

火をつける、が残る。

そこで水上置換で泡を集めて集気びんに集め、ふたをしてろうそくの火を差し入れてみる。

あっという間に消える。

「二酸化炭素じゃないの?」

1学期の既習事項が出てくる。
念のため、石灰水に通す。白く濁る。これは二酸化炭素だろう、ということが明らかになる。
このことから、みんなが炭酸と呼んでいる水溶液は、二酸化炭素の水溶液だということがわかる。



次に、また別な『酸』を調べよう、ともちかけると、

「クエン酸」というのが出た。

おそうじでつかう。
お漬物の色をきれいにするために使う。
などが出る。

では、クエン酸の水溶液をつくってみよう、ということで、水溶液をビーカーにつくる。
おそうじで、汚れが取れるやつだ、ということで、強烈なんじゃないか、とみんな考える。
「なにかをとかしてみよう」

そこで、黒板のチョークを溶かしてみる。
粉末をごく少量、試験管に入れて、そこへクエン酸の水溶液を入れてみると、あわが出る。
チョークの粉末はぜんぶ溶けてしまった。

「酸には、ものを溶かす働きがあるかもしれない」

念のため、ふつうの水も用意して、こちらにもチョークの粉を入れてみる。
まったく溶けない。

「やっぱり、ものを溶かすんだ」

たくさんのあわが出てきたので、あわの正体はなにかと問うと、

「二酸化炭素かなあ」

ついさっき、炭酸水からは二酸化炭素が出てきていたから、みんなそう考えるらしい。

そこで同じように石灰水に通すと、白く濁る。

「おお、二酸化炭素だ!」

クエン酸水溶液のような水溶液を、「酸」の水溶液というのだと確認する。
リトマス試験紙でしらべて、青いリトマス紙が赤くなることを見せる。
ふつうの水だと、青いリトマス紙は青いままである。

さて、クエン酸には炭酸カルシウムが溶けたので、炭酸水でも溶けるのかどうかを実験する。
すると、あまり溶けない。わずかに小さな泡が見える。
弱い酸性なのである。

ちなみに二酸化炭素そのものは酸性なのかどうか。
予想させてみると、みんな「酸性」なのだろう、という。
炭酸もクエン酸も、二酸化炭素が関係しているらしい、と思っている。
だから、CO2を拭きかけたら、色が変わるのではないか、と。

ところが、直接吹きかけてもなんら変化しない。

「あれ?」

となる。
「ちょっと待って。正確にはCO2の気体そのものが酸性とはいえない、ということだよね」
「ああそうか。水溶液にしないと」

そこで、ビーカーの底に青のリトマス紙を水でぬらしてくっつけて、そこへ向けて二酸化炭素のボンベからCO2を吹き付けてみると、見事に赤くなる。
二酸化炭素は、『水溶液』にしてみると、やはり酸性なのである。

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【6年・歴史学習】大日本帝国万歳!

2学期の学習のまとめをするために、歴史新聞をつくった。
各自で、もっとも書きやすいテーマを選んだ。
いくつか、書く方法がある。

1)当時の新聞風に(きっと、当時、こういう新聞が発行されただろう的な)

2)偉人のホンネ(世の中的な評価はともあれ、実際はこんな気持ちだったんだけど・・・、という、歴史上の偉人になりきっての暴露話風に)

3)2050年からの手紙(あと30年後に、こんなふうに評価されているだろう、という未来を予見しての新聞づくり)

4)偉人大百科(HP、MP、瞬発力、頭脳、運、分析力など、適当な指標を勝手につくって、それで偉人をレベル評価し、その解説を勝手に書く)

などだ。


驚いたのは、東郷平八郎がロシアのバルチック艦隊をやぶったことを当時の新聞風に書いた子。
英雄である東郷の横顔を鉛筆画でていねいに書いて、いかにバルチック艦隊をやぶったのか、その作戦から分析して、詳細に書いた。源義経の作戦をまねたことも、きちんと書いている。すごい。本格派だ。
大見出しが、
【バルチック艦隊撃破!わが国が勝利!】

次に、不平等条約の撤廃に活躍した、小村寿太郎のホンネを書いた新聞。
賠償金がとれず、国民から非難轟々であった寿太郎の悩みを、せつなく書いた。
大見出しは、
【本当のことはだれも知らない】

総じて、日清戦争に勝ったことや、日露戦争に勝ったことを新聞にする子が多く、見出しがほとんど、勇ましい。

【日本大勝利!】
【もはや敵なし】
【これで日本も強国に】
【わが国、実は強かった】
【韓国併合で領土が倍増】

3学期には、日本がロシアとの戦争で破格の借金をした後、突入した日中戦争、太平洋戦争のことを新聞にする予定。

そして、今回の新聞との見出しをみんなで比較し、くらべてみながら総合的に学習を進めていく。
日本がどこで道を踏み外したのか、それぞれの意見を比べてみるのが楽しみだ。

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「神話」教育、その後。

今の6年生は、1年生で入学したときにすでに「神話」教育を受けた子どもたちです。
だから、いちおう、日本の神話を知っている。
いなばの白うさぎも知っているし、大黒様も知ってる。
大国主命(おおくにぬしのみこと)も知ってる。
教科書に載っているため、みんないちおう、平等に知っている。

で、6年生で科学的に今度は歴史を学んだわけだ。
実は、6年生の2学期でほぼ歴史学習を終える今の時期、もう一度、歴史学習をおさらいする。
「縄文時代」からずーっと、日本の国の歴史を見通してみる学習をする。

その際、日本のいちばん古い状態はどういう状態だったかというのを出し合うと、急に思い出したかのように、「なんか、神さまがぐるぐるかき回して、ぼとっと落ちた土からくにができた」ということを言う子がいる。

これは、学習の成果がきちんと出てきているので、いわゆる日本はイザナギとイザナミの2人の神が天の橋に立ち、矛で混沌をかき混ぜて島を造る。『古事記』などでは、その後、さらに多くの島を産むことになっている。

「よく覚えているねえ」

もう忘れている子もほとんどいるなかで、何人かの子は、きちんとこういう大事なことを覚えている。
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「この漂っている国を修めよ」と命じられた、イザナギ・イザナミの命は天空に架かっている天の浮橋に立って、矛を下ろして、海をかき混ぜてから引き上げました。すると、矛の先から海水がしたたり落ち、島ができました。最初にできたのが淡路島。続けて伊予・讃岐・阿波・土左の四つの顔を持った四国。次に、隠岐。筑紫・豊国・肥国・熊曾の四つの顔を持った九州。壱岐。対馬。佐渡。近畿の大八島。次いで児島半島。小豆島。周防大島。女島。五島列島。男女群島の男島・女島の六島をお生みになりました。これで日本の国土が完成しました。

神武天皇が紀元前700年くらいの人。
それから5代前が、天照大神。
当時の平均年齢は20歳前後と言われているから、おそらくアマテラスの女神は、紀元前800年ごろだろうと推測される。
さらに、その父母である、イザナギ、イザナミのそれぞれの神に関しては、紀元前850年~900年ごろに生きた人物だろうと予想されている。

世界に目を向けると、アーリア人がガンジス川流域に移動し、バラモン教が成立するのが、ちょうどこのころだ。中国では、周、という王朝が幅をきかせていた。
日本では、イザナギ、イザナミのふたりが、いっしょうけんめいにかき混ぜ、かきまわして国をつくっていたが、それより先に実は縄文人が1万年近くも、日本に住んでいたのだから、縄文人は驚いただろうと思う。いきなり社会の共通的な資本である「公益の土地」を、勝手にだれかがかき回し始めたのだから。
縄文人たちも、おちおちクリなど拾っている場合ではなかったろう。

「おおおおお、!地面がゆれる、ゆれるぞォォォ!!気を付けろーー」

縄文人の文化や黒曜石の交易のはなし、あるいはクリなどの栽培痕跡や、大規模集落での祭りのあと、手厚い埋葬のすがた、そして春秋の暦をみわけるための砦や石の塔。
科学的にも進んでいた縄文人の学習をしてきた6年生は、頭の中で、この「神話」との整合性に、どうにも無理を感じてきてしまう。

わたしが、
「いちおう、このころ縄文人が暮らしていたけど、イザナギとイザナミのおふたりの神さまもちょうどこのころ、土地や山なんかをぐーるぐる、かき回しになられたということになるね」
と、解説を入れた。

縄文人たちがお互いの共通的な社会資本である土や水、森、山、空気などとともに暮らしていたところへ、イザナギとイザナミが現れ、土地をかきまわしはじめられた、ということをクラス全体で確認したところ、くすくす、笑いが起きた。

なにごとならんと思っていると、

「いきなりすぎやん。急(きゅう)だって」
「イザナギ、勝手やなぁ」
「やっちゃった感が」
「最初に、かきまぜますよ、がほしい」

と、子どもたちはイザナギとイザナミへ非難の目を向けだしたのだ。

わたしは慌てて神をフォロー。
「でも、やっぱり、神だということになってるわけだし・・・」

・・・ちゅうことになっておる。
どんな話も、この「・・・ちゅうことになっておる」というのをつけて、聞いたほうが良い。

・・・

その先は、もう、宗教の世界。
「信じる」ということだけだ。

事実はなくとも、そう、信じる、ということ。
無神論者の多い日本人にとってみると、かなり難易度が高い取り組みだが・・・。

司馬遼太郎さんの講演で、日本人の苦手な思考として、「信じる」を挙げていた。
「日本人にとっては、神というのは、糸巻のようなものなんです」と、説明していた。

『糸巻のなかの芯は、空洞です。その空洞に、信じるための論理付けとして、神々の説明という糸をずんずんと巻いていく。神というのはこうだ、こんなことをしたんだと、ぐるぐると巻き付けていくと、形ができてくる。中身がなくても、外側からみると、形があるような感じにはなるんです。しかし、肝心の中身はからっぽです。事実ではないのですから』

というようなことで、説明していた。
善悪を離れたうまい説明だな、と当時、感心したことを思い出す。

【ヘイト防止授業】「自分は良くて、相手がいけない」の病理

教員がよく遭遇する子どもどうしのトラブルで、こんなのがある。

Aくんが筆箱を投げた。
Aくんが先生に注意された。
A「だって、Bくんだって投げたんだよ」
先生「それは言い訳にはならないよ。ともかく、教室でものを投げたら危険だし、ダメでしょう」
A「なんで先生は、おれだけを注意するの?差別だ!」

わたしは、Aくんに対してというよりも、学級のなかで指導をします。
なぜなら、Aくんのような思考ルートをたどる子は、とても多いからです。
かんじんの、

自分が今、筆箱を投げたこと

からは、自分自身の注意をそらしているわけ。
頭の中で、「筆箱を投げたことに関する評価」をできるだけ封印、考えないようにしている様子。
これは、子どもの自然な、心理的・防御反応だと思います。

叱られる、ということについて、強烈な恐怖や不安を感じる子ほど、こういった防御反応が強いように思います。おそらく二次障害的なものかな?
暴言による圧力、圧迫、脅迫によって「叱られてきた」子にとっては、つらいのです。
そういう「叱り方」をされた体験をもっている子は、つらい。
おそらく、その体験から自身が解放されるまで、時間がかかると思う。

なんで、ぼくばかり注意されるの!
みんな、ぼくのことが嫌いなんだ!
俺に向かって注意するのは、みんな悪いやつらだ!


これが、「憎しみ」というもの。
世の中に対する、あるいは人に対する、憎しみ、というものでしょう。

『憎しみ』を心に抱えた子は、自分への批判や評価を、受け入れません。
受け入れるだけの余裕は、もうすでに心のどこにも、ないのです。肝心のスペースが。
憎しみは、外へ向かいます。
攻撃されたら、攻撃しかえすのが、せめてもの条件反射なのです。

つまり、憎しみによって、こころをほとんど占められてしまった子にとって、
自分が相手を批判するのはOKですが、
でも、相手が自分を批判するのは、許せないのです。

なぜなら、相手が自分のことを言うのは、すべて「攻撃」だから・・・。

しかし、自分が相手について批判するのは、これはもう、さんざん自分が攻撃されたことに対する、ほんのささやかな復讐であり、抵抗。だから、許されるべきだ、と考える。たとえ相手が、実際には自分の不都合とは、一切かかわりのない相手であっても・・・。これが「ヘイト」です。

ターゲットにされた方は、たまったものじゃないですが、憎しみに心を奪われている子にとっては、5歳のころからの憎しみが、貯金のようにたまっている。それを12歳になってようやく吐き出せるようになって吐き出しているだけなので、自然の生理的な現象に近い。
たまたま、偶然にも、目の前にいる子が、ターゲットになってしまう。

学級の中に、その「憎しみ」が連鎖していきます。どんどん、増殖する。
今、ヘイトが世の中で流行していることと、無関係ではないでしょう。
日本の世の中には、これまでの我慢やうっぷん、抑圧からの反撃欲求が、うずまいている。
それが、【ヘイトの欲求】になって表出してきているのでしょう。

ヘイトを出している側は、今の目の前の攻撃対象のことなど、くわしくは知らなくてもよいのです。ただの言いがかりに近いようなことでも、十分に、攻撃する理由になるのですから。
理由はただひとつ、「かつて自分が受けてきた圧迫に対する、ささやかな抵抗をしなければ」という思いです。



さて、こうした子には、どう接していけばよいのでしょうか?
どのような『指導』が、有効なのでしょうか?

淡々と接することです。
ごくふつうに。
しかし、粘り強く、あきらめず。
言うべきことは言いますが、しつこいことはしません。

そして、これまでどんなふうに、多くの人たちから親切を受けてきたか、嬉しかったこと、たのしかったこと、まわりがサポートしてくれたこと、してくれたこと、やってくれたこと、配慮してくれたことを、思い出させることから始めます。
道徳のノートに、たんまり、と書かせます。
最初は、「そんな世話を受けたことなんて、ない!」と言い張ります。そうです、それが特徴。親切など、受けたことはない。そう思う子ほど、人間関係に困っているのでしょう。

実は、ここで最初から、
「周囲から、こんなことをいつもしてもらっているよ」
なんて文章に書ける子は、もうすでに最初から幸福に生きている子であり、友人思いの子です。

書けない、書けない、思い出せない、そんな親切など、生まれてこのかた、受けたことがないんだ、と言い張る子ほど、これをやる価値が出る。

しだいに、書けるようになってきます。たった一行でも。

「給食を〇〇くんがよそってくれた」

だけでも。
このことを、100回ほど繰り返すと、その子の口から、ヘイトが消えていく。
これが、ヘイトの根絶につながります。

わたしの道徳は、ほとんどが、このこと。
これだけでも、1年間、ずっとやり続ける価値がある。
そして、1年くらいずっとこのことをやり続けないと、傷なんて、そう簡単に癒えるものじゃあ、ないですよネ。

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【アフガン永久支援・中村哲さん】を授業する

道徳で、中村哲さんの授業を企画した。
日本人として、中村さんの努力を知らないわけにはいかない。
世界中から尊敬される、まさにわが国の誇る偉人だ。
また、平和の大切さや情報リテラシーの大切さを学ぶのにもよい。教材とねらいとが見事に合致した教材になる。

【世界に尊敬される偉人シリーズ・中村哲さん】
〇授業の流れ

1)中村哲さんの写真を掲示
 ↓
2)資料を配布
 ↓
3)どんな人だったかを出し合う
 ↓
4)印象に残った言葉を出し合う
 ↓
5)授業の感想を出し合う

という、いたってシンプルなもの。
教材に力があるから、もう本当にこれだけ。
子どもたちは、勝手にいろいろと「練り上げ」合うから大丈夫。


以下、資料の一部。

中村哲医師
〇ここの人々の願いは、家で家族と食事をすること。
〇みんなおなかをすかせていた。どうにかして第一次産業を興すしかない。
〇水不足が10年以上続いている。アフガン人は戦争よりもこのことに苦しんでいる。
〇日本は、軍事力を用いない分野での貢献や援助を果たすべき。
〇戦争や武器では、決して解決はしない。武器は百害あって一利なし。
〇現地で活動していると、力(パワー)の虚しさ、というのがほんとうに身に沁みてくる。
〇力(パワー)は、銃でも戦車でも、はかなく、むなしいもので役には立たない。
〇銃で押さえ込めば、銃で反撃される。
〇国民の9割以上が農業者。農業をしたいと心から願うアフガン人が9割以上もいるということ。
〇戦(いくさ)で物事を解決しようとするやり方は、もう通用しなくなっている。
〇農業ができるようになると、まず人々は傭兵をやめた。
〇家族とともに食事ができることを、まず喜べるようにしたい。
〇ようやく流れ始めた用水路を破壊するアフガン人はいない。
〇昨日まで武器を持って向き合っていた人間どうしがともに畑をたがやしはじめている姿を見た。
〇緑色に復活した農地に、誰が爆弾を撃ち込みたいと思うだろうか。
〇それを造ったのが日本人だと分かれば、少し失われた親日感情はすぐに戻ってくるはずだ。
〇それが、ほんとうの外交じゃないかと、僕は確信しています。

NHKの番組で、中村さんの特集をするだろうから、見よう、と声をかける。
みんな、その気になっている。
政治的なとらえ方をするのではなく、いのちの課題として、授業をしたいもの。

アフガン4

アフガン

アフガン2

アフガン3

カレーライスを食べる→敬語だと?

6年生で、「敬語」を学習します。
いわゆる、『尊敬語』とか『けんじょう語』とか、とよばれているものです。

ていねい語とは、「です」「ます」などをつけてていねいにする言葉。
けんじょう語は、自分の方がへりくだることで、相手を尊敬するようにする言葉。
尊敬語は、相手の存在や行動を立派だと尊敬するようにする言葉、です。

よくあるプリントの問題で、次の言葉を敬語にしなさい、というのが出た。

クラスでいっせいに取り組み、みんなで検討する。

問題に、

「おいしいカレーライスを食べる」

というのが出た。

一人の男子が、手をあげて、

「カレーライスを食べた」

と言った。


みんな、シーンとした。
もう一度言ってみて、というと、

「カレーライスを、食・べ・た・・・」

という。

ふだん、やんちゃで口の悪い男の子。
乱暴で、校長先生や教頭先生にもタメぐちだし、口癖は、「やりたくねェ!」であります。
この冬だというのに半ズボンで、いつも靴下をはかず、靴のかかとの部分を、ずっとつぶして履いている。

その彼が、

「食べた」

というので、女子が手を挙げて、

「食べます」

と別の言い方で言ってくれた。
です、ます、をつけているので、これが正解。ていねい語であります。

ところが、やんちゃくんは不服のようで、

「え?食べた、というのは、ていねいだと思う」

と言い張る。

つまり、彼によると、「食べた」は、オレの中では、十分すぎるほどていねいだ、というのです。
ふだんは、「喰った(くった)」だから、食ったを、ていねいにして、食べた、と。これは自分としては、最大に譲歩した形の、ていねいな言葉だ、というわけ。

「おれにとってみれば、最大級にていねいなんだけど。ダメなんか?」

女子は大笑い。

「ダメです。です、とか、ます、をつけたら、ていねい語になるからね。次からそうして」

わたしがいうと、やはりやんちゃくんはまだ不服。

「いやあ、ていねいなんだけどナァ。はらへった、は、おなかがすいた、でしょう? だったら、くった、を、食べた、というのは、ていねいなんだけど」

個人的な感想を認めれば、これは正しい。
ともかく、女子が笑っているので、やんちゃくんもなにかつられて笑いながら、席に座った。

すると、直後に、おずおずと一人の女子が、

「あー、わたし、カレーを食べたいです、にしちゃった」

と白状した。

「だって、おいしいカレーライスでしょ」

いや、これ、アンケートじゃないから。
あなたの正直な気持ちをきいているわけでは・・・。
だってこれ、・・・「敬語」の学習プリントですよ?

女子「だって、4時間目だったしさー。おなかへったから、つい食べたいですって書いちゃった」
男子「いや、敬語なら、へったじゃなくて、おなかがすいた、だろ!」
女子「食べたい・です、って、ちゃんと、です、がついてるからいいじゃん」

給食前の4時間目、学習プリントで、
「おいしいカレーライスを食べる」
という言葉を敬語に直す問題は、してはいかんですネ。

カレー

「うまくいく」自分になっているか

学校というのはさまざまな問題がもちあがる場所。
それは当然で、関係者全員が生きて動いているのだから、いろんな課題が見えてくる。

前回の記事で、校長先生だけは『笑顔でいてほしい』と切に願っている記事を書いた。
管理職の第一の適性は、『ゆるがず、どっしりと、よろず良し』と存在することだと思う。
石のように微動だにせず、周囲に存在感だけは示していてほしい。

先日の記事にあるような「落書きに関する指導方法と教師と保護者のくいちがい」のようなことは、しょっちゅうある。
そこで、校長先生が、

「ど、ど、どういうことでしょうか、あ、あ、これはいったい・・・」

と、のどをからからにさせて右往左往しているのは、やはりなんというか、である。

責める親は責める。
当然である。
他を責めたくなるような世の中であるし、責めずにはいられない気分が蔓延している。
「守られていない自分」を感じていれば、たとえおしゃか様でも他を責めるでしょう。
キリストだって、自分を守らねば、と思っていたのなら、ぜったいに左の頬を出さないはず。
守られていない感が世の中に充満しているのだから、だれだってそうなる。

子どもでもそうで、落書きをしたことについて、なにかしらサインを出している。
落書きしたくなる子、落書きしようとした気持ちを子細に見てみると、担任であればいろんな想像がはたらくものだと思う。

それも含めて、実は世の中は、

「うまくいかせよう」

とは、あまりしなくても、いいのだと思える。

校長先生は、「学校がうまくいきますように!」と、あまり願いすぎない方がいいように思う。

それはなぜかというと、落書きもあって当然だからであります。
ただ、それをしなくてもよければしないほうがよく、そうなるように子どもが安定していけるような働きかけをすればいいだけだし、親もそうで、怒って学校へ怒鳴り込んでもよく、それは管理職なら当然そのようなことはどんどんと受け入れるのが仕事で、保護者と一緒になって子どものことに心と頭を働かせればいい。

ただし、それで動転したり、血圧をあげたり、焦って汗をかいたり、口ごもったり・・・そんなことが起きるとしたら、なにかが、まちがっているのだと思う。「うまくいかなくて当然」なのだから。

うまくいかせよう、という動機ではじめたことは、なぜか、いつまでたっても目指すゴールにはいきつかない気がする。

ところが、「うまくいかせよう」という動機をはなれて、「うまくいく自分」になりさえすれば、結果として、すべてがうまくいく、のだろう。

管理職は、うまくいくことを願うのではなく、うまくいく自分になっていさえすれば、結果としておのずと、意図せずとも、しぜんに、なぜかほうっておいても、ただそうしているだけで、ただなにも意識せずとも、なんにもしなくったって(←くどいか)、

結果としては、うまくいくのだろう、と思う。

まだ管理職にはならない自分がこんなことを書くと、
「お前が言うな」
だと自分でも思うが、もし自分が管理職であれば、「うまくいく」ことを願う、というのはやらない。というか、できない。なぜかというと、うまくいくはずがないから。しかし、現実に起きていることを決して憎まず、目を背けず、「うまくいく」自分になっているかをいつもチェックしているだけで、おそらくうまくいくのだろうという感じがするから、わたしは自分でも意外なことに、かなり楽観的である。

〇事実だと思い込んでいないか
〇事実だと決めつけていないか
〇そういうものだとしていないか
〇自分の評判のためにと考えていないか
〇早く解決するのが良いとなっていないか
〇解決すればよいと思っていないか
〇なんらかの「憎しみ」が、行動の動機になっていないか
〇困ったからやる、という発想でやっていないか

こうしたことをチェックしていれば、おそらく本来の目的からズレないだろうと思います。

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落書き事件~校長先生だけはともかくも、元気でいてほしい~


私のかつての勤務校で、同僚の先生がまきこまれた事件では、こんなことが。

1)落書きをくりかえしたので叱った。(学年集会で叱った)
2)大勢の前で叱られたことに納得できなかった児童が親に言いつける。
3)親→学校へ電話。「うちの子が叱られた。納得できない!」
4)親→校長
  「うちの子は落書きなんてしていないのに、わざわざ学年全体の前でうちの子だけ叱られた!」
5)校長→担任
  「落書きは事実なのか?たとえそうであっても、個別指導でよかったのでは・・・」
6)担任→親
  「すみませんでした」
7)数日後
  同じ親→クラスの別の親に向かって言いつけ。
  「○○先生はいろんなことがまちがっている」
  「○○先生の宿題の出し方は、おかしい」等・・・。


職員室の座席が、目の前の先生でした。とっても若い方。わたしよりも・・・。
いろいろとよく話をしていました。

そのF先生、ふだんから保護者からの信頼は厚かった。
校長先生をはじめ、周囲の先生方からも、若いのによく働いてくれる、と好印象のナイスガイです。

しかし、ちょっとしたボタンのかけちがいから、特定の保護者となんだか不穏な関係に。あとから、宿題の出し方や学年通信の内容まで、いろいろと「おかしい!」と言われてしまうことになっていったようです。
当時、気の毒なほど、憔悴していましたね。やつれて、校長室から出てくる彼を何度も見ましたが・・・。


結局、落書きが事実であることを子どもが認めたことや、困っている担任の味方になってくれる周囲の児童やその親がいて、校長に話をしてくれたことから、事件は収束していくのですが・・・。

また、校長も気を取り直して、該当の親と直に再度、話をしてくれたり、他の親と連絡をとってくれたりしたので、なんとなく過ぎ去っていきました。


しかし、保護者との関係がうまくいかない、ということになると、本当に学校中がそれに振り回されていきます。とくに保護者に校長先生が振り回されていると・・・。いろいろ波及して・・・。
学校が疲れていく、ということを感じた時がありました。
学校の、先生たち全体が、です。
校長先生の表情が曇っていると、他の職員たちも、なんとはなしに、晴れて行かないものです。


「こんなことなら、落書き、写真を撮っておくべきだった。放課後に消しゴムやらスポンジやらで一生懸命にこすって消したのに・・・」

と若きホープ、F先生が嘆いておられましたな。
なによりも、事実の証拠があれば、校長先生も妙に気を使わずに済んだことでしょう。
わたしも当時は教師になり立ての頃。
目の前の席に座って、ため息をつくF先生を見ながら、

「おそがー」(三河弁?で、おそろしい、の意)

と、肝に銘じたことでありました。


校長先生は、やはり学校中でもいちばん明るく、笑顔でいてほしいです!


rakugaki

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