30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2019年08月

母の計画 inハワイ

母がハワイに行く、と言い出したのが5月。
2年前に父が死んで、「なにもやることがなくなった」と言っていたが、気が変わったようだった。


父が死んだとき、
「これまではお父さんが喜ぶことだけ考えていたら、それで良かった。その相手がいなくなったからなんもすることがない」
若いころからチャキチャキしていて、なんでも思ったことをズバズバ言い、元気がとりえ、という人だったから、その脱力ぶりは見ていて痛ましいほどだった。

「なんでハワイ?ゆっくりしたいのなら、熱海とか、伊豆とか、国内じゃないの?温泉とかで、おいしいお刺身を食べてさ・・・」

国内を勧めたが、今回はハワイだ、と言ってきかない。

「まだ一度もハワイに行ってない。あんた、ハワイの旅館取って、手配して」

母は、ハワイにこだわる。で、結局、面倒くさい旅の準備はこちらに任せる、ということのようだ。

「もうすぐお迎えが来るんだから、その前に、ハワイ」

ちっともお迎えが来る様子は無いがな~、母と同居している姉が苦笑した。

姉と相談しながら旅行の準備を進め、随行することに。
ハワイで何がしたいんですか、と聞いても、特に何もないようだ。
喫茶店をしているので、コーヒーの木をみて、ハワイコナの豆を買いつけるのと、あとはただきれいな海のところへ行きたいんだそうな。

「ハワイコナの農園に見学できればいいよね。それならツアーもあるし」




出発の日が近づいてきた。
あと3日、というところで心配になって電話をかけると、姉が出た。

「お母さん、ハチに刺されたんよ」

足のかかとが、水膨れになっているらしい。

「どっかにハチの巣があるかもしれんで、出発する前に巣を取ってしまって」

出発の日の朝から、ずーっと忙しいぞ、こりゃ、と観念した。



高速をとばし、当日の早朝、実家に着いた。
実家に着くと、そこからすぐに蜂の巣を退治。それが終わったら庭木の剪定。
「本日休業」の看板をみながら、喫茶店の入り口のテラコッタを高圧洗浄機で洗う。
「これからハワイに行く感じがしないぞ」同じように掃除をしていた姉に文句を言うと、まあまあ、と軽くいなされた。

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夕方、中部国際空港で出国手続きをし、あれあれ、という間に機内へ移動。

いよいよハワイか、と鼻歌を歌おうという気分になったとき、隣席の母がふところから取り出したのは、父の写真だった。

「はい、お父さん。いよいよ飛行機にのったよ」

写真にうつった父に、機内をぐるり、と見せている。

「ああ、お父さん連れてきたんだ」

と姉が声をかけると、

「ああ、そうだよ」とすましている。

「喫茶店を10年やったら、いっしょにハワイへ行こう、と話していたんだからね」

どうりで・・・。

今回のハワイ旅行の意味が、ようやく分かった。

このあと、母は父の写真を旅行中に何度も出し、父の目に映るようにまわりの景色を見せたり、料理を見せたり、話しかけたりした。

「おかしな人だと思われなきゃいいけど」

と心配すると、

「思いたい人には思わせておけばいいのよ。人間なんて、思いたいことしか思わない動物なの」

77歳になると、達観するようでありますナ。

はわい


夕暮れ時、母がホテルの前のビーチを散歩しながら、

「お父さん、ここに暮らすのもいいねえ」

と、写真を両手でもって、ずーっと夕日を眺めている。



あたりが暗くなり、ホテルの照明がついた。

母は、ハワイに来れてよかった、と何度もいう。

「お父さんならここに椅子を出して、ずっと海を見てるわ」


買い物もしないし、観光もしない、なんにもしない、77歳のハワイ旅行。

ハワイの酋長に助けられた話

『Down to Earth』 という店で、水筒(ボトル)を買おうとしていたときのこと。

たかが水筒だが、棚にならんだ商品たちはどれもカラフルである。
豊富なカラーバリエーション。明るい黄色もあれば、深い青や淡い水色も、ある。
なかなか日本ではみかけないような極彩色の水筒が並んでいる。

一目で気に入って、これは良い、と選んでいたら、背後に人の気配。
振り向くと、そこに、インディアンの酋長がいた。

正確には、店員だ。

ただ、見た目が、酋長なだけ。

こんな感じ。

img_1



その酋長が、話しかけてきたのだ。


実は、水筒(ボトル)はすべて口が空いていて、キャップは別になっているようだったので、わたしがキャップを別に買い求めようとしているところを、どうやら見咎めたらしい。

その酋長が早口の英語で、

ペーラペラペラ・・・

と話すのですが、

残念なことに、

皆目、わかりません。

ただし、わたしがそのキャップを持っているのを指さしていたので、キャップを買うなよ、というようなことを言っているようでした。レジのところでどうのこうの・・・というような雰囲気。

わたしは、酋長に向けて、

「わたしはこの店内において、この商品を選んでいるところのものであり、正真正銘、このセットが欲しいのである。つまり、一つはこの空のボトルであり、もう一つは、この空のボトルの口に合うであろう、この蓋、である。わたくしは、天地神明に誓って、これらのセットを買おうと思っているのである」

というようなことを懸命に説明すると、

酋長は哀れみ深い顔になった。

そして、さらにクリーミーな、マイルドな声で、幼子を諭すように、

「お前はこの蓋を、ここでボトルに合わせる必要がない。蓋をボトルに合わせるな」

という。

わたしはこの酋長が言いたいことが、いまひとつ、理解できない。

そこで、酋長の正体を知りたくなった。
あれこれと彼の人となりを観察してみると、どうみても、首から上は酋長然としているが、服装はかんぜんに、店員のそれ、である。

上着は他の店員と同じもの、つまり制服を着ている。
しかし、腰から下はまた、酋長、なのである。
どうみても、店員には見えない。

「こいつは、地元の有名なインディアンの酋長で、今日、たまたま店員と同じような服を着ているのかな」

と怪しんでみたが、彼はニコニコとしながら、他の商品をせっせと整理したり、並べなおしたりした。そしてまた、わたしを見て、にっこりとスマイルをしてみせた。どう見ても、しぐさとやっていることは、店員のそれ、である。しかし、店員とみなしてみても、そのセリフが理解できない。

店員であれば、いうべきことは真反対であろう。
挙動不審な日本人がボトルとキャップを握りしめていたら

「お前はぜひそれを買え!」

というべきであろう。

「どうせ日本に帰ったら、そのキャップは買えない。だから今、そのキャップを忘れずに買え!」

と。




わたしは酋長には黙って、ないしょでボトルのキャップを掌(てのひら)に隠すように持ち、レジへ向かった。

そしてレジに行きつくと、かわいらしい若い女性の店員に計算してもらうと思っていたら、直前でアクシデントが起きた。

なんと、わたしがそろそろ順番になるかと思いきや、急にロシア人のような大男があらわれて、

「お次の方、こちらへどうぞ」

と言ったのである。

そいつはむくつけき胸毛を生やし、腕にも剛毛が生えていた。まくりあげた半そでのすそからは、紫色のタトゥーが見える。
しかし、彼もまた、店員なのであった。

わたしはチラッと、若い女性店員をみやった。
彼女は現地の人らしく、小麦色に焼けた肌で、愛くるしい顔つきの娘である。
彼女の細長い指で、レジをピッピとこなしてほしかったが、もう目の前には愛想笑いで人の2倍くらいある頭をもつ、ひげ面の大男がわたしに向けて手を差し出している。

観念してそっちへ行くと、その大男は、短く、Oh!と言い、

ボトルのバーコードはピッと読ませたが、キャップは何か机の下からささっと取り出してボトルの口金のところに入れ、締めたあと、

「これは無料なのだ。ただいまキャンペーン中だ。お前さんは今日はラッキーだった」

といった。

怪しんでレジから出てきたレシートを見ると、たしかに蓋(ふた)の料金は取られていない。
巨人がくれた蓋を見てみたら、彼が正しく締めてくれている。

どうやら、インディアンの酋長と、このロシアの巨人は、2人とも、正しくサービスをしてくれているようであった。見知らぬ東洋人を『だまくらかそう』とはせず、とても良心的なのであった。

わたしは人は見かけによらぬ、ということを常々、自分に言い聞かせているものであるが、今回は海外で慣れぬカードを使ったりと緊張していたせいもあって、そのことを忘れかけていたようだ。

おまけに、ハワイというところは、人種が多すぎる場所なのである。

表に出て歩いてみると、そこは世界人間博覧だ。

白人、頭髪の黒い白人、金色の白人、茶色の白人、赤毛の白人。
黒人、インド系、ロシア系、オーストラリア系、中近東の人。

東洋人にもいろいろいる。
中国人、韓国人、日本人、東南アジア系。

現地の人にもたぶん、いろんな人がまじっている。
ポリネシア系、ミクロネシア系、さまざまだ。

体形がまたすごい。
巨漢の人、激やせの人が、交互に向こうから、歩いてくる。

服装も、やはりすごい。
ビキニの人と、スーツの人、ムームーの人、アロハの人、そしてポロシャツの日本人。それらが、見事に交互に向こうからやってくる。めまいがしそうである。
だから、ハワイに来ると、だれもが隣の人を気にしなくなる。隣が何人だろうが、気にしているとくたびれてしまうからだ。

おそらく、隣に頭に角が3本生えた宇宙人がいても、帽子を足にはいた人がいても、もはやだれも気にしない。それが、ハワイなのである。


その後、なにげなくさきほどの可愛らしいレジの女の子を見てみたら、客がいない隙に

なにやら鼻の穴に白い紙をまいた筒状のものを入れて、吸い込んでいた。
そして、すこしトロン、とした顔つきになった。

あれはなんだったのだろう。
人はみかけによらぬもの。バイアスをかけるのが人間。バイアスをとりのぞく努力は、けっして無駄にはならない。

鉄則は、いつでもどこでも、通じるものだ。
「バイアスは取り除け」
これは、ハワイでも通用する真理なのであった。


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パソコン HDD故障で泣いた夏

しばらくパソコンがみられていませんでした。
パソコンが故障し、対応に追われたのです。
自戒をこめて、よびかけたい。

バックアップしよう!

子どもたちの写真が消えちゃったのが、痛かったなあ・・・。
ハードディスクが壊れる、ということを、なんとなく忘れていました。

「あれ。なんか調子悪いなあー」

という、予感めいたものもあったし、予兆もあったのですが。

その瞬間、すぐにバックアップをしておけばよかったと思います。

「たまたまじゃろう」

と思っているうち、とうとうまともに起動しなくなりました。
夏休みに入って、ほとんどネットに接続できず、記事の更新もできずじまい。

みなさん、バックアップ、ですよ。
大事なのは!!

5年経過したハードディスクは、いつ壊れてもおかしくないです。

とくにつけっぱなしにしておいたようなパソコン、起動時間の長いパソコン、移動することの多い端末、ノートPCは、衝撃には弱いですよ。
たしかに、最近のやつは強いと聞きます。でも、やはり、機械です。ほこりにも、高温にも、衝撃にも、稼働時間にも、弱いです。

自分の学校で使うファイルがなくなったのも悲しいけど、それ以上に、子どもたちの写真が消えたのが悲しい・・・。

みなさん、バックアップしましょう!!


(あらゆる手段を試み、基盤も交換し、業者にも出したがダメでした)
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やり直しのとらえ方

やり直し、ということを、「ありがたいチャンス」と思うかどうか。
社会全体が、「省エネが良く、やり直しはできるだけ避ける子を育てている」という気がするネ。

そのためか、教育現場でも、生産性を上げることが良いことだから、能力の秀でている(とされている)子の言うことをみんなで黙って聞くのが良い、と教えている気がするが、どうだろう。


なんだか途中で、おかしいかも?と思っても、
「そんなわけない。気のせいだ」
と言って前進一路!ということになる。

前進して、景気よく進んでいる時は
「ほらみろ、正しいのだ」
となりやすい。

まだ元気だし、道はきれいだし、みんなで歩いているし、歩きやすいし。
「信じてよかった!新しい時代の幕開けだ!」
「男のロマン、夢、人間の可能性を信じよう」
って、だれかが言うと、みんな感動して、
「やってよかった、進んできてよかったのだ」と応える人も多いだろう。

ここまでは、みんなそう。


ところが、だんだん藪の草が伸びてきて歩きにくくなってくると、あれ、と思う人も出る。
「あれ?この道でよかったんだっけ?」
すると、やり直しを認めない人は、
「草など想定外だ。藪も、本来あるものではないはず。こんなことは千年に一度のことだろう」
と、誰かが言い出すと思うね。

道が無くなり、なんだか戻りたい、という気持ちが出てきた時にさえも、人間は
「いや、これでよかったはずだ。この道しかない。計画はまだ道半ばだ」
と強く言いたくなるものだ。
やっぱり計画を見直し、別の道を選ぶところ、三差路の場所まで戻ろう、という気になる人は少ないようだ。

やり直しをチャンス、ととらえる子と、
やり直しは損なコト、ととらえる子。

どちらが、未来を切りひらくか。
新しい業態を発案し、実験していくのはどちらか。

『チキチキマシン猛レース』でも、最後まで勝負は分からないもの。
ところが、「やり直し」を嫌って、間違った道を勇気果敢にどこまでも突き進もうとしたのが、第二次世界大戦でのインパール作戦だった。

昭和万葉集に、たしかこんな内容の歌があった。

『「あなたはこの戦争に負けるかもしれない、とはお考えにならなかったのですか」と、妻がわたしのうしろでそっと言った』

上記の歌、内容しか覚えていない。
うたを、そのまま正確に、ここに記せないのが残念だ。


この奥さんは、「さっさと降伏してほしかった」
と思ったことがあったのかもしれない。
しかし、時代が『あともどり』というか、「やりなおし」を禁じた。



子どもたちと、「やり直し」ってなんだ、と考える道徳の授業をしてみたら、と思い浮かべている。「引き返す勇気とやり直しは、決して無駄にはならない。むしろ正確な道を歩むチャンス」とまとめる子が出てくるのではないかな。

P7150609

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