30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2017年12月

ブラタモリの「お題」は良い発問といえるか

.
ブラタモリ(NHK)が面白いので、録画で見ています。
リアルタイムでは無理なので、土日と休み限定です。
年末、たてつづけに何本かを見て、途中からある疑問が湧いてきました。

「ブラタモリの最初のお題には、子どもが食いつくだろうか」

たとえば、先日放送されていた、東京吉祥寺・編。
このお題は、
「なぜ人は吉祥寺に住みたがるか」
でした。
吉祥寺は長年、「いちばん住んでみたい町」のナンバー1になっています。
それはなぜか、というお題でした。

これ、実は教師がもっとも出しやすいお題なのです。
「なぜか」
と問うパターンは・・・。

なぜ、太一はクエをねらうのか。(小6・国語)
なぜ、ひし形の面積は対角線×対角線÷2なのか(小5・算数)
なぜ、スチールウールを燃やしたら重くなるのか。(小6・理科)
など。

いちばん子どもに覚えさせたいことと直結した発問になるので、
教師はこれを連発しやすいです。

ところが、こればかりやっていると、子どもによっては
反応を示さない場合がある。
「え、べつに興味ないし」
という感じ。

なぜか、と問われても、そんなの知らん、とでも思うのでしょうナ・・・。


学習問題が、面白いかどうか、で、子どもたちの集中がちがうのです。
それが分かるから、学習問題をどうするか、どのように問いかけるかを、日々、気を付けております。
ブラタモリでも、この「なぜ、〇〇なのか」とか、「どうして〇〇するのか」という、
なぜなに発問
というのが、とても多い。たぶん、大人が相手だからだ。大人は、予備知識も多いし、興味ももってくれるから、

☆なにを問われたか
☆どのように答えたらよいか

について、迷うことがないと思われる。


しかし、子ども相手だと、そこが授業の明暗を分ける。
何を問われたのか、どのように答えることを期待されているか、子どもが迷うようではいけない。

今回のブラタモリのお題、「なぜ人は吉祥寺に住みたがるか」も、子どもが食いつくようなお題に変換してみることはできないだろうか・・・。これが、番組の途中から、どうしても気になってしまって、とうとうテレビを消して、自分で腕組みをして考え始めた。

まず、分かり切った発問は、しらけるからダメ。
子どもだって、そんなの分かってる、と思うような問題は、やる気がおきない。
また、考えようにも考える手がかりや足がかりがない発問は、山カンで答えるほかなくなる。焦点が絞れず、意識がふわふわしてしまう。

そうではなくて、
〇か×か
AするかBするかどちらだろうか
上から数えて何番目になるか
というような、確実にすっきりと答える問題こそ、子どもが集中して取り組む発問だと考えられる。

すると、さきの問題、「なぜ人は吉祥寺に住みたがるか」を子ども向けに変換すると、どうなるか。

「江戸時代初期、吉祥寺周辺に人は住んでいたか住んでいないか」

住んでいた、と考えるなら、そこに水が豊富にあったからだ、という意見も出るだろう。
クラスの大半は、井の頭公園の豊富な湧き水をみれば、「昔から多くの人が恩恵を受けて住んだだろう」と考える。
ところが、答えは、×。
吉祥寺周辺は、とても人が住みにくく、住んでいなかったことが分かる。

たしかに、水は豊富です。しかし、下の方にある水を上に運ぶのは、とても大変な訳です。壺のように落ち込んだ土地の湧き水は、扱いにくい。水は重いですからね。桶に入れて運ぶにしても、毎日坂道を大変な思いをして運ぼう、とは思わないのです。
一方、上から下へ水を運ぶのはかんたんだ。ジャーッと流せばいい。いくら湧き水が豊富だからといっても、水を運ぶ有効な手段がなければ、人がたくさん住むようにはならなかったのです。

ところが、今、多くの人が住むようになった。
次は、それはなぜなのか、というふうに、興味が湧いてきますね。
興味というのは、ちょっとずつ、わいてくるのであります。

いきなり

なぜか

というよりも、

〇か×か
AかBか

という発問で、意外に思う側面をあぶりだしておいてからだ。
知的好奇心を揺らしておいて、刺激しておいてから、
ようやく、

「ではそれはなぜか」

と聞いていくようにしたいもの。

いのかしらこうえん




花いちもんめは、天下分け目の戦い

.
花いちもんめをはじめたところ、すぐに悲鳴が。

見ると、Aくんたちが足で蹴りあっている。

すぐにストップし、いったいどうしたのか、と問う。

「だって、敵が蹴ってきたから!」



蹴らないでやろう、と確認して再度スタート。

今度はAくん、相手のじゃんけんの仕方に文句がある、と興奮している。

さらに、おれはもともと窓側のチームだったから、と言って
校庭側のチームに引き抜かれて自分の所属が変わったにもかかわらず、
「手をつなぐのがいやだ!」
と言い出した。

そこで、花いちもんめはストップ。



花いちもんめは、敵も味方もないでしょう、というと、
Aくん、「いや、ある!」と。

「だって先生、勝ってうれしい、とか、負けてくやしい!って言うじゃん!」

みんなを集めて、話した。


勝ってうれしい、とか、
負けてくやしい、とか、
言葉で言うんだけれど、そのすぐ直後に、
自分自身がすぐに敵味方の立場が入れ替わってしまう可能性があり、
うれしいとか、くやしいとか、そんなものは
すぐにどっかへ行っちゃう、というのが
この遊びの面白い意味なんじゃないかなあ。


まあ、そうだよね、と反応する子もいるかわり、
「ちがう!」
と言い張る子もいる。

わたしが
「え、でも、すぐに誰が味方か敵なのか、わからなくなっちゃうよね。
そこが、この遊びの、面白いところなんでしょう」
というと
「そんなことない!〇〇は敵!」
とゆずらない。

企画したメンバーが「先生、もう遊びをチェンジしよう」というので、
花いちもんめはもうやめにして、すっきりと次へ。

次は、花いちもんめよりも、さらに平和なはずの
「だるまさんがころんだ」である。

これなら、「勝つ」とか「負ける」なんて言葉もないから、
勝ち負けは本当に無いよね。


ところが、だるまさんがころんだをやりはじめたところ、
Aくんが、すぐに走ってきてタッチする。

「今の、ちゃんと名前を呼んだし、完全に動いていたでしょう」
というと、
「いや、ぜったいにセーフだった!俺の勝ち!」
と言う。

いちいち先生の出る幕でもないよな、と思いつつ、
鬼の子が困惑したように訴えるので、仕方なく私が、
「今のはアウト!」と裁く。

アウト、と言われて

「ちくしょう!」と叫ぶ形相がすごい。

「絶対に俺はつかまらんぞ!」



そのうちに、タイミングを見て、
企画メンバーがこんなはずじゃなかった、と言うように
「先生、これ、早めに終わりにして、ちがうことしよう」
とないしょでこそっと、耳打ちしてきた。


教室の席にもどり、まったくちがう絵を描くゲーム。
これはまったく勝負することではない。
なにが良い、悪い、というのも、無い。
ただ、交互に絵を描くだけ。

「おもしろい絵だねえ」

これは、平和裡に済んだ。




お楽しみ会が終わって、ちょこっと企画メンバーの反省会をすると、

「花いちもんめも、だるまさんがころんだも、男子とはもうやりたくない」

と女の子が言う。

「あんなに、勝負にこだわってやるもんじゃないから」



たしかに。
おっしゃる通りです。
しかし、男の子たちは、勝負だと思って、まさに武士の一分、自分の魂をかけて勝負をかけてきている。たとえ花いちもんめであっても、だるまさんがころんだ、であっても、
決して負けるわけに、いかない。それが男。

これを、男と女は違う、というひと言で済ませるのか、
どうなのか。


帰りの会が終わってから、なんとなく集まってきた企画メンバーと、
「だるまさんがころんだ」は、いったい勝負なのかどうなのか、という話になった。
みんな、口々に、
「あれは別に、勝ち負けは無いでしょう」
「あれの面白さは、ぴたっと止まるところなんじゃないの」
「そうそう、つい動いちゃうから、あ~、ざんねん!ってなる」
「みんなでじっと固まっているのが、面白いよね」
「急に振り向いたり、わざとゆっくり言ったりするでしょう。あれが笑っちゃうから」
「なかにはさ、変な恰好で、なんとかぎりぎり止まっている人いるじゃん。あれがいいよね」
「あんなのさ、いくら負けたって平気じゃん。どうせすぐに鬼も変わるんだし」

わたしはつぶやいた。

「きみたち、ぜんぜん、分かっとらんな。あれは、男と男の壮絶な勝負なんやで」

女子はあきれ顔である。
なんでそんなにこだわるかなあという顔をしている。

いや、Aくんにとっては、あれが、一世一代の大勝負なんや。
息を殺し、忍び寄る!
敵に気付かれないように、徹底的にカムフラージュする。
まさに、騙し、騙される、生きるか死ぬかの壮絶な駆け引きだ。
「だるまさんがころんだ」と言って、相手が視界をずらし、死角が生まれたその瞬間!
まさに獲物をねらうピューマのように、密林の王者ジャガーのように、
敵の油断をすかさずつき、背後から強烈なタッチで、
ズドン、と敵を討ち、すかさず逃げる!
命からがら、われ、奇襲に成功セリ!というわけだ。
彼の心には、「トラ、トラ、トラ」の暗号音が鳴り響いている・・・、ちゅうわけやなぁ。

Aくんにとっては、たとえ平和そうに見える「だるまさんがころんだ」も、そのへんの女(おんな)子どもの遊びとは、わけがちゃうんやで!


わたしが、そう喝破した結果、二度と、

・花いちもんめ
・だるまさんがころんだ

は、このクラスでは開催されないことになりました。





女子があきれたように、

「先生、ほんっっっとーに、・・・勝ち負けのないゲームってないの?」

と問うたので、わたしは遠くを見つめながら、

「ないのやろうなあ・・・。男はいつだって、勝負の世界だもの・・・」




男はいつだって、酔いしれたいのだ。
自分の強さに、おのれのたくましさに。

そして、それを認めてもらいたい。
ほめてもらいたい。
もっというと、感謝してもらいたいのだ。

Aくんは、みんなから感謝されることを期待していると思う。
それに、実際に、いろいろとやってくれている。
Aくんに感謝することを、クラスのみんなから集めたら、きっと膨大な数の事例が集まることだろう。

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なぜ、景品をもらえないと、イヤになるのか

.
景品がもらえないと、くやしくて泣きたくなる。
人生は、勝つか負けるか。
いかなる勝負でも、負けたくはない。


たぶん、そういう考えの子も、けっこう多いのだろうと思う。

そう思っている子の場合、
勝負に勝てば景品がもらえるが、負けたらもらえない、というのは
かなり、インパクトのある『勝負』ということになるのだろう。

負けてもらえないと、泣きたくなるほどに口惜しくてたまらない。

今のまま、景品を続行すれば、またもや阿鼻叫喚、
泣く子はやはり、泣くだろう。


しかし!
景品そのものを無くすのは、惜しい!


なぜなら、景品をつくった子たちの気持ちもあるし、
もらえてうれしい、ということもある。
みんなで喜び合う、ということを、やめるなんて、ケチくさい。


で、どうするか・・・。


係りの子たちと、まるっと1週間ほど、悩みに悩んだ。
そして、その結果、

◎景品は続行
◎できるだけ、「勝負をつけない」ゲームをする

ということにした。


一方で、「勝負をつけないゲーム」って、なんだ?
また、「勝負」をしても、べつにいいじゃん。とも思う。

子どもは勝ち負けのはっきりしたゲームが好きである。
しかし、大切なのは、いったんゲームが終了したら、
きれいさっぱり、こだわらないことである。
負けるチームがあるから勝つチームがあることも教えたい。
負けることを経験することで,児童もたくましくなるのである。

また、勝つ、とか、負ける、とかいうことが、
その人自身の価値とはなんら関係なく、
勝ったからエライ、というわけでもないし、
負けたからその人の価値が下がる、というわけでもない。
人間そのものは、「カチ」ではかられるものではない。
どの人間にも、人間であるということの尊厳が存在する。
どの人間も、ユニークであり、オリジナルである。



そう思うと、あえて「勝負」という枠から出よう、というのも、どうか、と考えた。
勝負を避けよう、という意識になりすぎるのも、なんか妙な感じが残る。


そこで、

「いったい、勝負のつかないゲームってどんなの?」

と尋ねてみた。
もしかすると、プロジェクトアドベンチャー的なものか?



すると、子どもはいたって、ふつうに、

「えっと、花いちもんめ、と、だるまさんがころんだ、です」

と言った。



なるほど!!

花いちもんめ



だるまさんがころんだ

なら、ふつうやんけ!



わたしは、それを許可しました。
あえて、勝負を避ける、という感じも無いし。


そして、いよいよ、2回目の「お楽しみ会」の日がやってきました。
みんな、なんとなくうきうきしています。
なぜなら、今日はぜったいに、阿鼻叫喚にはならないから。
ぜったいに、笑顔で終われるはず、だから・・・。

ところが・・・
まさかの展開に!!!


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(つづく)

景品無しでやろうよ

.
子どもたちがお楽しみ会を企画した。
ところが、うまくいかなかった。
男子が数名泣き、女子も幾人かが泣いた。
女子の大半はうなだれており、残りの男子もどうしていいか分からなくなった。

状況はこう、である。

殴り合いが始まったのは、お楽しみ企画の3つめ。
『リズムで椅子取りゲーム』をやっていたとき。

景品が豪華だった。
みんな、景品がほしくなったのだ。
男子の幾人かで、バトルになった。

景品は、お楽しみ計画係で休み時間に必死になってつくっていた、
アイロンビーズのミッキーマウスである。

これは、教師が見ても、力作だった。
非常によくできていた。
片目をつぶった、ひょうきんな顔のドナルドダックも作られた。
みんな、これが欲しくなったらしい。


最後の一人だけに、この豪華景品がもらえる、ということになり、
とくに男子がヒートアップした。

「おれが先だったよ!」
「おれのが先だった!」
「絶対に、俺だった!」

口で言ってダメなら、こぶしで。

グーパンチ、炸裂!

大泣きに泣いたのが、同時多発で2か所!!


お楽しみ会はまだ続行した。
係りの子たちは、めげない。
最後までやりぬく、とやり切った。
ところが、男子のそのいざこざがあったせいか、どうにも楽しめない。
とうとう、最終的にやっていた『宝探しゲーム』で、再度こぜりあいが始まり、

2回目の、グーパンチ!

すごかったのは、会を進行していた5人の子で、
なんとかグーパンチの4名をとりなし、意見をし、なだめたりしながら、
最後の

「これでお楽しみ会を終わります」

までやり切ったことである。





当然、すぐに振り返りをする。

「今日のお楽しみ会について、言いたいことがある人」

わたしはこれだけ言って、座る。

どんどんと、指名なしで意見が出る。


「何人かのせいで、うまくいかなかった」
「泣いた子がいて、そこから楽しくなくなった」
「けんかはしない、と決めていたのに」

ふだんおとなしい子が、泣きながら目を赤くはらして、

「せっかくのお楽しみ会が、お悲しみ会になっちゃった」

と言うと、教室の中に、どんよりとした黒い雲がかかったようになり、

「ひっく、ひっく、なんでこうなったのかさー、ひっく、よく考えないとさー」

終わったことの安堵と、ようやくこみあげてきた悔しさとで、
しゃくりあげながら話しはじめた、企画メンバー。

「みんなにさー、すごく楽しんでもらおうと思ってたのにさー」


それを聞いて、もらい泣きする子、いたたまれなくて突っ伏す子。

久しぶりのお楽しみ会は、まったくのブラック状態、まさに『お悲しみ会』と化したのでありました。

それでも、大したもんだなと思うのは、なんでこうなったのか、と再検討がはじまったことだ。
このへんが、この子たちの本当の力なんでしょうね。
だってみんな、お楽しみ会ができる人になりたいんだもの。


「景品がなかったら、たぶん、防げたと思う」
「そうだ。景品が良すぎたんだ」
「もし景品がなかったら、〇〇くんも、あんなにヒートアップしなかったんじゃない」

みんなからうながされて、グーパンチをしあった4名が起立。

「うん・・・ぼくも景品に目がくらんで」
「そう・・・景品を見た瞬間に、スイッチが入って」
「景品がすごかったから」
「ぼくも景品が欲しかったし、もらえないと思うと必死になっちゃった」

なんとなく、霧が晴れたようになり、
うつむいていた企画メンバーの中でも、今回しっかり頑張っていたAさんが、気を取り直したように、

「先生、今度は、景品無しでやろうよ」

というと、クラス全員が

「それならだいじょうぶ!」

となった。


ところが、

わたしがすっくと立って、

「いや、先生は、景品があってもいいなあ。だって、すごいかっこいい景品だもの。あんなのがもらえるなんて、すごくいいじゃないの。嬉しいよ~!プレゼントしてもらえて、最高の気分になるよ、一生懸命につくったんでしょう。つくった人は、だれかにあげたいよね、みんな、もらいたいよね。景品があっても、いいはずだと思うがなあ」

と言って座ると、

クラス中(じゅう)が


しーん。

(つづく)

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情報モラルの研究から

.
子どもたちが21世紀をたくましく生き抜くために、もっとも必要な資質能力は何だろうか。
わたしは、「情報活用リテラシー(能力)」だと考える。

子どもたちの、情報モラル、情報リテラシーなどの資質能力を向上させなければならない。
これは世の中が求めるとても大切なもので、この力がなければ到底、これからの国際競争に勝てる人材は、わが日本国からは生まれてこない。

そこで、ネットの世界には、本当にごくまれではあるが信用できない情報が紛れ込んでいることがある、という資料を見ながら、4年生なりに学習問題をたて、クラスごとに話し合い、学びあうことにした。

ネットには正しい情報もあれば、間違った情報や思い込みが紛れ込んでいる、という話はすでに世の中の大半の大人の常識になっている。

一方、子どもたちはどうだろう。ユーチューブを見たり、ホームページを見たり、ブログを見たりしたとき、そこに置いてある情報を、どう受け取っているのだろうか。

一応、大人の常識としては、すぐには信用しない、というのが当たり前のリテラシーであろう。
検索してなにか情報がヒットしたとしても、一応、自分の眉につばをつけて、信用してよいかどうか、自分が情報に対して酔ったようになっていないか確かめつつ情報をゲットすることになっている。少なくとも、大人は。

しかし、・・・小学生はどうなんだろうか。


ユーチューバーが、「この薬はとても元気が出る」と言ってたら、信用する?その薬を、ほしいなあ、と思う?

とクラスの子に聞いてみると、男子と女子とで、反応が分かれた。

男子の大半は「無料でくれるんならもらう」と、なんともすっきりした素直な反応である。
ところが、女子の多くは疑い深いのか、「口に入れるものはもらわない」とのこと。

「じゃあユーチューバーが、マツモトキヨシに売っている◎◎という薬が、すごい元気が出る、と言ってたら、信用するかな?」

男子の多くは、実際にその人にそういう体験があるんだったら、それなりに信用する、と。
女子は、べつにこれ以上、元気になる必要が無いため、そんな薬は要らない、と。

わたしとしては、

「たとえ、大好きなユーチューバーが言ったことだとしても、すべての情報は本当かどうか判断がすぐにはつかず、即断できないので、十分に自分自身でもよく調べ、よく検討して、納得してから結論を出す」

と、言ってほしかった。

そこで、さらに質問を変えて、

「じゃあ、スーパーの野菜コーナーの、アボガドがすっごく栄養が高くて、疲れが吹き飛ぶし、健康にいい、風邪もひかなくなる、お肌もきれいになると言ってたら、信用する?」

男子は、アボガドってきらい、と。美味しくないから要らない、と。
ところが女子の数人は、
「え、それ本当なの?」
と目をキラキラさせて、
「きれいになるなら、ほしいかも」
と言った。


うーん、何か焦点がずれる。

信用する、というときの、判断の根拠や程度を問題にしたいのだが・・・・

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そこで、さらに質問を変え、

「魚を食べると、頭が良くなる、とユーチューバーが言ってたら、信用する?」

子「うん。だって、本当にそう言ってたもん。お母さんが」
子「食べない。おいしくないから」
子「うそー。おいしいじゃん。お刺身なら食べる!」
子「さんまの焼いたやつなら、食べる!」

子どもたちが、うまく問題をとらえることができていない。
そこでしょうがなく、こんな事例を話した。
やせたいと思っている人が、やせるよ!と宣伝していた薬を買ったが、ちっとも痩せなかった、という話。
子「その人、やせる気がなかったんじゃない」
子「たぶん、お菓子とか食べてるよ。ないしょで」

・・・ぜんぜん、問題の焦点が合ってない。
子どもたちに、学習のポイントが伝わっていない!
どうやらこれまでの事例は良くなかったようなので、さらにこんな事例を。
ある食品を食べると、すっごく美容効果があり、がん予防にもなり、お通じもよくなる、と書いてあるホームページを見た人が、その食品を食べ過ぎて、自分の腸に詰まらせてしまった、という話。

身体によいと聞くと、食べ過ぎてしまうようになるのは、なんでだろうかな。

子「健康になりたいから」
子「これを食べていれば大丈夫、と思って、どんどんやりたくなったと思う」

そうそう。そうやって、どんどん気持ちとしては食べたくなるのは分かるけど、でもなんで、食べ過ぎちゃうまで、食べようとしてしまうんだろうか。

子「なんか、これさえあればすっごく元気になれるーって、やったー!って、思いすぎたんじゃない」

ようやく、焦点が定まってきた。
〜すぎる、という言葉がポイントか。

今、『これさえあれば元気になれる』って言ったけど、世の中に、これさえあれば、なんてものが、あるのかなあ。

子「いや、それだけあってもダメでしょ。夜は早く寝た方がいいし、歯も磨かないと」

じゃあ、世の中に、これさえあれば、というのは、無いと?

子「うん」

しかし、これさえあれば、というモノが、世の中にあってほしい、と思ってしまうのはなんでかなあ。

わたしがなおも食い下がると、

子「いろんなことを、あれもこれも、たくさんやらないと、と思うと、面倒だからじゃないの」

さらに食い下がって、

なんで面倒なんかなあ?

子「宿題と同じで、やんなきゃいけない、と思っているからなんじゃないの」



ここでほぼ、授業時間が終了・・・。

幾人かに、まとめを言わせると、

「なにかやらなきゃいけないと思うと、かんたんにホームページを信用してしまう」

と、ずいぶん簡潔な文を発表。

そこで、情報リテラシーの力をつけるには、まずは自分が「しなければ」と思っていることに気付くこと、ということになりました。



うーむ。情報リテラシーの授業をするには、ずいぶんと、発問をひねらなければならないですナ・・・。

4年理科・空気のあたたまり方

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問題:暖房した部屋の空気を測ると、場所によって違いがあるだろうか。

①ほとんど同じ
②Aの方が高い
③Bの方が高い

理科実験空気のあたたまり方



先に、金属のあたたまり方、そして水のあたたまり方、を学習している。

1)金属では、徐々に火元に近い部分から熱が伝わり、周辺へと広がっていく。
2)水では、あたたかい水が周囲の水よりも軽くなり、上へあがっていく。

今回は、金属でもなく、水でもない。空気のあたたまり方、を調べている。

1)の金属の学習を思い浮かべる子は、問題の答えを、Bだと答える。
なぜなら、近いから、である。実際にイラストを見て、ストーブからの距離を測ると、あきらかにAよりもBが近い。だから、と考えるのである。

2)の水の学習を思い浮かべる子は、逆に答えをAだと答える。
空気も水のようにあたたまると、周囲よりも軽くなって上へあがっていくんだ、と考える。


4年生では意見が分かれる。
なんとなく、空気も水と同じと考える子が少し多い。

「先生、家でもね、2階にあがるとちょっとあったかいんだよ」
「ストーブでやかんを上に置くでしょう」
「それは、ただ単に置きやすいからなんじゃないの」
「電子レンジの上は別に熱くないよ」
「ああ、そうか」

みんな、なんとなく混乱している。
小学校では、なんとなく全員、混乱しながら授業が進むのである。
だから、教員も、子どもたちに合わせるべきである。
教師もどことなく不安そうな表情を浮かべつつ、
え、ちょっとちょっと、えー、どゆことなんだろうか・・・
という顔で、授業を進めるのがヨイと思う。


一人が、気球のことを言った。
なんと、その子は、以前、気球に乗ったことがあるんだそうな。

「すごいうるさい音でずっと火が燃えてたけど、中の空気をあたためて軽くする、みたいなことを言ってた気がする」

うーん、なるほど。
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実際に、みんなで測ってみよう。
全員分、合計40本の温度計を理科室から借りて来て、一人ひとり、全員に持たせた。
教室のストーブを焚いて、実験開始。

まずは、B地点。思い思いに、自分の席の周り、地面にすれすれのところを測る。
床に座ったからか、なんだか冷たい気がする。
「けっこう、寒いよ」
「すーすーする」
「廊下のドア、も一回、ちゃんとしめて」
なんだかお互いに、いろいろと言い合ってる。


次に、A地点。
どうやって測ろうか?

「みんなで自分の机の上に立って、ばんざいして測ろう」

そうする。




すると、ネ。

もう机の上にたった瞬間に、子どもたち、げらげら笑いだしました。

だって、机の上に立って、ばんざいしたら、わかっちゃったもん。

「すげえ。教室の上の方のくうきって、あったか〜い」

みんなで腕をバサバサ振って、このへんの空気、あったかいー、としばらく笑い合う。

ここまでで、ちょうど45分。

子どもの討論に、教師が参加してもよいか

.
小学校4年生「プラタナスの木」

主人公の少年たちは、あまり人のこないプラタナスのある公園でサッカーを楽しんでいた。ある梅雨明けからおじいさんが来るようになり、木の枝や葉に届く栄養は、同じくらいの根があるからと聞かされて、何かを感じる子供達。夏休み、皆が旅行に出ている間に、台風がやってきた。台風で倒木寸前のプラタナスは危険なので切り株だけ残して切られてしまったが、その後おじいさんも来なくなってしまった、という話。
発問 : おじいさんはプラタナスの木の精霊か、それともふつうの人間か
子どもたちの意見は、ちょうど半分に分かれた。

ふつうの人間だ、という意見を最初にとりあげ、根拠を問う。

・いきなり精霊とは考えにくい。
・公園にやってきた、という描写があるから、どこか近所の家から歩いてやってきたのだ。もし精霊だとしたら、木の下にぼーっと、急に現れるはず。
・子どもたちに向けてくわしい話をするのは、木のことに関する仕事についていたから。世の中には、そういう話のできるおじいさんが、たくさんいるはず。もしかしたら大工だったのかもしれないし。大工さんなら、木にくわしい。精霊というのは発想が飛躍しすぎている。
・教科書にSF小説が登場するわけがない。
・マーちんのふるさとの木のことを、まるで見たことがあるかのように言っていたのは、もしかしたらこのおじいさんは、マーちんのお父さんの知り合いか何かじゃないの。


ここで、わたしはいつもそうはしないのだが、急に思いついて、反射的にそこに加勢する気になった。

ハイ!

と挙手をすると、いつもはわたしがそんなことしないので、子どもがおもしろがって当ててくれた。

「はい、新間さん」

「はい」
わたしはおもむろに返事をすると気を付けの格好になり、
「先生も人間だと思います。なぜなら教科書の挿絵を見ると、ちゃんと足があります。足があるということは、幽霊ではない。だから、精霊でもありません」

エーッ!!

教室の約半分を占める『精霊派』が、悲鳴に近いような声をあげた。
こちらの『人間派』は、「やった、強力な助っ人があらわれた」という雰囲気でにんまり、である。

やっぱ人間だよ、ハリーポッターじゃあないんだから・・・

だれかから、そんなつぶやきが漏れ聞こえ、クスクス笑い声も出た。

今度は精霊派の意見、である。

・おじいさんはこの話の中で、とことん木の話ししかしていない。
・おじいさんは木の下のベンチに座ると、ほとんど動かない。サッカーボールも手で受け止めると、じっとしている。ちょっとは投げ返してもいいのに、根っこが生えたように絶対動かない。ふつうの人間なら多少は、動くはず。そのへんが、あやしいし、精霊っぽい。
・おじいさんは、マーちんが田舎に行くときに木のことを話し、「田舎には木がたくさん生えているだろう。みんなによろしく」と謎めいたことを言うが、「みんなによろしく」の、みんな、というのが、たぶん木のことだと思われるが、ふつうの人間はそんなふうには絶対に言わない。
・なにしろ、木が切られると、もう登場してこない。
・木を大切にしてほしい、ということばかり言う。
・古くて大きな木だから、おじいさんのような姿で現れたのだろう。
・台風が来たときに、おじいさんのえがおがぼんやりとしてきえてしまった。ちょうど、時間的にはプラタナス公園の木がたおれた時間と重なる。


理由が出てくるたびに、精霊派の元気が増してくる。
逆に、人間派から、「ウワー」という声。

・決定打になったのは、マーちんのお父さんの田舎の木のことを知っているかのようなおじいさんの発言と、「みんなによろしく」という、なんとも不思議なセリフの意味を、人間派のだれも説明ができなかったことだ。

「え、でも、おじいさんがお父さんの知り合いだったとかなら、もしかしたらおじいさんがその田舎に行ったことがあるんじゃないの・・・」

力なく訴える女の子に、ピシリ、と反論し、

「もしお父さんの知り合いなら、マーちんのことも知っているはず。しかし、公園での出会いにそんな叙述はないし、マーちんがおじいさんのことを「不思議なおじいさん」なんて思わないはず」

そこで、人間派の何人かが意見をひっこめ、クラスの大半が「精霊派」になってしまった。



授業の最後に、図工の得意なWくんが

「(人間派で)残ったのは、新間先生だけだよ」

というので、

「いやあ、まさか精霊とは・・・」

と悔しがってみせると、にんまりして

「先生もたいしたことないな」

と、Wくん、ケタケタ笑った。

もう二度と、討論に口をはさまないようにしよう。

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4年生向け さつまいもレシピ

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さつまいもを収穫したので、どうやって食べようか、みんなで悩んだ。

「いちばん、面倒くさくないの!」
「つくる時間がみじかいのがいい!」

満場一致。

「おいしいの!」

当~然!

「牛乳と卵が入っていないの!」

いいねえ。
(クラスに牛乳アレルギーの子がいるので、その配慮)



そのまま、カリッと炒めたらいいのじゃない?
フライパンで炒めるくらいなら、4年生ならラクラクでしょう。

そう言うと、みんなやる気になった。


さっそく検索すると、あるわあるわ、世の中の人の知恵がぜんぶ、
インターネット上に公開されてました。
レシピを公開してくださったみなさん、ありがとうございます。


まとめてみました。
小学校向け、片付け準備その他のカンタン、さつまいもレシピ。
場所は、家庭科室です。
子どもたちはみんな、給食着をきて、給食の時の箸を持参します。

1)サツマイモをよく洗って皮ごと切る。
2)できるだけ長ぼそく、『いもけんぴ』みたいにしました。
とがったところが、カリッとして美味しいのでは、と思ったからです。
3)そのまま、10分水につける。
4)キッチンペーパーを敷いて、芋を並べる。
5)芋の水気をよくふき取る。
6)フライパン中央に油を大さじ4。
7)砂糖を大さじ3、同じく中央へ。
8)お酢を大さじの半分程度、同じくその上へ。
9)フライパンの平たい部分の上でかきまぜて平均化。
10)準備完了。
11)油と砂糖とお酢のマットの上へ、芋を寝かせる。
12)蓋をする。
13)点火!(ファイヤーッ!)火は、大きくしない。中火くらいで。
14)しばらくすると、パチパチと音がする。(みんなで音をたしかめる)
15)音がはげしくなったと思ったら、弱火にする。かなり小さく。
16)約10分。その間に、皿を並べたり、片付けできるものを片付けたりする。
17)火を消す。消火!
18)蓋をあけて、芋に串がささるかどうか、みんなで確認。
19)OKならそのまま、砂糖がからむよう、まぜる。余熱で、ちゃんとまざってくれます。
20)お皿にゴマをふっておく。
21)フライパンからお皿に移す。
22)いただきます。



良い点のまとめ。

①フライパン、包丁、小皿、ペーパー、ふきん、くらいしか、
家庭科室の物を使わなくて済む。
②お菓子のスイートポテトは加熱したあと、練る工程が必要だが、
こちらはほとんど芋に触らなくてよく(切るだけ)、工程が単純である。

以上は、時短につながる良い点です。


③油で揚げないから火災などの心配が減る。
④芋の水気を吸い取り、さらに蓋をするから、油がハネるのを心配しなくて済む。
⑤蓋をはずす際に怖がる子がいるが、火を消した後だから、こわくない。
⑥工程のほとんどが、蓋をしたままでよく、途中で一度も箸でかきまぜないので、安心。

以上が、安全面での配慮をした点です。


⑦砂糖が溶ける、ということを知っておくと、
5年の理科で「溶解」を習う際に、それが経験知として有効にはたらく。
⑧「なんでお酢を入れるの?」という質問が出る。
これも、お酢の働きで油と砂糖がよく混ざる、という理科の実験につながる知識になる。

以上は、理科の学習につながる点です。


小学校の教室向けレシピとして、クックパッドに掲載依頼しようかなあ。

sweets_imokenpi

以下、豆知識として。
脂っこい料理等にお酢を少量入れるとさっぱりとするだけでなく、口当たりも良くなり、食べやすくなる。
これは酢の持つ、『分子を細かく分散させる効果』によるもの。

実は、油の分子というのは、大きさがバラバラ。
これがいわゆる脂っこいというものの正体。
大きい分子や小さい分子が舌に当たることによって油自体の味と相まって舌触りが悪くなる。
ここに酢を入れることによって大きさが不均一だった油の分子が小さく均一になる。
このことによって舌触りも良くなり、さらに酢の酸味によって脂っぽさが和らぐというわけ。

今回のような、大学芋の場合は、飴(アメ)をトロトロにさせる効果がある。
しっかりと、砂糖が油とまじって溶けて、きれいな水アメ状態に近づくわけですネ。

ワケを言いなさい、ワケを!!

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「だめよ、のん子ったら。ちゃんと彼を選んだ理由を言いなさいよ!なんかあるでしょう」

「それが、なんだか、知らないけど、好きなの」

「はぐらかさないでよ!!のん子だけ、ずるいよ。やっぱ、仕事だよね、彼が銀行マンだから?いいわよねえ」

「いやあ、そんな理由じゃない気もするし・・・」

「うそー!!じゃ、顔?うーん、顔、正直、微妙な気もするけど、まあまあかもね」

「いやあ、そんな理由じゃない気もするし・・・」

「もう!のん子ったら!!ちゃんと言いなさいよ!じれったいわね!!」

・・・

↑ コレ、理由を聞かないと、不安で、不安で、仕方が無くなる病(びょう)ですナ。




ちなみに、子どもに、

「なんで、寒いのに、半そでなの?」

と、聞いてみたら、

「んー、なんでかな」

と、

本人も分かってないようでした。



子どもは、理由がなくても、平気みたいです。
大人になればなるほど<理由依存>、というのか、
理由が無いことに不安を覚えるようになるのでしょうか、ネ。


boy_macho

「人は競争をしなくては伸びない」について

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子どもが順位を気にすることが、競争をしている、ということになるのでしょうか。

ちがいます。
子どもは自分の立ち位置を確認したいし、勝ち負けもはっきりさせたがるし、何番目だったか、ということも気にします。でも、競争に勝つために練習したり、勉強したり、工夫したり、ということではありません。これは、学校の教員をしていれば誰でもわかることです。

子どもの意識は、「競争に勝っても勝たなくても、どっちでもいい」です。
それでも、上手になりたいし、伸びようとするし、やってみたらどうなるか試してみたいし、自分ができるかどうか、速い方から数えて何番目なのか、結果が知りたいのです。勝つか負けるかが、意識の先に立つのではありません。その証拠に、なわとび10回とべたら、「勝った!」と叫びません。「できた!」と叫びます。

こういうことは、教員をしているとだんだんと分かってくることだろう、と思いますネ。

なわとび

故・佐々木正美先生のこと

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今年は大切な人が亡くなった年だった。
児童精神科医の佐々木正美先生は、今年の6月に亡くなられた。

わたしは幸運なことに何度も佐々木先生のお話を直接伺うことができた。
中心子どもの家が主催する講演会、勉強会に何度も参加し、お話を聞いた。

先生はいつも、訥々と、しかし言葉を選んでていねいに、情熱を秘めたお話をされた。
だれもが思わず居ずまいを正したくなる、そんな雰囲気の勉強会であった。


その日、わたしは、朝からワクワクしていた。
近くのホールに佐々木さんがくる、というので、勤務を終えてすっとんでいった。

ほかにも、息をきらせながらかけつける、私と同じような人が何人もいた。
おそらく、どこかの教員だろう。
みんな、学びたがっているのだ。


講演は見事だった。
一言も、むだな言葉のない講演会。
「えー」も、「それはさておき」も、入る隙がない。
せきばらい一つない。
全部、まるで、著書をその場で一つ完成できるのでは、というくらい、緻密で、内容のある、中身のつまった講演だった。
それだけで、本当に満足した。

佐々木さんは、子どもの声を聴いているのだ。
子どもが、叫んでいる声が聞こえるのだろう。
そして、それに応えるために、全身、傾倒している。
だから、無駄な言葉が、削られているのだろう、と思った。



子どもを救え。

(以下、メモ)

発達障害の子が大好きだ。正直だ。うそがつけない。
思い、イメージで生きていない。事実で生きている。だから、非常に鋭敏で、そのまんまで、率直に生きている。
率直に生きるのが難しいのが、今の社会だ。

発達障害の人を不幸な状態に追い込んでしまうのは、周囲の人々の無理解。たとえ善意であっても、無理解は誤解と同じことで、ひどい苦痛を強いることになってしまう。

周囲の多くが、発達障害に理解をする必要がある。
環境が整えば、力を、持ち味を、大いに発揮できる人が本当にたくさんいる。

「無理解な保護者、教師、その他の職業者、クラスメイトや一般市民に、彼らはどれほど脅かされ傷つけられてきたことか」

大好きで、安心のできる人、お母さんと、いっしょに話しをしている。そのことで、子どもの前頭前野はすばらしい働きをする。
脳を高度に活性化させることができるのは、その人が、心を許し、安心し、なにかを託すことのできる人と、共に、コミュニケーションをとる姿の時。それなのだ。
前頭前野の発達が、感情や感覚、配慮、思慮、に影響を及ぼすことは大いに考えられる。

やれることは、当たり前のこと、ということ。

何よりも、不安の無いこと。
安心できること。
子どもだけではない。大人も同じ。
発達障害の濃い薄いではない、あるない、ではない。
どの人も心から、周囲の人間社会に対して、安心していること。
今の自分をとりまく人間関係に、信頼をおいていること。
不安のないことが、もっとも大事なこと。
それが、一人ひとりの力をいちばん発揮させる。
心が通えば、表情が明るくなり、健康になり、意見が出て、人が能力を出し始める。
カンタンなコト。

どうか、発達障害を自分のこととしてみてください。
考えてください。そして、理解を深めてください。
理解があれば、本当に救われる子がたくさんいる。
理解があれば、関わる人全員が、大人も子どもも救われる。
その場から不安が消えていくことで、みんなが力を発揮しはじめる。

・・・・・・

佐々木先生の本だけは、何度断捨離(だんしゃり)しても、処分してないなあ。
ありがとうございます。
合掌

佐々木正美先生

教室が乾燥する

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教室が乾燥。
陽がさしてくると、顕著だ。
ストーブも焚くし、のどまでカラカラしてくる。
子どもが咳き込む回数が増えると、ああ、空気が乾いてきたな、とすぐ分かる。

教室には古い、壊れかけの加湿器が1台あるが、
そもそも小さくて、おそらく木造6畳程度の力しかない。
子どもがバンバンと扉をあけたり閉めたりする、この教室では、ちっとも活躍できていない。

「もっと、強力な加湿器が必要だ!」

教頭に頭を下げて、こっそりと相談するが、
教頭が申し訳なさそうに小声で言うには、予算は無い、とのこと。
事務の先生までもが小声になって、
「今は買えないけど、もしかしたら年度末に買えるかもしれない」
となぐさめてくれる。

そこで、自腹を切って購入することにした。
おそらく全国の教員が、かなりの程度、自腹を切って何か買ってると思う。
画用紙とか、プリンターのインクとか、文房具とか、赤白帽とか。

そこで、この土日に近くのヤマダ電機とコジマ電気とK'sデンキなどに行ってみた。
けっこう、いろんなものが売ってるが、残念ながら私の欲しいものが無い。



【条件】
1)教室で使うから、万が一でも水がこぼれるのはアウト。(熱いと子どもがヤケドする?)
タンクが外からすぐ見える、というのはダメ。
きちんと箱型になっていて、その箱の中に、タンクが収まっていないと。
タンクがこけても、倒れても、ぜったいに水が垂れない、というのが絶対条件。
タンクを包み込んだような形の、箱型がいちばん!!
したがって、こういうのは選択肢から外します。

★テクノス EL-S051
K0000698405


だって、タンクを持ち上げた瞬間、ぽたぽた、となりそうで。
不安過剰だろうか・・・。

★アイリスオーヤマ KSK-260D-C
00000003812981_A01


見た目のデザインはかっこいいんだけど、やはりタンクをもちあげた瞬間がコワい。
子どもに熱い水がかかるのは、断固として避けたい。


2)自腹なので、金額は安いほど良い。

すると、こういうのも外れる。

★象印 EE-RM35
3463630_01L


だって、1万円近くするからネ。


3)コードが本体から外れた方がいい。

洗うときに、コードを引っ張るのは避けたい。
なぜなら、コード類はできるだけ、固定しておきたいから。
コードって、教室の中で、できるかぎり、目立たないようにしておきたいのね。
ふだんから・・・。コードは子どもの空間の大敵。ひっかける可能性がある。
電気給湯ポットのように、マグネットコードになっているのがいい。

すると、こういうのも選択肢から外れてしまう。

★ツインバード SK-4974
21680110326


安くて、よさそうだったんだけどなあ・・・。



結論。

なかなか売ってないようだナ。
なんでだろう?
今現在教室にある加湿器は、きちんとこの3つの条件をすべて満たしているんだけど・・・。
しかし古い型らしく、売ってないみたいね。ネットでも、お店でも・・・。


いいものほど、生産終了していくのかいな・・・ンなわけないか。
ああ、時間よとまれ!!
(と、師走につぶやいてみる)

理科・ヒトの骨盤はどれだろうか

人の骨盤


1)自分の考えをノートに書く。

2)班で相談する。

3)班で一番多かった答えを発表しあう。

4)クラス全体で討論。

5)理由を言えたら拍手。

6)次の資料を配る。

人とゴリラの全身骨格2

7)骨盤に色を塗る。

8)もう一度、さきほどの資料を見て、確認する。(ヒトは、一番右)

9)なぜ人の骨盤は、縦に小さくて、横に拡がったのか、考える。

「歩きやすいから!」
「体重を支えやすいから」
「ゴリラが縦に長くて丈夫そうなのは、ななめに上半身を持ち上げなければいけないから。ヒトは、まっすぐ上に体重を乗せているから、上の物を落とさないように、バランスよくお皿みたいになった」

10)ゴリラのななめになった上半身を支えるのを、柄の長い箒(ほうき)でやってみる。

クラスの子が長い箒を逆さに持ち、
ななめにして、下から支えてみると、

「お、重いです」

ナナメだからね。
しっかり持っていなきゃ、すぐに箒が落ちそうになる。
ところが、真下を持って、まっすぐ上に向けて立てると、軽くなる。

「真下で支えていれば、スッと軽く持てる。そのかわり、バランスが必要」

11)ヒトはどう進化してきたのか、まとめを書く。
ヒトは、立って歩くために足の骨にアーチができて、体重を支えるように進化した。
足と同じように、骨盤も、立って歩くために足を動かしやすく、上半身を
支えやすいように進化してきた。



最近の授業は、やってて、面白いなー。
子どもの反応がいい。

「合っている、もしくは、正解だから良いのだ」というのが、だいぶ薄れてきた。
発言しにくかった子が、どんどん発言するようになってきた。

「いろいろなことに気付いて、可能性を見つけたり、理由を考えられたりするのがすごい」
というふうに、すこうし、変化してきている気がする。
そのためには、理科や社会の授業がいちばん効き目があるように思う。

『知らないことを習っているのだし、あれこれと考えているのが面白い』

という感じなのが、イイね。
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