30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2016年06月

機械か人間か

.
道徳の授業をやっているうちに、『嫉妬』がテーマになりました。

すると正直な子が、だれにも見せない約束で

「わたしは〇〇さんに嫉妬している」

と日記に書いてきたのです。

嫉妬のあまり、時おり、苦しくて心の中で〇〇さんをいじめる、というのです。



胸のつかえがとれるといいな、と思いますが、その「胸のつかえ」そのものを今度はテーマにして

「どうして苦しくなって」
「どうして胸がつかえるのか」


を、順々にひもといていかねばならない。



心が自由でなくなっていることを自覚できる、いちばんの体験を、今の彼女はしている。



人工知能というのが話題になっていて、囲碁や将棋でも、次々と力をみせつけている。
今度はあの、羽生名人が戦うらしい。

人工知能は、こういうことを、考えるのだろうか?


「人間の心は、なぜ、こうなっているんだろう?」



どうだろう。
機械が、自分自身の構造を、なぜか、と問うことができるのだろうか。
そうは思えない。

自らが、どうしてそうなっているのだろう、
どうしてそう、成り立っているのだろう、と
考えることは、おそらく、人工知能には無理だ。

だから、この問いを考えることは、思うに、ものすごく人間的な行為なのだろう。

うらやましいと思う⇒ 相手がそうならなければいいのに、と思う⇒ すると

⇒ なぜか心が痛くなる ⇒ なんでだろう?

こんなことばかり、学級ではよく考えている。


1

蝶の標本づくり

.
4年生の男の子たちに、いきなり学校中で声をかけられるようになった。

それは、

「あの先生は、昆虫の先生らしいぞ」

という噂がひろがったためだと思われる。

出勤前の朝。
他の教師がめったに顔を出すことのない、学校裏の雑木林に行くと、ひょっこりと4年生くらいの男子と出会った。

学校が始まる前、登校の途中にぶらりと立ち寄った感じで、お互いに

「あっ」

「あっ。おはよう」

「・・おはようございます・・・」


という微妙な空気のやりとりしかしていない。

登校途中に寄り道をしているということがあるのか、あまり大きな顔をしていない。
ちょっと遠慮がちに、顔を伏せつつ、チラチラと柳の枝など見ながら、サッと行ってしまった。

こっちは蝶の幼虫が目的だから、あれこれと枝の先やら葉の裏などみて、これまたサッと。


そのくらいなのに、いつの間にか、

「なんで先生、あそこの林にいたの?」

と聞いてくるばかりか、

「なんか探してた」
「虫の先生だ」
「あの先生にはなんか秘密があるらしい」



というような噂が、煙のごとく立ち込めたようだ。



そこで、わたしが正直に

「エノキの木に、蝶の幼虫がいないかなあ、と探していたんだよ」

と言うと、

「クワガタじゃないのか」

とつまらなそうな顔をする子もいるかわり、

「蝶をどうするの」

という子もいて、

「標本にするのだよ」

それを聞いて、

「ぼくにもやらせて!」



ここまでは、小学校4年生の少年であれば、当然の心境でありましょう。



それで、業間の休み時間に4年生が6年の教室までやってきて、わたしが標本をつくるところを見せてやると、一気に興奮度、ボルテージがマックスに到達したらしく、

「あの先生に蝶を渡すと、標本にするらしい」
「ひょうほんってなに?」
「なんか、箱にいれてかざろうとしてるらしいぞ」
「なんかへんだぞ」


・・・



ついに、休み時間に、蝶をつかまえて持ってきてくれる子が出始めた。

わたしは自分で蝶をつかまえずともよくなって、人はずいぶん私が楽をしただろうと思うだろうが、真実はそうではない。

子どもが手のひらにおさめて持ってくる蝶は、触覚は取れ、羽は裂けて、おまけに鱗粉がほとんどとれてしまっている。

アミがないから、帽子でとり、さらには手のひらに強引におさめて、ベタベタと何度も羽を持ちかえながら来るから、そうなってしまう。



わたしはそれでも、彼らの蝶を標本にしてやる。

生きた蝶に展翅針をさし、羽を展翅テープでのばしてとめていくと、息をつめていた4年生から、

ほうっ

とため息がもれる。

自分の蝶が、これで超カッコよく、標本になるのだ。

それを見届けて、大満足なのである。




「先生、これなんて蝶?」

「なんて蝶だろうなあ。なんだろう?」


正解は、ただのモンシロチョウのメスである。

しかし、4年生にとっては、確信がもてないらしい。ちょっと翅が黄色いだとか、妙に黒く見えるだとかで、これはモンシロチョウかどうかさえ、議論が起こる。

わたしは、この議論を巻き起こすために、ここまでのことをしているような気がする。


次の日の朝、教室へ行くと、6年の教室なのになぜか4年生が座っていて、

「先生、あれ、モンシロチョウのメスだよ」

「ああ、あれ、モンシロかあ。モンシロの雌(メス)かあ」

わたしは知らんかった、というようなふうに言う。


そして、

「じゃあ、今度は、雄(オス)がほしいなあ。メスだけだと・・・、なあ」

「うん、わかった!!」


4年生は次なるミッションへと動き出す。

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体温をあげにゃいかん

.
わたしのまわりの友人たちに、ちょっと変わった人たちがいるが、一人が先日電話をかけてきて、

「ともかく、体温をあげにゃいかん」

と力説していた。

わたしがこのところイベント続きで忙しく、ついうっかりとその電話口で、

「ちょっと身体が疲れた」

などと、口走ってしまったからである。

その男は体調の管理に関してなかなかに口うるさく、わたしの親や嫁さんよりも私の体を心配してくる。

「お前な、子どもに向き合うには、一に体力、二に体力、だぞ」

と言う。

たしかにその通りだと思うのだが、彼は電話口で矢継ぎ早に指示命令を下し、わたしがメモしたかどうかまで、怪しんで確認してくる。

最初、いい加減に聞いていると、なるほど、と思ったことが少しあったので、

「それはいいことを聞いた。ありがとう」

と、余計なことを言ってしまったのがいけなかった。

その後、15分は彼の講義を聞いたのだが、惜しいことに今現在、そのすべてを私は忘れてしまった。


ただ、ついさきほど家庭の風呂に入っていて、少しばかり、思い出すことに成功したので、今夜はそれを書き留めておく。

1)疲労をなくすには、体温をあげにゃいかんこと

2)そのためには、じっくりと風呂につかること。
  家庭の風呂ではじっくり浸かるのがむずかしかろう。
  そういう場合には、近くの温泉やスーパー銭湯に行くがよい。
  そこには食事処もあれば、無料の飲み水もあり、寝転んでくつろぐだけの専用スペースもある。
  半日もすごすうちに、何度もおかわりをするように、のんびりだらだらと風呂に入れるであろう。

3)トクホンやらサロンパスなどは決して貼るな。金がかかるし癖になる。
  貼らないとよけいにだるいような気がしてきてしまう。
  今日は貼っていないから疲れやすい、と良くない言い訳を考えるようになる。

4)風呂に入ったら、体があたたまったのかどうか、自分の体のあちこちに聞け。
  「どう?足首さん。あったまった?」
  その返事を聞け。

5)食い過ぎるな。ひと口、ひと品、じっくり食え。

彼はいったい、どこでその奥義を会得し秘匿するに至ったのであろうか。

「どうだ。これでお前は健康になるはずだ」
「わかった。ありがとう。ところでどのアドバイスも的確過ぎて心の底から勇気づけられたよ。まるで仙人のようなアドバイスだった」
「いや、俺は仙人をめざしている」

彼がその後言うには、実際に500年以上生きた人間がいるらしく、つい最近まで、250歳ほどの人間も存命していたらしい。

「そりゃ、なにかの間違いではナイか?」
「いや、おれは独自の健康法を編み出し、ただいま実践中だが、すこぶる健康になった。おそらくその記録も塗り替えられるだろう。ただし、俺はギネスには載らない。インタビューが面倒だからな。あと200年生きるとなると、こうしてはおられん。じゃ、俺は薬草の研究で忙しいから、これで」



さて、先のアドバイスの4番目にあったように、
わたしは家の風呂につかるうち、体のあちこちに、あったまかったかどうか、確認して聞いてみたが、弱ったことに返事が聞こえない。
足首や太もも、肩甲骨に聞いてみたが、

「・・・」

返事がない。

「おうい。あったまったのか?」
「・・・」


つまり、自分の体があったまったのかどうか、実のところ、なんだかさっぱり分からないのである。
ただ、体の表面は熱いような気がするし、ほてって暑いから、風呂を早く出たいのだが、もし体の芯が今ひとつであったらどうしよう、と判断がつかないのである。

そこで、風呂に出たり入ったり、出たり入ったり、意味も無く鏡を見つめてみたり、自分に話しかけてみたりと、ずいぶん時間を浪費してから風呂を出た。
すると脱衣場の扉を開けた嫁がたったひとこと、





「あッ、生きてたーー!」

おかざきのおんせん

足利義政は良かったですなあ

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「足利義政って、いい人生を送ったんじゃないかと思います。」

これ、うちのクラスのYくん。

なぜなら、自分のお気に入りの建物、銀閣を建てて、好きなことばかりしていたから。

義政は、ほとんど政治らしい政治をおこないませんでしたからね。

庶民の暮らしをかえりみる、なんてことは、この将軍さん、ちっともやらなかった。

だけど、この義政の時代に、なんと日本の人口は爆発的に増え、農業収穫率も相当に高くなった。

鎌倉と室町の時代、日本の人口はなんと、800万人をくだらなかっただろう、と言われる。

同時期のヨーロッパ、人口が最多だっただろうとされるフランスでさえ、500万人しかない。

イギリスはそれ以下だった。

それを考えると、政治不在、なにも国家としての仕事らしいことをやらなかった義政の時代に、庶民がこれだけ暮らしを整えるのにがんばり、成功したことは奇跡に近い。


こんな話をYくんとしていると、なんだか今の日本と重なってくる気がする。

今、日本の政治は、ほとんど不在であります。

きちんと機能してる?

うーん・・・

という状態でしょ?




だからかもしれないけど、投票率もとっても低い。

日本人の気質は、「政治にもともとそれほど、期待はしていないから」という感じだろう、と思う。



庶民から期待されず、なにをやっても苦にされず、自分の好きなことをやり、将軍の職をまっとうしたことになった『義政』さん。

それはそれで、義政さん自身も、「人生として、まあまあだった」と思っていたんじゃないかな。


・・・と、こんな話ができるのが、今年の6年生の面白い所。

Yくんは、特別かもしれないけど、そういう子が、たまーに、出てくるのが6年生という学年。

なかには、ゲームのプログラムをやろうとしてる子もいるし、将来のマレーシア移住を志して、英語習得に燃えている子もいる。
愛知県にも、なかなかの6年生が育ちはじめております。



愛知は田舎ですが、一人ひとりは、なかなかに個性のある、ユニークな子どもたちが育っておりますゾ!!

おもろいネ~!!

銀閣

がんばれーーーー!!!

.
最近、子どもの日記に

「がんばれーーーーー!!!」

と書くことが多くなった。

宿題のチェックやら保護者への手紙やらあれこれと用事があり、朝の5分、昼の5分、というのが貴重きわまりない。

この5分に、鬼のようになって宿題を見る。
でないと、あとはもうスケジュールに1分も余裕が無いからだ。

理科の実験なんてある日には、お湯は沸かさないといけないし(うちの理科室には湯沸かし器が無い!!)。
ペトリ皿やらシャーレやら、虫めがねやら、ありとあらゆるものを用意しておくだけでも一苦労。
その間に、児童会の担当の子どもがやってきて、来週のイベントのことでいろいろと質問してくるし、プールのそうじのことで2年生の先生があれこれと連絡に来てくださったり、習字の先生が電話してくるし・・・・


というわけで、鬼のようになって、宿題を見る。

宿題のひとつが、日記なわけですが。

丁寧にみてあげたいが、それが叶わない日もあります。

コメントも、じっくりと考えた上でコメントを入れてあげられる日もある一方で、

「今日はゴメン!一言ですまん!!」

という日もあるのですよ。

そういう日が、つづくと、ちょっとごめんなさい、本当にごめんなさい、という気分になるのですが、このときわたしは、

「そうか!がんばれーーーーー!!!」

と日記のコメントを書くことが多い。

それも、赤い太いペンで、赤々と、でかい字で、

「うん、そうかーーーー!!!がんばれ、がんばれーーーーーー!!!」

と書く。



これ、あまり今までは、書かなかった言葉だ。

教員になって10年近くになるが、ほとんど、がんばれ、という言葉は使ってこなかった気がする。

ところが、今年、自分でも本当に不思議だけど、すらすらとこの言葉が出てくる。


がんばれーーーーー!!!


おかしいな、なんでだろうな、と思って今日、ちょっと調べてみたら、子どもたちの日記の文末がこうなっているからであった。

「・・・・わたしは〇〇〇が〇〇になるように、一生懸命にがんばります!」



なんだか、頑張り屋さんが多いクラスなのであった。

だから、わたしもつい、

ガンバレーーーー!!

と書くのであろう。


応援、なのである。

心の底からの、応援歌なのである。

子どもたちよ!!

ぐあんば、れーーーーーーッ!!!!

飛び出す小学生3

【6年道徳】発問集

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1) 自分の心の目盛りを考えよう

2) 心を落ち着けられるときはどんなときだろうか

3) (自分の)心の目盛りを増やす方法はあるだろうか

4) 友達の心の目盛りって、増やせるのだろうか

5) 嫉妬(しっと)について

6) 遠慮(えんりょ)について

7) 期待(きたい)について

8) 『嫌い』について

9) 見た目 について

10) 事実 について

11) 意見 について

10) 自分と友だち について


今年はもうすでに1学期の今の時点までに、
4) 友達の心の目盛りって、増やせるのだろうか
まで進んでる。

ある子が、日記に、新間先生の道徳授業はなんだか不思議、という感想を書いていました。

なぜかというと、

ぜんぶ、そんなこと、考えたことが無かったから。

だそうです。


(いやいや、毎日ここに焦点をあてていこうぜ、とつぶやいてます。)

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【6年生社会】歴史・発問一覧

.
1) 地球の歴史を黒板に書いてみよう

2) 縄文時代は悲惨な暮らしだっただろうか

3) 弥生時代と縄文時代のどちらが幸福か

4) 縄文から弥生への変化ランキングを考える

5) 卑弥呼はなぜ魏と交流したのか

6) 聖徳太子はなぜ強気な外交をしたのか

7) 大化の改新でどんな国づくりをめざしたのか

7.5) なぜ聖武天皇は頻繁に遷都したのだろうか⇒貧窮問答歌にふれて

8) 鑑真はなぜ日本に来たのだろう

9) 聖武天皇はなぜ大仏をつくることができたのだろう

10) 桓武天皇が都を移したのはなぜだろうか

11) 平安時代に華やかな文化が生まれたのはなぜだろう

12) 藤原道長はどのようにして権力を握ったのだろう

13) 平清盛はどのようにして権力を握ったのだろう

14) 平家物語はなぜ多くの人に愛されたのだろうか

15) 源頼朝と平清盛のどちらが優秀なリーダーだろうか

16) 北条政子は朝廷からの攻撃をどのように乗り切ったのか

17) 北条時宗は元からの攻撃をどのように乗り切ったのか

18) 足利義満は何を大事にして政治を行ったのか

19) 足利義政は義満とどうちがうだろうか

20) 室町時代の文化はなぜ現代まで続いているのだろう

21) 室町時代を一言で表すとどんな時代と言えるだろうか

22) 戦国時代とは一言でいえばどんな時代といえるだろうか

23) 外国人は日本をどんな国だと思っただろうか(宣教師の事例)

24) 織田信長だけが持っていて、他の人にはなかった知恵は何だろう

25) 豊臣秀吉が全国統一のために工夫したことは何だろう

26) 徳川家康はどのようにして江戸の町をつくりあげたのだろう

27) 織田と豊臣と徳川、だれが一番賢いだろうか

28) 徳川家光がキリスト教を禁じたのはなぜだろう

29) 江戸時代が長く続いた理由ベスト3を発表しよう



これで、1学期が終了。
次以降が、2学期の最初。

30) 【近松門左衛門】 戦争がなくなり平和になると人間は堕落するだろうか

31) 【歌川広重】 なぜ広重の浮世絵は世界に広まったか

32) 【伊能忠敬】 忠孝はなぜ「ただ働き」で測量を始めようとしたのか

33) 【本居宣長】 日本らしさとは何か

34) 【杉田玄白】①前野良沢はなぜ教科書に載らないのか
           ②身分制度はどのようにしてなくなっていったのだろう

35) 【文化人のまとめ】5人の文化人たちが江戸時代に活躍した理由は何だろうか。

36) 【大塩平八郎】 「テロ」の首謀者なのに民衆から守られたのはなぜか。
 
37) ペリーが悪魔のような顔つきで描かれたのはなぜだろうか



以下、基本的な授業の流れ。

① 本日の人物を調べる。どんな活躍をしたのか。どんな人物だったのか。

② 今日の学習問題を確認する。

③ 資料を調べる。(映像資料も活用)

④ 学習問題についての自分なりの考えをノートに書く。

⑤ 考えの発表。(グループ→全体)

⑥ クラス全体での確認。

⑦ 意見が分かれたら、場合によっては意見を分類したり、ランキングをつけたりする。

⑧ 自分なりに本日の学びをノートにまとめる。

⑨ 次時に調べる人物を知る。




最近、大体は、この流れで授業が固まってきた。


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