30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2014年04月

<ユニバーサルデザイン>昆虫クラブの真価

.
「ユニバーサルデザイン」
という言葉に出会ってから、使えそうな言葉だ、という思いから、
「しめた!」
と興奮しながら丸3年が過ぎたところ。

真に人間向きの・・・なーんて、古臭いような言い回し、
ちっともなんだか通じていかないようで、こういうことを言いたい時も、一体どう言えばいいのか迷っていましたが、やはりこの、横文字がちょっとはイイようで・・・。

たとえば、職員室でも

「ユニバーサルな授業」

だとか、

「ユニバーサルデザインとしての教室環境」

というような言葉であれば、なんだかちょっと、通じていきやすい。


さて、そこで、このユニバーサルデザイン、というか、要するに、万人向けの、人間向きの、という社会機構を考えているところでありますが・・・



先日、参加してみた<虫好きサークル>の活動は、まさにそんな手合いのものでした。

案外身近に、足下に、ユニバーサルの世界が見つかるものですね。



この虫好きサークルは、裾野がやわらかくて、なんとも参加しやすい。


.
○その日、時間までに集合したメンバーが、本日の参加メンバーということになる。
○時間に居なければ、欠席とみなされる。
○一人がメンバーに登録されていれば、ヒマな家族を連れてきてもよい。
○もちものは、「軽食」が指定されているが、その他は特にない。


参加するにあたって、さしあたり気になるのは、この程度。
どうでしょうか?
参加するための、心意気だとか、よいしょ感とか、無いんですわ。

だから、どんな立場の人でも、とても参加しやすい。


さて、次に、参加して何をするかと言うと、


.
「ほぼ、何もしなくていい」


のです。

ここが、また、いろいろな方が参加しやすい、というところで・・・。

ただ、単に、全員が目的地だけを共有し、


.
○適当に歩きながら
○適当に虫を見つけながら(採集しながら)
○適当に話しながら


行動していればイイ、というだけ。

どうです?
垣根が無いでしょう。

急に虫を捕まえに走り出すのも可。
虫が逃げて笑い出すのも可。
ゆっくり水筒の茶を飲むのも可。
ひたすら無言で歩くのも可。

人種や趣味、性別、貧富の差、家柄、年齢、体力の差、得意不得意、というのが、関係ない世界。

おまけに、この世界は、偉い人が出ない仕組みになっていまして・・・。

というのは、虫にくわしい人が偉い、というような感じがないのです。
かえって、虫にくわしい人ほど、必ず言葉の最後に・・・

「・・・だと思うんですけどねえ。でもちがうかもしんない。亜種ということもあるからなあ」

というような、曖昧さを残す。

これは昆虫の世界があまりにも人知を超えるレベルであり、ふつうの人間が把握できる能力以上に多種多様で日々進化変化しているから。

ま、それなりにくわしい人でも、その情報を秘密に保持することができないというか、ぜんぶしゃべっちゃうし、しゃべった瞬間に、そのことがシロウトにも共有されるので、

偉さ が 瞬間に解消 されていく感じ、がある。

これが農業とかだと、○○先生の手にかかると、アスパラガスがとても上手にできたり、スイカが甘く大きく育ったりするので、○○先生の偉さは、何年も語り継がれることになるのですが・・・。

虫にくわしいだけでは、このような、○○先生、というようにはなりきれない。

というか、○○先生の前にだけ、珍しい蝶が飛んでくる、というのであれば面白いけど、その大変に珍しい蝶は、小学2年生の女の子の前に、ひらひら飛んできて、そのド素人の2年生の女の子がつかまえちゃうんだから、先生の方があわてて呼ばれて飛んでくるけど、このとき一番称賛されるのは、偉い先生ではなくて2年生の女の子だしね。

とまあ、このように、お茶や生け花、日本舞踊をはじめとした徒弟制度のようなヒエラルキーは、この

昆虫クラブ

には無い、のであります。


他にも、よくあるスポーツクラブのように、上手い子、下手な子、という区別が生まれない。

ありそうですけど、無いのです。

半分は、、だからね。虫が目の前を飛来するタイミングなんてのは・・・。

レギュラーの座もなければ、○○選抜大会とか、○○市長杯もない。

優勝、とか、試合とか、勝ち負けすら、存在しない。

昆虫クラブは、ヒーローやスーパースターの生まれにくい文化土壌なのです。

これが、世の中の価値規準からして、多少、ズレているため、このクラブは不人気なのですね。

切磋琢磨して情熱をぶつけよう!

とか、

上手くなってヒーローになろう!

とか、

あわよくば将来の『夢』につなげよう!

というような、上昇気流に乗っていくような高揚感や、浮揚感は、一切、ない。


ともかく、虫をみたって、腹は満たされないし、

「ほんと、虫見るだけでして」

という価値観が、本クラブには充満しております。

つまり、最初から、

価値とは向き合わない、という価値観なのです。

だから、昆虫分布の学術上はとても有益な活動をしているわけなのに、それをわざわざひけらかして声高に訴えるわけでもなく、かといって、

「ハ・・・虫クラブ?地味だし、一体なにそれ?意味フー」

というような方に向けて、格別に媚びたりへりくだって見せたりする、というような態度でもない。

つまり、あまり、自分たちの価値を、云々しないのであります。


ここが、広報活動としての失敗でありまして、世の中の人は、特に、

「価値が分かりやすい(あるいは分かりやすく広報されてる)」ものには飛びつくが、このように、

意味不明

というようなものには、あまり関心を向けないので・・・。




どうです?

こんな、穴場的な活動ほど、心地よさを感じて、来たくなる子って、いるでしょ。

わたし、クラスの子の顔が、何人も、思い浮かびました。

もちろん、ユニバーサルですから、どんな子にだって開かれているし、どんな子だって、心地よいと思うけど。




hosoi-kumo


弁当を食べていると、なにやら、机の上の「細い枯れた松の葉」が動き出したので、ビックり!!

良く見ると、身体から糸が出てる、その糸を、伝って歩いてる!!!

これって、ク、・・・クモだ~!!!!(画面の中央の細いやつ)

【朗報!】平成26年度小学校教員資格認定試験実施の方向!!

朗報です。

どうやら、ぎりぎりになるまで、教員資格認定試験を事業として実施してくれる4年制大学が、

簡単には

見つからなかったみたいです。
ところが、簡単には見つからなかったけれど、

最後の最後で、事業者としてやってくださる大学機関が現れ、実施を予定してくれているようです!



よかった・・・。


ただし、これまでのように、大きな試験として実施してくれるわけではないようで、面倒な試験を、簡略化して、実施するようです。

そのうちの一つの手段として、

◎一般教養科目を実施しない

というようになったようです。

これは、ある程度、大学での取得単位を前提とする条件です。
つまり、私のように、大学では単位がほとんど取れず、高卒と同じ条件で受験する、ということができなくなったことを意味しています。
少なくとも、短大等である程度、課程を修了したり、単位を取得したり、という条件が必要になるでしょう。
(所定の教科4単位以上、教職31単位以上の専門科目を修得、くらいか・・・と思われます)

ちょっと、狭き門になりました・・・


詳細は、今月下旬にWEB上でも周知される予定だということです。






(ここから引用)

教員資格認定試験第1次試験における試験科目の一部変更について

平成26年3月
初等中等教育局教職員課

このたび、教員資格認定試験における試験科目の見直しを行いました。

その結果、幼稚園教員資格認定試験、小学校教員資格認定試験及び特別支援学校教員資格認定試験の全てにおいて、一般教養科目を実施しない予定となりましたので、お知らせいたします。

試験の詳細については、平成26年度教員資格認定試験の案内(平成26年4月下旬頃掲載予定)を参照してください。
お問合せ先
初等中等教育局教職員課

現職教育係

(初等中等教育局教職員課)


(引用終わり)


続きを読む

春の野を、虫マニアとあるく

.
虫の会、というものがある、と聞いた。

大人と子どもがのんびりと、虫をつかまえに行くのだ。

それはいい、と出かけた。
春だし、近頃、運動不足でいけない、と思っていたのだ。

集まったのは、大人が十人ほど。
くっついてきた、それぞれの子どもが五人ほど。

世話人のおじさんが、眠たそうな、力の無い声で

「おはようございまぁス・・・」

というのに合わせ、全員で

「おはようございまぁス!!」

と復唱する。

おじさんは眠たそうだが、集まった虫マニアたちは、なんだかやる気、である。

朝いちばんだというのに、水筒を首からぶら下げて、早くも、グビグビと飲み干そうとしている小学生もいる。

首から双眼鏡を下げているおばちゃんは、まだ始まってもないのに、双眼鏡をのぞこうとしている。

そして、全員が全員、小型のデジカメの調子を、チェックしているのである。

ともかくも、全員、

余念がない。


小声で会話する声が聞こえてくるが、どれもとうてい、日常会話とも思われない。

「あすこは、まだ○○には早いね」

「いや、○○の幼虫は、シーズン的にはもうちょっと」

「葉っぱの陰にかくれているのがいるくらいで」

「去年は撮り損ねました」

「ウフフ」

「ククク」


こういう、不思議な会話がチョコチョコと聞こえては、その後、忍び笑いのような、小さな般若のような笑いが起きるのである。


わたしは、これは面白そうなことになってきたゾ、と思い、今日一日、できるだけ、みなさんの会話に加わろう、と決意したのである。


息子は、同学年の友達が一緒に来ていたので、昆虫の話よりも何よりも、その子となんだか追いかけっこばかりしていたので、まあ、いいや、と放っておくことにした。


さて、集合したのは市役所の横の、市民会館の駐車場であった。
そこから、全員、各自の車でもって、○○神社へ行くのである。

○○神社より先には、私有地および国有林が続いており、そこの林道を歩きながら、本日の

虫の会

が行われるのだ。


さて、林道につくと、ナップザックを軽く背負って、ゆるゆると歩き始める。

世話人のSさんが、

「さーって、じゃーあ、みなさーん、まいりましょー」

というように、ずいぶん間延びした言い方で、みなさんに声をかけると、

マニアたちの群団は、よっこらよっこら、と林道を進み始めた。



わたしは、還暦を過ぎたと思われる熟女の方が、モンベルのナップザックに、THE NORTH FACEの幅広帽子をかぶり、颯爽と歩き始めたのに驚愕した。

スカーフの黄緑がなんとも決まっていて、これだけ気合を入れていたら、どんな昆虫だって、彼女の言うことを聞きそうだ。

逆に、世話人のSさんは、なんだかこんな行事は毎日のことであるらしく、ごく普通のスニーカー、帽子もかぶらず、なんだかとりあえず家から出てきました、というような格好であった。


しかし、まあ、全体として、THE NORTH FACEとモンベルとpatagonia、およびHELLY HANSEN等に身を固めた、なんだか目的のしれない群団が、追いかけっこばかりしている小学生を引き連れて、歩き出したと思って下さい。


わたしは、カメラも双眼鏡も持ってこないことを、ちょっと後悔した。
手ぶらは、ちょっと身軽すぎるかな、と思ったのだ。
ところがこの群団の中に、他に2人ほど、そういう、なんでか知らんが来てしまった、というような人もいて、ちょっと安心した。

世話人のSさんは、私が初めてだということを知って、気さくに話しかけてくれ、これはなかなか面白かった。
この岡崎の山のことを、自然環境保全の観点から、いろいろと考えてきた人であることが、話を聞くことでよく感じられた。

Sさんは、岡崎の桜の木のことや、他の雑木林のこと、さらには松枯れ病の薬剤散布の話や、リゾート開発ブームのことなどを話してくれた。

すでにリゾートが失敗続きであることから、いわゆる公共土建業が負の遺産になっていくことは、このご時世になってみれば誰でも理解できることであるが、Sさんが昆虫を夢中になって追いかけていた二十年ほど前は、開発でお金が儲かる、という神話を信じたい地元の人たちが、それこそ血眼になって、開発を進めようと躍起になっていたそうだ。

ところが、市のアセスメント担当者たちにとっては、すでに「里山の原風景を保全」することが当然になっており、リゾート開発の話は「聞くだけ」であった由。

「まだバブルの余韻が残っている時代だったですからね。あの時代に、里山環境保全、というので、行政が動いたというのは、かなりすごいことだったのじゃ、ないでしょうかね」

そんな硬派な話をしながらも、歩くうちにいろいろと生き物は見つかる。

Sさんは、

「えーっと」


と間延びした声で、遠くを指さす。

すると、そこには、★△◇※(不明)蝶が飛んでいる。

十人のマニアたちは、コーフンして写真を撮りまくる。



またしばらく歩くと、今度はSさんが軽く、道端の葉に触れる。

「あ、★△◇※(不明)蝶の幼虫ですね」

一枚だけ残された葉の裏が丸まっていて、そこになにかの幼虫がひっそりと隠れて生きていた。

十人のマニアたちは、それまでの、のんべんだらりとした表情と歩調からガラリと打って変った態度で早足で集まり、またもやコーフンして、カメラを取りだす。


草地に出て、しばらく行くと、アマナが柔らかい葉を出していた。

アマナ



「そこら、アマナが出ていますから、踏まないように」

すると、マニアたちは全員固まって動かなくなり、そろり、そろりと足を下ろす場所を探して、おっかなびっくり歩き出す。


またしばらく行くと、サルのうんちが落ちていた。

「あ、それ、クサイです。ふまないよーに」

マニアたちはまたもや緊張して、顔を見合わせ、ピタリと歩みを止める。



コーフンと緊張が交互に訪れる、この行軍は、2時間ほどで終わった。

私にとっては、以前から見てみたかった、ビロウドツリアブが、アマナの周辺で吸蜜しながら忙しく飛んでいるのを見れたのが、収穫でありました。

息子はそのアブをみて、

「ねえ、からだがなんだかピノコみたい」

と言っていた。

ピノコというのは、手塚治虫のブラックジャックに出てくるピノコではなく、千と千尋の物語に出てくる、黄色いひよこのお化けのような神様(おおとりさま)のぬいぐるみのことで、彼が勝手に名づけたものだ。
そのぬいぐるみのお尻のあたりの様子と、ビロウドツリアブのふんわりとしたお尻のあたりの様子が、酷似していたので、そう思ったらしい。

「ピノコのアブ、けっこういたね」



というわけで、ビロウドツリアブ、という名称は無視され、ピノコノアブ、というように、勝手に名づけられてしまった虫。

ビロウドツリアブ


こちらが、ピノコ。

おおとりさま

平成26年度小学校教員資格認定試験についてのまとめ

認定試験についてのまとめ

・小学校教員資格認定試験は、今年度は旧国立(現法人)の大学が実施会場になるのかどうか、分からない。
・そもそも、この認定試験のための予算が確保されているのか、現在のところ、不透明。
・文科省は、この試験を実施する団体を募集している。



試験実施をしてくれる団体には厳しい条件があり、これをクリアできる団体でないと、認定試験の事業者にはなれない。


(以下引用)
企画競争に参加する者に必要な資格に関する事項

(1)予算決算及び会計令第70条の規定に該当しない者であること。
(2)文部科学省支出負担行為担当官から取引停止の措置を受けている期間中の者でないこと。
(3)小学校教諭の養成課程を有している4年制大学であること。
(4)3(2)②で定めた試験実施業務に携わる場合は、業務に必要な設備・施設を有していること。
(5)3(2)③で定めた問題作成・精査業務及び試験実施業務に携わる場合は、業務に必要な設備・施設を有するとともに、附属小学校を併置していること。



さらに、補足として、条件がある。

契約締結:平成26年度予算が成立した場合に、平成26年4月上旬以降順次締結予定。

だそうです。



(1)企画提案書の提出場所、企画競争の内容を示す場所並びに問い合わせ先
〒100-8959 東京都千代田区霞が関3-2-2
文部科学省初等中等教育局教職員課現職教育係
TEL03-6734-2457
FAX03-6734-3742
E-mail nintei@mext.go.jp


どなたか、どうか、認定試験を実施してください。



事業規模(予算)及び採択数
事業規模:64百万円程度



だそうです。
一応、予算は確保されているようです。
あとは、条件をクリアできる事業者がいるかどうか・・・。

「言葉」に依存する「思考」の癖について

.

春になり、担任する学年も変わりました。

いい雰囲気で、新年度のすがすがしさを感じつつ、一仕事を終えた気分の午後、昼下がり。
いよいよ月曜日からは入学式、というので、準備万端、です。
わたしも新しいクラスの名簿を取りそろえたり、掲示物を改めたりと、なかなか忙しくしていたのですが、いろいろが終わってホッといたしました。

そして、ちょっと気分転換に、新しい階のトイレを、たまたま見に行った。
すると、驚いたことに、

男子小便器の上の壁に、でかでかと張りだした紙が目に飛び込んできた。

1階には、こんな貼り紙、なかったぞ。



おそるべきその張り紙 ↓↓↓





「ダブルしっこは、やめてください」



「??」

意味が分からないとは、まさに、このこと。

その横には、

「(トリプルはきけんなので、ぜったいにやめてください)」

と、小さな文字で、弱弱しく書き足してある。
トリプルの方の字は、もう紙の端ぎりぎりなので、えんぴつ文字があぶなっかしく、落っこちそうな具合に書き足してある。

どういうことか、お分かりだろうか。


わたし、5秒かかったけど、理解したよ。
昨年、このトイレで、いったいどんな事件が起きていたのか・・・。


その後、わたしはもう、当時の様子を、まるでテレビの再現VTRを見ているかのように、ありありと脳裡に浮かび上がらせてイメージしてしまった。

つまり、ここで、男子の数人が、一度に一つの小便器に向かって、同時に用を足していたのである。
そのことを、

個人の小用

でなく、

(個人+個人)の小用

であるから、ダブルのしっこ、と呼んだのである。


わかった??



まだイメージすることのできない、想像力貧困な奥ゆかしい方のためにもう少し補足すると、

一つの小便器 ← 同時に用を足す ← 男子のちんちん×2本

ということ、であります。



これをば、小学生男子(おそらく50%ほどまじめで、50%ほど愉快なタイプの子)の、小学生の文学的表現を借りて言いますと、

ダブルしっこ

という言葉で言い表されることになるのでありました。


(たぶん、5分休みに、小便器が3つしかなくて、全体の人数に対して不足しており、・・・早く、早くしてよ、もっちゃうからッ!! たのむ、ダブルでやらせて!! おう、いいよっ。急いでッ! ということなんだろう。それで、たぶんこぼして、床がよごれるんだろう、と思う



霞が関には霞が関の、文学と言い回し、があるように、
小学校には小学校の、文学と言い回し、があるのです。


そういえば、子どもは勝手に、自分とその周囲の数人にしか通じないような、勝手な言葉を作り出す。



○まるかんたいむ(※1) ⇒ 給食で、デザートを食べてよい時間のこと。

用途)「先生!まるかんたいむになったから、デザート食べていいでしょう?」

○さらぴかだんご ⇒ 土団子に白砂をかぶせて、完成形に達した状態の、ぜったいに誰も触ってはいけない保管状態の土だんご。

○なかやす(※2) ⇒ 2時間目と3時間目の間の、20分休みのこと。

○ゴマボー(※3) ⇒ サッカーボールの、黒と白の(昔ながらの)デザインのボール。



※1・・・まるかんは、「丸缶」で、給食の丸い形の食缶のこと。この丸い食缶のおかずが無くなり、クラス全体の「おかわり」が終了すると、デザートを食べてよいことになっていたので、「丸缶」+「デザートタイム」が縮まり、「丸缶タイム」になった、と思われる。

※2・・・「中休み」を縮めて、「み」だけを言わない。


※3・・・今のサッカーボールはデザインも豊かで色もバラエティに富んでいる。昔ながらのデザインのものは、白い六角形と黒い五角形の合成パターンですが、それが、黒いゴマをふりかけた感じがする、ということのようで、ごまボール、それが縮まって、ごまボー。教室に2つしかないボールのうち、どちらも「サッカーボール」と呼んでいるのでは不自由なので、とりあえず命名したらしい。


私たちはマスコミの作り出した言葉に依存し、世間に通用する(とされている)言語を使って生きることを強制されてきたようなもので、考えてみれば、不自由この上ない。

私はこのブログで、勝手な言葉をいろいろと書いてきた。
なぜなら、世間に、その意味を示す最適な言葉がないからで、新たに言葉をつくりだすしかなかった。
そして、それは、通じるコミュニティの住人に対して、効果的に通じればいいだけの話。広い世間に無理して迎合する必要もないしね。

たとえば、脅迫教育、という言葉。
そして、風呂育、という言葉。

言葉があるから、その概念が、発達していく。
人に使われ、人に理解され、人がその言葉によって、行動や思考をつくりあげていく。
その過程で、どんどんとまた、言葉自体がこなれていくのだ。

必要でしょう?
風呂育、という言葉もネ。
だって、その言葉が無けりゃ、話できないン・・・。
(※あとで、風呂育はリンナイが使ってたことが分かりました。ちょっと違うニュアンスで・・・)

他にも、説明のできないような、ある種の子どもの状態、様子を表すのに、言葉をみつけることに苦労する時があるんだヨ。そういうのを書こうとするんだが、そのたび

ああ、自分は説明が下手だな・・・

と思ってきましたが、




ああ、そうか。
世間に、その概念がないんだから、自分で言葉を作っちまえば早いな。




ということか、と。


さ、みなさん!!

勝手に、市民としての、言葉をつくっちゃいましょう!


だって、言葉って、それだけエネルギーがあるもの。

例を挙げると、

霞が関の方がよく使う、原発の「安全性」という言葉を使わないで、
原発の「危険性」という言葉に変えていくだけで、
世の中の価値観は変わっていくようにも思うね。

「原発の安全性について言えばですね・・・」と人が言うのを聞くと、ああ、安全のことを言うんだな、と気楽に思っちまう。
だが、
「原発の危険性について言えばですね・・・」となれば、お、危険について言うのかな、と身構える。
でも、意味合いとしては、どちらも、

どのくらい安全でどのくらい危険か

ということを意味しようとしている言葉だよね。「安全性」「危険性」も・・・。


言葉を、えらぼうよ。
使う言葉を、本当に使いたいようにして、使おうよ。
そうしていくうちに、自分が本当に願っていることを、世間依存の言葉でなく、私の言葉として、きちんといえるようになる。


ほかにも例えば、

甘えさせてダメにすることを「スポイル」といって、否定的に表現するけど、甘え⇒ダメ、という短絡思考に落ちたようなひどい言葉だから、この言葉も、変えよう。きちんと言いたいことを言えて、甘えることができて自立し始める健康な育ちを「逆スポイル」と言えばいいかなぁ・・・??

いや・・・、なんだかまだ否定的だ。
まだ、これまでの言葉に依存している。
「逆スポイル」だなんて。
ダメ。ふらふらしている言葉だ。

ほーら。

スポイルの逆で、甘えを肯定的に指す言葉が、無いでしょう?世間には?

世間に、これから必要とされていくような言葉って、まだまだ不足気味なんでしょうか・・・。




ダブルしっこ






幸せな子どもの特徴とは?

.

幸福な子ども像が、みえているか。

教師たるもの、つねにこうしたことに、敏感であれ、と、前校長がおっしゃってました。

子どもの幸福がなんたるか ということを知らないで、教壇に立つべきではない。

そういう意味だろう、と解釈。



さて、これは大問題で、新年度準備をしながらも、このこと(前校長からの宿題)が気になって仕方がない。

それにつけても思い出されるのは、Tくんのことであります。


Tくんは、あるとき、図工の作品を作るために配られた、青い画用紙を、たちまちやぶってしまった。
わざとじゃないのだけど、うしろの子に渡そうとした時、上にクーピーの箱が置いてあったから、引っかかっちゃった(?)のだね。

まだ、全員に配ったばかりで、名前を書くこともしないうちに。


これは、子どもによって、反応のパターンがいくつか、あります。




配られた画用紙が、やぶれちゃった場合の反応。

まずは、泣いちゃうパターン。

その子にとって、衝撃が過ぎるのか・・・。
「やぶれちゃった~、あーん」
と言って、泣く。


かと思えば、顔色が青くなるパターンの子もいる。
やばいっ、という顔になる。
そして、すぐに先生のところへ、おずおずと言いに来る。
「先生、すみません・・・」
まじめな子が、そうする。



さらに、人のせいにして脅迫するパターン。

「あッ!⚪️⚪️くんのせいで、破れた!責任とってよ!!」


6歳で、「責任とれ!」な~んて、まるで人間的でない言葉を使う子どもも、います。


さ、我らがTくん。
何と言ったでしょう。


「あっ!破れちゃった!アハハハ!!」



ま、これが一番、幸福ですわ。

世の中のお母さまたちにおかれましては、ぜひ、こういう子に育てたい、と
お考えいただければ、よろしいかと・・・。

ところが、世の中は逆さまだから、

このTくんのお母様はいつも、

「すみません。うちの子が迷惑かけてないでしょうか」

と、低姿勢であります。



一方で、責任、なーんていう言葉が、パッと出てくるような子は、なんだか、シアワセの薄い感じがする。


誰だ!この子に、
責任、なんて言葉を教えたのは!



・・・と、思っちまうね。



ともあれ、子どもの「幸福」は、
図工の画用紙が破れて責任を問われるような社会には、存在していなさそうであります。

たぶん、ヒントは、
アハハハ!の方に、ちょっとあるんじゃないの。

「やらない」ことにも、価値がある?

4月1日の早朝。

ぼんやりしながら、まだ薄明かりの部屋でまどろんでいると、夢のようなものを見ました。



そこに、なんと、青島幸男が出てきた。

青島幸男が夢に出てくるのは、おそらく、初めてだと思う。



それで、青島幸男が言うのには、

「俺は何もしないために、都知事になったんだ」


どうやら、誰かと話をしているところみたいだった。


目の前の人はぼんやりとしか見えず、だれか知らない。
青島さんは、その人に向かって、穏やかで、しかし、いたずらっぽい顔をしながら、しゃべっている。

「何もしないから、良くは思われないよ。青島、何もしねえじゃねえかって」

記者会見のような、そうでもないような。

「みんな、言いやすいから俺に文句言うけどさあ」



---じゃ、なんで、何もしなかったんです?


「妙なことや、やっちゃいかんこと、やると悲惨なことばかり、やりたがる連中がいたんだよ。あん時はね。それを、させないように、俺がドカン、と腰をおろしてた。目の上のたんこぶ役だ。俺は」


---なにか、やっておこう、と思わなかったんですか?


「そう。そこが俺のえらいところ。人気取ろうと思ったら何だってできたけど、やったところで、ろくなことないんだ。世の中、よしゃあいいことばかりでね。」


---ずいぶん、批判もされましたね。


「わかりやすくて、いいだろ。無能な人間を責めてりゃ、いちばんいいじゃん。世の中、みんな納得する。あいつは無能だってね。仕方ないなってんで、みんな、あきらめてくれるでしょ。それがいちばん、いい形だな。」


---目の上のたんこぶだなんて、何もだれも思わなかったんじゃないでしょうか?


「いやあ、歯ぎしりしてた連中、いっぱいだよ。あいつが動かないから、なにもできねえってね。俺がわざとそうしているのを知ってて、応援してくれてた人たちもすごいいっぱい、いたけどね。」


---応援していた人たちがいた?

「そう。大勢ね。無能って世間に言われているときに、おれが飄々と<蛙の面>を貫いているんで、涙流して応援してくれてた人、たくさんいたんだ」



記者会見のようなモノ、は、これで終わり。



私は目が覚めて、


今の、なんだったんだ?


と不思議な気分。

ちらっと青島幸男の、さっきのこどもみたいな顔を思い浮かべて・・・。



そうそう。

こういう子ども、結構たくさん、いる。


何もしない、が、メッセージになっている子。



それを、無理になにか、させよう、させよう、としてしまうね。大人は・・・。
大人は、見かけの形が大事だから。

どうしてだろうかね。

やはり、何かをしていてもらったほうが、安心するんだな。先生たちは。

体育会系が、いちばん、いいよ。
あれは、はっきり、とわかりやすい。
体育会系がもてはやされるのは、わかりやすいからだ。
いい汗かいて、熱心に活動しているんだもの。

ともあれ、21世紀の今、「何もしない」のは、特に、イケナイことになっているみたいだからね。

しかし、それを分かっているのに、あえて、見かけ上何もしない、というメッセージを送ってる子たちがいる。

結構、本人たちには、真剣な戦いなの。
でも、今の社会は、それにまともに向き合える社会でないし、その力もない。
社会自体が、かなり未熟、ということ。


やっぱり、根底にあるのは、勤勉であるべき、という価値観なのかなあ・・・。

勤勉ということに価値をおくの、もうそろそろ、やめる時期がきてるんじゃないか、と思う。

勤勉な人殺しほど、人類にとってはた迷惑な存在はないもの。

青島だあ
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