30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2014年01月

初めて食べるときの気持ちって。。


スキー場の食堂で、カレーを食べました。
トマトのような小さなものがありました。
私は、食べようか、まよって、用心していました。

同じテーブルに3人いたので、みんなが食べるのを待ちました。
そして、ついにMちゃんが食べたので、おいしい、ときいたら、

「うーん、ちょっとすっぱい」

と言いました。
つぎに、O太くんが食べたので聞いたら、



「初めてだけどおいしい」

と言っていました。
でも、そのわりには、あまりたべません。


それで、まあ、わたしも食べてみようかと思ったら、Mちゃんは、

「やっぱり、わたし、のこすわ」

と言って食べませんでした。

みんな、なにこれ!?と、言っていました。


小さな赤いものは、みんなのお皿にありました。Mちゃんによると、T先生がぜんいんのせたそうです。


トマトじゃないんじゃない?とか、みんなでいろいろ言ってました。

O太くんが、

「Sちゃんがこれから食べるところだよ」

と教えてくれました。

みると、食べようとしてるところだったので、みんなで見ていました。


食べるのを待ってから、


Sちゃんどう?


と全員で聞くと、

「すっぱいけど、好き」

と言って、結局、先生これなに?と聞こうと思ったら、先生はとなりのテーブルでいませんでした。


赤いものは、ぽりぽり音がしました。


そのうち、Sちゃんが、

「あ、これ、かんでるとおいしくなる!」

といったので、へえ、と言って、Mちゃんもかんでいました。


わたしも食べてみたら、ほんとうに、かんでいるとおいしくなりました。さいしょはすっぱかったけど、かんでいるとおいしくなりました。

なので、T先生に、赤いのください、と言ってまたおかわりをしました。


T先生は、

「カレーはいいの」

といっていたけど、わたしとMちゃんは、

「いいです、いいです」

と言って、赤いやつばかり食べました。

わたしは、おいしいカレーが食べられたので、よかったです。




画像1

責められない女の子たちの「真骨頂!」


ある子が、指人形を面白いと感じたので、教室の紙やテープやなにやらで、指にはめて動かせるような「指人形」をつくりだした。

おもしろがって、友達の何人かもつくりだした。

帽子をつけたり、顔をかいたりすると、もっと楽しくなったので、全部で50個くらいを箱に入れて保存し、順番に遊んでいた。

そのうち、劇の物語をやりだして、案の定、

「先生、みんなの前で発表したい!!」

と言いだした。



6人の女の子グループは、燃えていましたねえ!!

・・・・・・

しかし、いつもいつも、指人形ばかりじゃつまらない、・・・というのが子ども、です。

もちろん、今日は雪遊びしたい、という日もあるし。
なわとびするから、今日は休み、という日もあるし・・・。

しかしそれでも、ふと思い出したように指人形劇のプランを練ってすごし、たちまちひと月が経ちます。



そして、ついに!!

「先生、明日、発表するね!」

ということを言いに来る。

「お、とうとう、準備できたんだねー」

わたしもずいぶん、楽しみにしていたのだ。



ところが!!


なんということ!!

直前の練習中に、なんと、なんと、・・・大事な人形が壊れてしまった!!



「先生、今日はやっぱ、パス。明日にするね」

「うーん、ざんねん」


そんでもって、実は、

こういうのが、・・・何度か続いたんですわ。



メンバーが風邪で休んだからパス、という日もあった。

そのうちに、忘れていて、

「あ、やらんかった」

という日もあって・・・。




そのうちに暮もおしせまり、とうとう、冬休みになってしまった。


休み明けに、


「先生、そういや、2学期に、やるやる!って言ってたのにね~」

と、メンバーの子がうれしそうに言いに来た。

「そうだねえ。2学期にやるって言ってたよね」

他の子もそれをきいて、

「ほんとだ!!そういや、2学期にやるって、言ってたね!!あはは~!!」


みんな、なぜとなく、笑いがはじけております。

・・・・・・。



この会話、これで、いいのであります。

これでいいんだけど、このあと、事件が起きました。


この会話を、なんとなしにうしろで聞いていた男子の一人が、こう言いだしたのです。

「ああ!そういや、2学期にやるっていってたのに、やってないぞ!」

立ち上がって、続けました。

「なんでやんなかったんだ!やるって言って、やってないぞ」

そう言っているうちに、彼の脳裏に何だか思うことがあったようで、

「いけないんだぞ!言ったのに、やってないなんて!なんでやんないんだよ!」

と、ちょっと怒った感じ。


女の子たちのグループは、はとが豆鉄砲をくらったような表情。



わたしが、女の子たちがどうするかな、と見ていますと、


女の子の中の一人は、

○とりあえず、わたしは、落ちた消しゴムを拾おうっと


というような様子で、机の下にひざまづいて、消しゴムをゆっくりとさがしはじめます。


別の一人は、

○そうだ、もうすぐ3時間目だから、トイレ行こうっと


というような様子で、ゆるゆると廊下に向かいます。



また別の、主格の子はどうしたかといいますと、

○あれ、このあと、雪ふるのかな・・・


ボーっとした目つきで、外の雲を見ていました。


(笑っちゃいました)


空気の密度がうすくなってきたことを察知した男の子は、なんだかトーンをさらにあげて、

「いけないぞ!やるっていったじゃんかよー!!」


と、がんばって絶叫しています。


豆鉄砲を食らった女の子たちは、ことがこんなふうになるなんて、思いもよらない様子で、一人去り、二人去り、あるいはまったく関係のないおしゃべりをして、お茶をにごしていました。


こうしたことが、

人生、多すぎるんだろうな

と思います。



つまり、余計なことに、人生の時間をかなり吸い取られているんだろうな、ということです。男の子の「勘違い」を、これから時間をかけてじっくり解いてあげないといけない、ということですね。



結局、男の子の気持ちを、クラス全員で聞くことになり、

「先生、あのさ、2学期にやるって言ってたのにさ~!!」

「うんうん、そうだよね、やってないよね」

「やってないじゃんかよー」

「うんうん」



こういうことに時間をかけているのが、今の現代に生きる多くの大人の姿なんだろう、と思います。まるきり同じことが、小学校の教室にも展開されている。

無駄な時間なんじゃないかな、と思います。

本当の理想、本当の姿、本来の、子どもたちが体験すべきこと、発揮すべきことのために、時間を使いたいものだ、と思う。


で、最後には、

「じゃ、○○くんは女の子たちの劇を、早く見せてほしかったのね」
「ううん。べつに見たくない」
「そうか」


で終わりました。


もう御承知のことと思われます、が!


この男の子は、大人の姿をコピーしてみた、というだけだったのだ!


別にコピーしたかったわけでもないが、見聞きし、学習したことを自分も真似してやってみた、ということ。

ちょっと気分もむしゃくしゃしていたかもしれない。

そういったとき、大人のように、

○吠えてみる


ことで、気分解消をしてみようと考えた。

しかし、吠えることでは解決せず、気分もすっきりしない、ということを今回学習したのですが、こういう学習は、時間がかかるし、なにかもったいない時間の使い方だな、というように思う。要は、べつにやらんでもいい学習だってこと。だって、こんなんばっかり、繰り返し何度やってもねえ・・・。

もう、ええんちゃうの・・・・。



まあそれでも、女の子たちが、その男の子に責められていたにも関わらず、「責められなかった」のが、わが教室の進歩といえましょう。つまり、

責められても、意味が分からないのでぽかんとする、というのが、正常だということです。

もしも、この子たちが、「誰かが自分を責めた時、自分を守るためにあれこれとエネルギーを使う子」たちだったら、

まだなお、本来の道に戻るのに、時間がかかることでしょうからねえ。

名札!名札!名札!




職員室で、1年間の総括を話し合っております。


会議の中で、

「名札をつけている子が増えた」

ことを、


よし


としている先生の発表がありました。



職員室の全員が、それを聞いて、

「うん、それはすばらしいことだ」

と思っていたにちがいない。

わたしは心の中で、

「・・・」



その先生は、4月当初にも、

「クラス全員が名札をつけて集会に出ることを目標に・・・」

のような話をしていたのを思い出したからであります。

そして、そのことがやはり成果?をあげたらしく、その5年生はみんな、きちんと名札を付けて、日々を過ごしていたようであります。


だから、よほど嬉しかったのでしょう。


「いやあ、○○のやつも、ちゃんと3学期にはつけてくれるようになってさ。

(へ~、あの○○くんまで?すごーい!)

○○のかあちゃんに、おれ、面談の時にかなり協力要請したんだよね~」



と、職員室の横の備品室で、他の先生と話しておられました。
わたしは、その会話をコピー機かけながら後ろで聞いてましたが、

また、

「・・・」

と思うわけね。



この先生のエネルギーは、毎朝の、「名札確認」のために、相当、傾けられてきたわけでありましょう。
このことについて、子どもたちの親は、何も文句がないのだろうか??


この先生のゴールは、「名札を胸に付けている子どもたちの姿」です。

いいの?




いいけど・・・。


職員室で、任期当初の4月から、総括時期の3学期まで、ずっと話題にされてきたのは、

○名札をつけてるか、つけてないか

ということ。






世のお母様方!!これが、学校教育の「成果」だとされておりますゾ!!

人間的かどうか

クラスの掲示物をたまたま見かけた他の先生に、親切でこう言ってもらった。

「もうすぐ保護者参観があるから、掲示なおした方がいいよね」

私のクラスの掲示物は、まがったりゆがんだり、きたない字でかきなぐったものもあり、たしかに乱雑に見えて、まじめな人がみるとたいへんな状態に見える。

子どもが自分で気の済むようにやっているからで、一見して意味のわからない絵や字もたくさんある。

今度行われる(はずの)絵本大会に向けて、予告編が飾ってある。
絵本に登場する自作のキャラクターが、ところせましと画用紙に描きこまれているので、くわしく見ても、見れば見るほど、わけのわからない絵に見える。子どもが何を考えているのかも、このクラスの住人でないかぎり、決して理解できない「画用紙」である。

こうしたものに加えて、子どもが休み時間に適当につくりあげたらしい折り紙の作品やら、「うまくかけた」アザラシのイラストとか、なんだかんだといろいろと張り付けてあるし、しばらく前から、何度もはがされたり貼りなおされたりした結果、画鋲の穴が巨大化してきている絵も無数にある。

これらを見ると、なんともひどい状態である。

いかにも、動物的というか、野生というか、統率のとれていない掲示板に見えるから、となりの先生は、親切にもそう心配してくださる。

先生という人種は、どうしてもタイプ別に分けると、

「保護者になんといわれるかわからないから、言われる前に、○○しておこう」

と考える人が多いから、まあ、もともとかなりきれいで整っている(と思われる)掲示板ですら、

整えるべき対象

になっているほどで・・・。


だから、無理もないわね・・・。



つまり、きれいな掲示板も、さらにきれいにされるべきなのだから!
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2014年今年もどうぞよろしくお願い致します

新年です。
皆様、明けましておめでとう存じます。


人間は、本来、自由であり、何をしても何を考えても何を言っても、すべて人に受け入れられることが幸福です。

それをすでに実現しているのが小学校の教室の中ですが、大人になるにつれて、

○してはいけない
○考えてはいけない
○言ってはいけない


というものが増えてきているのが今の世相で、どうも

生きにくくなるために大人になる


というのが、現代という世の中らしい。

今や、小学校の教室が一番幸福な場所です。

本ブログでは、なぜ小学校の教室が一番幸福なのか、ということについて、記していきたいと思います。

(逆説的ですが、「なぜ大人は幸福でないのか」を記すことになる??かも??!!)
本年もどうぞ、みなさま
よろしくお願い致します。





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