30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

2013年07月

愛知県の教員になって、よかった!

地元の夏祭りが、毎年たのしみでしかたがない。

わたしが行くのは、矢作川。

矢作川は、上流でも下流でも、昔から花火大会がさかんに行われてきた川です。

(今はすでに中止された大会も多いけど)



さて、花火大会を見るのに、

中央総合公園でみるか、矢作川の左岸で見るか、迷う。

昨年は矢作川、その前の年は、子どもが小さかったこともあって、駐車場もある中央総合公園に行った。

どちらも、まあ、みごとな空の大輪が、間近に見られて、堪能した。

ご近所さんも来ていて、すぐ隣に陣取った妻の知り合いと、飲み物を融通しあいながら、歓談できたのは、なかなかよかった。

それから昨年の研修で一緒になり、その後に岡崎の教育委員会主催の会合でも一緒になって、なんだか顔見知りになっていた、岡崎市の中学校の先生と出会い、またそれが楽しくて、

「愛知県の教員になってよかった!」

と再度、思い直しているところであります。


花火大会、いいね!!!


それも、関東の、死にそうなほどの人出がある大会にくらべて、まだまだ、岡崎は呼吸ができるくらいの、のどかさがあるもの。(ま、それでも多いのだけど)


花火見物の会場となっている岡崎城は、都市公園として整備されているものの、実はかなり重要な史跡がまだまだ未発掘のままに埋もれていることが分かっております。
そうしたものの価値を知り、さらに奥深い、岡崎の歴史を知りたい人はたくさんいると思うので、これから、岡崎の教育委員会がこの遺構や公園の魅力を最大に生かす方向で、あれこれやろうとしていることを、ぜひ応援したい。

あと、もうひとつ、地元ではもう学校でチラシも配られたり、小学校の廊下にポスターまで貼られている、

「妖怪道五十三次 鬼太郎たちとめぐる東海道の旅」


なるイベントが、個人的にはかなり魅力的!!

あの、ゲゲゲの鬼太郎のキャラクターをうみだした、水木しげるさんのイラストで、歌川広重の「東海道五十三次」がおもしろ楽しく、よみがえる、というのです。

うちのクラスの子、さっそくそのチラシを切り取って、目玉おやじを黒板に貼り付けようとしておりました。

たのしいね!

どっちもどっち。誰が決めてるんだ?

◇けんかのルール


グーはだめ。
グーの拳骨で殴るのは、ルール違反。
道義に反する。

それは、人間として、やってはいけない。
卑怯な行為。
平手ならOK。



◇軍艦のルール


米国は、15万トン。
イギリスも、15万トン。
日本は、10万5500トンまでなら所有してもよい。
それ以上は、ダメ。
(ロンドン軍縮会議1930年)



◇地雷のルール


対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約。
(153カ国が署名し批准)

「戦争は仕方ないけど、地雷はダメ!」



◇プロレスのルール


チョップならいいけど、目突きはだめ。続きを読む

1年生の朝顔は、枯れてもよいかどうか

1年生に、

「人生は、そんなあまいもんやおまへんで」

ということを教えるために、朝顔を育てるのではない。


だから、朝顔に、先生が水をやるのは、それはそれで、OK。

夕方、子どもたちが帰った後、水をやります。

なぜ帰った後かというと、子どもにばれるのは、一応、なんとなく、気まずいからで、

「君たちの朝顔だ、責任をもって育ててほしい!」

とか、

「水をやらないと、枯れちゃうよ~」

などと、ふだん、脅かしているからだ。



しかし、なにかの拍子に、見つかることがある。

学童保育かなにかの帰りらしいRくんと、夕方、ばったり出会ってしまった。

「あ、先生!」

おどろいて振り向くと、Rくんで、

「先生が、水やってくれてる!」

大声で叫んで、立ちすくんでいる。

ないしょでやっているのが、ばれてしまった。



本当の本当に枯れてしまうと、なんだか忍びないし、落ち着かないから、結局、ばれたってなんだって、ともかく夕方になると、水をやる。

「朝、みんなが水をやってくれているけど、それだけだと足りないから、先生が夕方、水やりをしています」

ということを公言しました。



すると、連絡帳に

「ありがたいです。本当にこのところの猛暑はすごいですよね」

と、保護者からの応援メッセージが続々と届く。

「朝顔が咲くのを楽しみにしています。夏休みには、花の数をかぞえるのでしょうか。わたしが子どもだったころの夏休みの宿題を、思い出して、今から楽しみにしています」


というお母さんもいる。


ところが、中には、

「甘くないってことも、ときには教えないといけないでしょう」

と真顔で言ったお母さんがいて、わたしはオドロキました。

「枯れたら枯れたで、本人の責任ですし」

だって。



ま、そうでもいいけど、・・・ま、わざわざ、枯らすこともないか、と。

それに、枯れた途端、

「ほら!!人生は、甘くないんだから!」

と教えたところで、それがそんなに、大切な教えなのでしょうか??続きを読む

わたしの夢、ぼくの夢・・・

静かにしなさい、きちんとしなさい、騒がないで、おしゃべりしないで、そして、なかよくしなさい。

これを言わないといけない、ということになっている。

ところが、本当に本当に、

無心になってみると、

なんでこんなこと言ってんだ?

と、どうしても思ってしまう。



ところが、学校の大前提に、

これをやらないと、何も始まらんよ

ということがあるから、これはもう、仕方がない(ということになっている)。



1年生の子には、そんなのよりも先に、たっぷりと、言っとくことがある。

勇気をもって

いろんな挑戦をしよう

失敗なんかくそくらえ

実験、実験、また実験で

この世界の成り立ちや真理を見極めよう、

しらべよう、たしかめよう、やってみよう

ほんとうはどうか、みよう、さわろう、たべてみよう、

割ってみよう、たたいてみよう、けずってみよう、

かじってみよう、もやしてみよう、冷やしてみよう、

書いてみよう、歌ってみよう、聞いてみよう、笑ってみよう



こうしたことが、先にあるような気がするけれども、

今の学校教育は、どうやらちがう。

一番最初に、「しずかにしろ、座れ、前ならえ」

がきてしまっているように思うね。

そこらへんが、ずっと違和感なんだと思う。続きを読む

うちゅうひこうしになれますように(七夕の短冊より)

七夕だあ!というので、私は張り切っていたのです。

教室内に、笹をもってきて設置、その後、すぐに短冊や飾りつけを行いました。

短冊を書くにあたって、色紙を用意し、

「さあ、願い事を書こう!」


と言えば、みんな目の色を変えて、

「○○したい!」だの、「○○がほしい!」だの、書きまくるんじゃないか。

そう、思っていましたが、違いました。


これ、意外ですか?

それとも、近頃の6歳なんてのは、そんな感じだよ、と思われますでしょうか?

続きを読む

すそを入れてね~すそって何?~

「すそ」。
これほどむずかしい日本語があるとは思わんかった。
体育着の白い上着のすそ
この「すそ」を、青いズボンの中に入れろ、ということになっている。
体育主任の先生が、

「危険がともないますから、すそを必ず入れるように指導ねがいます」

とのことで、ともかくも、すそ はそのまま外に出しておくことができない。
すそを、

「入れなさい」

と、その都度、子どもたちに指示する。続きを読む

先生、赤白帽ひろって。 「ホイ。」

赤白帽が、何かの拍子におちてしまった。

Oくんの机の上から、落ちてしまった。

そこへ、私が通りかかった。

Oくんが、

「あ、先生、帽子ひろって」


と言いました。



さあ、あなたなら、どうしますか?続きを読む

「仕方がない」って、なあに、先生。

ともだちのつくった粘土の作品をさわりたかったんだけど、

ともだちが

「だめ」

という。

しかし、あきらめきれないで、休み時間にないしょで触ってしまった。

いろいろと触っていたところ、粘土作品の形状が変わって、トイレに行ってた持ち主が帰ってきて、大騒ぎになった。


「先生!Tくんが勝手に触って、壊しちゃった」

壊した、という言葉の響きが、なんとなくセンセーショナル。

人の気分を、高ぶらせる言葉であります。

マスコミの女の子が、

「ええええええーーーーー!!!!こわしちゃったのぉぉーーーー」

と叫ぶや、教室が一気にざわめきたちます。

(よくあることね)

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人生の問題はすべて小学校時代に一度、体験する!

毎日、1年生(6歳か7歳)といっしょにいると、あれやこれやと、いろんなことを思うものだ。

最近、ふと思いついたのは、

○人生の諸問題は、6歳の時に、全員がいったん経験するのではないか


ということ。

たとえば、人と人との間柄、関係について、かなり複雑な体験をする。

敵味方、という区別をするようになり、ずるいのはいけない、みんなで厳しくルールを作り、取り締まらないといけない、というような、公的権力の存在を認める発言が出る。

また、お互いの主張を譲らずに、「わたしが正しい」ということを主張したり、権力的な闘争をしたりするようになる。




だれかが、七夕の飾りを、やぶってしまった。

やぶった、とされた子は、

「わざとではない」

ことを主張する。

たまたま、手をのばしたら、当たってしまったのだ、という。

だから、私は悪くない、と言い張る。

やぶられた子は、わざとやぶられたのだ、ということを主張し、犯罪者を取締り(ひっとらえて)、裁判にかけ(先生に言いつけて)、処罰を受けさせようとする。

この闘いを、マスコミ(おしゃべりな女の子)がかぎつけ、スクープ(大声で廊下でみんなに知らせ、大事件だ)と騒ぎ立てる。

マスコミは、真実がどうか、というよりかは、ともかく、どちらの陣営が勝つか、ということに興味とエネルギーを注ぐ。

周囲が煽り立てるものだから、当人同士も、自分の素の気持ちなど忘れて、もうすっかりと、

勝つか負けるか


ということに終始するようになる。



さて、ここまで勝負にこだわれば、かならず、「勝つ」側と「負ける」側ができてしまって、これはもう、たいへんな

事件の引き金

を引いてしまうことになります。
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学校の電子ボードはなぜ使われないのか~仲の良くない職員室~

学校の職員室は、たいへんに過ごしやすい空間であります。

なぜかというと、職員のみなさん、いずれも良識のある市民であり、教職という信頼のある職についている、という自負もある。
(勝手な推測ですが)

だから、みなさん、相手の立場に立って、配慮をしてくださることが多い。


さて、こういった、お互いに配慮をしあうことが当然、という職員室の文化の中で、職員同士の仲が良いかどうか、というと、それがそうでもない。

一見、これは不思議に思える。

ここまで配慮しあうことができる人間関係がありながら、なぜ、仲が良くないのだろう???

一度、まあまあ本音で話してもよいかと思える先生方数人と飲んだ時に、

「仲良くない」

ということを私がつい、漏らした時に、

「えー、そうですか?仲良いと思いますけどねえ」

という先生がいた。

しかし、どうだか。



見たまえ。学校に一台しかない電子ボードシステムが、まるっきり、使われていないではないか。


それを言うと、

「みんなやさしいし、仲が良いから、使えないんですよ」

だって。

いや、ちがうでしょう。仲が良くないから、使えないのでしょう。

・・・・・・と、思うけど、ちがいますか、どうでしょう???



続きを読む

先生、Aちゃんが、Bくんを給食着の袋でたたいた!


帰宅する直前、給食着を持ち帰る日があります。

金曜日には、1週間使った給食着を、持ち帰ることになっている。





Aちゃんが、Bくんを、給食着の袋をぶんまわして、たたきました。

給食のときの白衣と帽子が入った袋があります。

布でできた、軽い袋です。

ひもがついています。

なんとなく、持った瞬間、男の子の狩猟本能がうずく。

それで、なんとなく、男の子たちは、

手首が自然にうごきだして、

ぶーん、ぶーんと

回し始める、というわけね。



ところが、女の子でも、やはりこれは、ぶんまわしたくなる。

遠心力を、手のひらに感じちゃったりするとなおさら、

ぶーん、ぶーん、と。

まわしたくなる。


それで、それが人に当たってしまう。

あるいは、わざと、ひとにぶつけてしまう。


今日は、Aちゃん(女の子)が、Bくんの後頭部めがけて、

白衣をぶん回して、当ててしまいました。

さあ、このとき、わたしはこういうのです。


「え??ほんと?だいじょうぶ?」


「・・・だいじょうぶじゃない」


さあ、このセリフ、だれのセリフだと思われますか?
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